著者
中橋 孝博
出版者
日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (ISSN:09187960)
巻号頁・発行日
vol.105, no.5, pp.259-266, 1997 (Released:2010-10-21)
参考文献数
27
著者
溝口 優司 中橋 孝博 安達 登 近藤 恵 米田 穣 松浦 秀治 馬場 悠男 篠田 謙一 諏訪 元 馬場 悠男 篠田 謙一 海部 陽介 河野 礼子 諏訪 元
出版者
独立行政法人国立科学博物館
雑誌
基盤研究(S)
巻号頁・発行日
2005

旧石器時代から縄文~弥生移行期まで、日本列島住民の身体的特徴がいかに変化したか、という問題を形態とDNAデータに基づいて再検討し、日本人形成過程の新シナリオを構築しようと試みた。結果、北海道縄文時代人の北東アジア由来の可能性や、縄文時代人の祖先探索には広くオーストラリアまでも調査すべきこと、また、港川人と縄文時代人の系譜的連続性見直しの必要性などが指摘された。シナリオ再構築への新たな1歩である。
著者
宮本 一夫 中橋 孝博 田中 良之 小池 裕子 田崎 博之 宇田津 徹朗 辻田 淳一郎 大貫 静夫 岡村 秀典
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2004

本研究は、山東半島における先史時代の水田探索調査、膠東半島の石器の実測調査、黒陶の安定同位体比分析、山東半島先史時代古人骨の形質人類学的分析、遼東半島四平山積石塚の分析の5分野から構成されている。これらの調査研究は、研究代表者が提起する東北アジア初期農耕化4段階説における第2段階と第3段階の実体を解明するための研究である。まず第1の水田探索調査では、これまで山東で水田遺跡が発見されていなかったが、楊家圏遺跡と両城鎮遺跡でボーリング調査と試掘調査を行うことにより、楊家圏遺跡では龍山文化期に畦畔水田が存在する可能性が高まった。また膠東半島の趙家荘遺跡では龍山文化期の不定型な畦畔水田が発見されており、水田のような灌漸農耕が山東において始まった可能性が明らかとなった。さらに黒陶の安定同位体比分析により、山東東南部の黄海沿岸では龍山文化期にイネがアワ・キビより主体であることが明らかとなった。これはフローテーションによる出土植物遺体分析と同じ結果を示している。さらにこの分析によってイネであるC3植物が膠東半島、遼東半島と地理勾配的に低くなっていることが確かめられ、このルートでイネが龍山文化期に伝播した可能性が高まった。これは東北アジア農耕化第2段階にあたる。第5の研究テーマで分析した四平山積石塚の分析により、この段階に膠東半島から遼東半島に人が移動し在来民と交配していく過程が明らかとなった。さらに石器の分析により、石器もこの段階から膠東半島から遼東半島への伝播が存在することが証明された。さらに東北アジア農耕化第3段階である岳石文化期には、多様化した加工斧と農具が伝播しており、木製農具などの定型化した農具と水田など灌概農耕が、この段階に人の動きとともに膠東半島から遼東半島へ拡散した可能性が高い。なお、形質人類学的な分析では限られた資料数のため人の系統に関する決定的な証拠を得ることはできなかった。
著者
中橋 孝博
出版者
The Anthropological Society of Nippon
雑誌
人類學雜誌 (ISSN:00035505)
巻号頁・発行日
vol.95, no.1, pp.89-106, 1987-01-15 (Released:2008-02-26)
参考文献数
33
被引用文献数
9 8

福岡市の天福寺遺跡から,ほぼ江戸時代後期に所属する人骨,約200体が出土した。その特徴として,かなり顕著な長頭性,大きく高い顔面部,あるいは現代人より強い鼻根部の彎曲や歯槽性突顎,等の傾向が認められた。推定身長は男性159.4cm,女性146.5cmで,中世人や他の近世人とは大差ないが,当地方の弥生や古墳人に較べると明らかに低い。全体的に,桑島や粒江より,これまで都市部で出土した江戸時代人に比較的近い形質を示すが,長頭性という点には当地方の現代人にもつながる地域性が認められる。また,中世以降の時代変化の中で一部の形質に不連続な変化も認められ,そうした特徴の由来についていわゆる「都市化現象」や「貴族化」との関連を検討した。
著者
中橋 孝博 李 民昌 松村 博文 篠田 謙一 分部 哲秋 山口 敏 季 民昌 陳 翁良 黄 家洪
出版者
九州大学
雑誌
国際学術研究
巻号頁・発行日
1996

