著者
甲元 眞之
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢
巻号頁・発行日
vol.97, pp.1-52, 2008-03-07

完新世の気候変動を考察するときに、多くは花粉分析結果を用いて論じることが多い。しかしその年代的指準は炭素年代に依拠することで、分析された花粉帯の年代にばらつきが生じて、これまではグローバルな気候変動を把握することはできなかった。そこで、年輪年代を利用することで、紀元前3000年頃までは確実な年代を捉えることが可能となり、花粉分析でえられた資料を考古学資料と相関させることで、厳密な気候変動の時期的把握を行い、気候変動の結果がどのように人間生活に影響を及ぼしたのかを検討した。
著者
甲元 眞之 Komoto Masayuki
雑誌
青驪
巻号頁・発行日
vol.3, pp.17-33, 2006-11-01

本稿の基本的な考えは、1981年から3ヶ年間熊本県教育委員会の高木正文氏と共同で、菊池川流域の横穴群の実測調査を行った期間中生まれた。その後1993年秋の、国立歴史民俗博物館主催「装飾古墳特別展示」で日下八光氏の装飾古墳の模写に接したこと、1996年冬に福岡大学が調査した五郎山古墳を見学したことにより、全体の構想をまとめることができた。

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著者
甲元眞之著
出版者
[シモダ印刷]
巻号頁・発行日
2005
著者
西谷 正 甲元 眞之 山本 輝雄 中橋 孝博 田中 良之 宮本 一夫 中園 聡
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1994

平成8年度は、本研究3個年計画の最終年度に当たるので、過去2年間にわたって実施した調査成果を総合的にまとめ上げることを主眼とする研究を実施した。そのため、収集した膨大な調査資料を改めて整理、分析するとともに、研究成果報告書の原稿を執筆した。その間、支石墓研究会も開催し、第15回をもって最終回とした。その際、中国の遼東半島や朝鮮の西南海岸部・済州島の支石墓について補足し、また、日本の出土遺物として重要な供献小壺についても研究の現状を把握した。その結果を要約すると、支石墓は中国の東北地方から朝鮮の全地域において、主として青銅器時代に築造された。中国では、いわゆる石蓋土壙墓が支石墓を考える上で重要である。おそらく中国で成立した卓子形の支石墓は、朝鮮の西北部にまず伝播した後、変容を遂げながら南部地方へと波及し、碁盤形支石墓を生んだ。朝鮮の全域で独特に発達した支石墓は、いうまでもなく、もともと巨大な上石とそれを支える支石からなることに特徴があるところから名づけられた墳墓である。ところが、最近の調査例のように、実に多種多量の形式が見られるようになってくると、形式分類もひじょうに複雑なものとならざるをえない。それでもなお、共通点として指摘できるのは、巨大な上石を使用していることであるのに対して、支石をもたないものもけっして少なくないのである。そこで、巨大な上石の下にある墓室の構造を基準として形式分類を試みた。日本の支石墓は、縄文時代終末期から弥生時代中期にかけて、北部九州を代表する墓制の一つである。上石の下部に埋葬施設としての土壙・甕棺・配石などがある。古くは、土壙の場合が多いが、新しくなると甕棺が多くみられる。甕棺を埋葬施設とする点は、日本独自の特徴である。支石墓の存在形態を見ると、大規模な群集を示さず、数基ないし十数基からなる。