北部九州から出土する弥生人骨を大陸からの渡来人、もしくはその遺伝的影響を受けた人々とする見解が定着しつつあるが、彼ら渡来人の源郷についてはいまだ不明点が多い。これまでは華北や朝鮮半島を候補地とする研究結果が発表されているが、その背景には人骨資料そのものが大陸北半でしか出土していないという問題が隠されており、人骨の空白地域であった江南地方は、永く論議の対象から外されていた。しかし同地方は稲作を初めとして、考古、人類、民俗など各分野で古代日本との関係が指摘されているので、平成8年度から10年度にかけて、まずこの地域の古人骨資料の探索を行い、人類学的な検討を加えた。その結果、まず新石器時代のウトン遺跡から出土した人骨(51体)については、同時代の華北集団とも、また日本の縄文人とも異なる特徴を持つことが判明した。しかし春秋戦国〜漢代の人骨(30体)は、同地方の新石器時代人とは大きく異なり、日本のいわゆる渡来系弥生人にその形態的特徴が酷似することが初めて明らかにされ、同時に、劉王城遺跡出土の春秋時代末期の人骨2体から抽出されたミトコンドリアDNAの塩基配列が、北部九州弥生人のそれと一致することも判明した。また、この劉王城人骨では、2体に上顎両側の側切歯を対象とした風習的抜歯痕が確認され、この風習でも日本の弥生人集団との共通性が認められた。全体的に資料数がまだ十分ではなく、多くの検討課題を残すが、関連分野からその重要性を指摘されながら永く資料空白地域として残されていた中国江南地方において今回初めて人類学的な研究が実施され、渡来系弥生人との形態、遺伝子、抜歯風習にわたる共通点が明らかになったことは、今後、日本人の起源論はもとより、考古、民俗など各分野に大きな影響を与えるものと考えられる。平成11年3月に中国人側共同研究者を招聘して研究結果を公表したところ、朝日新聞、新華社、読売新聞、産経新聞など各紙に大きく報道され、NHK、フジテレビでも放映されて広く一般の関心を集めた。
著者
中橋 孝博 分部 哲秋 北川 賀一 篠田 謙一 米田 穣 土肥 直美 竹中 正巳 甲元 眞行 宮本 一夫 小畑 弘己
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008

In order to elucidate the homeland of immigrant Yayoi people and Jomon people, we performed morphological, mtDNA, and stable isotope analysis on ancient human skeletal remains of China, Russia, Mongolia, Okinawa and Taiwan, where people' s exchange with the Japanese archipelago in prehistoric age have been assumed. As a result, we obtained a lot of new, useful data regarding the ancients people in these area. And, in Ishigaki Island, we determined the age of human fossil(about 20, 000 years ago) and have contributed to the discovery of the first Pleistocene human fossil in this area.
著者
西藤 清秀 青柳 泰介 中橋 孝博 篠田 謙一 濱崎 一志 石川 慎治 花里 利一 吉村 和久 佐藤 亜聖 宮下 佐江子
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

シリア・パルミラにおける葬制に関わる研究を目的として、パルミラ遺跡北墓地に所在する129-b家屋墓の発掘調査をシリア内戦の激化で中断する2010年まで実施した。しかし、内戦の激化はその後の現地調査を不可能にさせたたが、129-b号の内外部の復元を図上でおこなった。また、出土した頭骨の顔を復顔し、その頭骨が収められていた棺に嵌め込まれていた胸像の顔との比較をおこなった。その結果、胸像は死者の肖像と言えることがわかった。さらにヨーロッパや日本の博物館や美術館に所蔵されているパルミラの葬送用胸像を中心にパルミラ由来の彫像を3次元計測した結果、顔の部位の配置にある一定のルールが存在することが判明した。
著者
竹中 正巳 土肥 直美 中橋 孝博 中野 恭子 篠田 謙一 米田 穣 高宮 広土 中村 直子 新里 貴之
出版者
鹿児島女子短期大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

種子島における縄文時代人骨の資料数を増加させる目的で、鹿児島県熊毛郡南種子町一陣長崎鼻遺跡の発掘調査を行った。今回の発掘で新たな縄文時代人骨は発見されたが、頭蓋の小破片のみであり、保存良好な古人骨資料は得られなかった。種子島の弥生~古墳時代相当期の人々の短頭・低顔・低身長という特徴、中世人の長頭・低顔・高身長という特徴、近世人の長頭・高顔・高身長という特徴を明らかにできた。身体形質が、種子島においても時代を経るごとに小進化している。特に中世の日本列島各地で起こる長頭化は種子島でも起こっている。また、種子島における形質変化の大きな画期は、弥生~古墳時代相当期と中世との間の時期に認められる。これは、南九州以北の地よりの移住者による遺伝的影響に寄るところが大きいのではないかと思われる。広田遺跡から出土した人骨2体からミトコンドリアDNAを抽出され、これら2体は母系でつながる血縁関係は持たないこと、ハプログループはD4に属すると考えられ、現代日本人にもそれほど珍しくない頻度で出現するタイプであることが明らかにされたまた、広田人骨からコラーゲンを抽出し、炭素・窒素安定同位体比から食生活を検討し、広田人は海産物を含む3種類以上のタンパク質資源を利用していたことが明らかにされた。
著者
中橋 孝博 飯塚 勝
出版者
一般社団法人 日本人類学会
雑誌
Anthropological Science (Japanese Series) (ISSN:13443992)
巻号頁・発行日
vol.106, no.1, pp.31-53, 1998 (Released:2011-07-01)
参考文献数
77
被引用文献数
3 5

弥生文化がいち早く開花した北部九州において, 縄文から弥生への変革を担ったのは土着の人々か, それともこの時期に大陸から渡来した人々なのか, この点について出土人骨に関する形態学的, 人口学的な観点から考察を加えた。当地域の弥生人骨の出土は中期に集中しており, 縄文晩期~弥生初期の住人については資料欠落のため, 直接的な検討ができない。しかし, 中期人骨を判別分析した結果によると, その中に含まれる縄文系弥生人の比率は10~20%に留まり, 殆どが渡来系弥生人で占められている。中期の前半と後半でも人骨形質に変化はなく, こうした人口構成は遅くとも中期初めまでに形成されたと考えられる。もし, 水稲耕作を柱とする弥生社会の出現と発展が土着の縄文系弥生人に依るものだとすると, 200~300年後の同地域に, 形質の大きく異なる渡来系の人々が大多数を占めるような社会が出現することは説明困難である。考古学的諸事実から, 初期渡来人の数は土着集団に較べて少数であったと考えられるが, 土着系集団と渡来系集団の間に人口増加率で大きな差があったと想定すれば, 弥生中期に至るまでの人口比の逆転現象は説明可能である。弥生文化の開花とその発展は, 当初より渡来系集団が牽引者となり, 急速に自身の人口を増やしていった可能性が高い。
著者
吉村 和久 山本 綾子 中橋 孝博 西藤 清秀
出版者
一般社団法人日本地球化学会
雑誌
日本地球化学会年会要旨集 2004年度日本地球化学会第51回年会講演要旨集
巻号頁・発行日
pp.24, 2004 (Released:2007-02-23)

シリアのシルクロード最西端のオアシス都市パルミラにおいて地下墳墓から見出された多数の人骨と歯には、高フッ素症の兆候が認められた。冬季に地中海からの水蒸気がレバノン山脈に雨をもたらし、それが地下水となってパルミラで湧出しオアシスをつくる。乾燥地域であるパルミラでは、水の蒸発に伴い溶存成分が濃縮される。パルミラ地域のカナートと、湧泉、浅井戸、深井戸あわせて13の天然水試料について分析を行ったところ、この地域に石灰岩が分布するために、カルシウムイオン濃度が高かった。また、フッ化物イオン濃度は0.3から3.0 ppmであり、ホタル石の溶解平衡によりフッ化物イオン濃度が制御受けていることがわかった。今から約二千年前においても、古代パルミラの人たちは3.0 ppmを超えることはないが、高フッ素症が発症するようなフッ素高濃度の水を飲用としていたものと推定される。古代パルミラ人の歯のフッ素濃度についても議論する。
著者
西谷 正 甲元 眞之 山本 輝雄 中橋 孝博 田中 良之 宮本 一夫 中園 聡
出版者
九州大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
1994

平成8年度は、本研究3個年計画の最終年度に当たるので、過去2年間にわたって実施した調査成果を総合的にまとめ上げることを主眼とする研究を実施した。そのため、収集した膨大な調査資料を改めて整理、分析するとともに、研究成果報告書の原稿を執筆した。その間、支石墓研究会も開催し、第15回をもって最終回とした。その際、中国の遼東半島や朝鮮の西南海岸部・済州島の支石墓について補足し、また、日本の出土遺物として重要な供献小壺についても研究の現状を把握した。その結果を要約すると、支石墓は中国の東北地方から朝鮮の全地域において、主として青銅器時代に築造された。中国では、いわゆる石蓋土壙墓が支石墓を考える上で重要である。おそらく中国で成立した卓子形の支石墓は、朝鮮の西北部にまず伝播した後、変容を遂げながら南部地方へと波及し、碁盤形支石墓を生んだ。朝鮮の全域で独特に発達した支石墓は、いうまでもなく、もともと巨大な上石とそれを支える支石からなることに特徴があるところから名づけられた墳墓である。ところが、最近の調査例のように、実に多種多量の形式が見られるようになってくると、形式分類もひじょうに複雑なものとならざるをえない。それでもなお、共通点として指摘できるのは、巨大な上石を使用していることであるのに対して、支石をもたないものもけっして少なくないのである。そこで、巨大な上石の下にある墓室の構造を基準として形式分類を試みた。日本の支石墓は、縄文時代終末期から弥生時代中期にかけて、北部九州を代表する墓制の一つである。上石の下部に埋葬施設としての土壙・甕棺・配石などがある。古くは、土壙の場合が多いが、新しくなると甕棺が多くみられる。甕棺を埋葬施設とする点は、日本独自の特徴である。支石墓の存在形態を見ると、大規模な群集を示さず、数基ないし十数基からなる。
著者
西藤 清秀 青柳 泰介 吉村 和昭 樋口 隆康 中橋 孝博 篠田 謙一 濱崎 一志 宮下 佐江子 豊岡 卓之 石井 香代子 石川 慎治 中橋 孝博 濱崎 一志 篠田 謙一 吉村 和久 宮下 佐江子 花里 利一 佐藤 亜聖 石川 慎治 後藤 完二 佐々木 玉季 吉村 和久 星 英司 鈴井 恭介 アサド カーレッド アサド ワーリッド
出版者
奈良県立橿原考古学研究所
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2008

パルミラ遺跡北墓地129-b号家屋墓の発掘調査を通してパルミラ古代墓制の変遷が理解できつつある。この墓にローマ人が関与する可能性も碑文から読み取れる。この調査には3次元計測システムを活用し、倒壊していた家屋墓の復元も試み、一部視覚化が出来ている。この墓の倒壊に関わる重要な要因として地震の痕跡を墓周辺で検出した。さらにパルミラ滅亡後に1歳未満の乳児が129-b号墓周辺に故意的に埋葬されている事実も確認している。
著者
篠田 謙一 加藤 克知 北川 賀一 真鍋 義孝 中橋 孝博
出版者
独立行政法人国立科学博物館
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2001

インカによる統一以前のアンデスには、多数の地域国家が存在した。これらは生業形態や地理的環境から大きく海岸地帯と山岳地域または南部と北部に分類することができる。今回の研究では、かつてこれらの地域に存在した集団の遺伝的な関係と、集団内部の血縁関係を考察する目的で、骨と歯の形態学的な研究と人骨から抽出したDNAを解析した。4年間の研究で、ペルー北海岸では紀元前後から11世紀までの遺跡、アンデスの山岳地域ではインカ時代の遺跡、そして南部の海岸地域では紀元前後から7世紀にかけての遺跡を調査して、合計で2百体以上の人骨の研究を行うことができた。得られたサンプルに対し、形態学的な研究からは、各集団の歯の形態学的な特徴の抽出、頭蓋骨の形態学的な研究、そして頭蓋変形と開頭術の時代的な変遷についての解析を行った。また、DNA分析では、抽出したDNAを用いてPCR法でミトコンドリアDNAのD-loop領域とcoding領域の一部を増幅した。この塩基配列データ解析することによって、遺跡内部での血縁関係の追求と、周辺遺跡との系統的な関係についての考察を行った。北海岸のシカンの遺跡では、埋葬された人物間の血縁関係をDNA分析によって推定し、歯の形態学的な研究結果や考古学的な証拠と併せて考察を行った。また、モチェとガイナッソの遺跡を研究し、双方の関係について考察した。それらの知見と考古学的な証拠とを総合的に判断した結果、基本的には北海岸と南の海岸及び山岳地域とは、集団の構成に違いがあることが明らかとなった。また、アンデスのウルバンバ川周辺の遺跡のDNA解析からは、現代の先住民につながる人々がこの時代から居住していたことが明らかにした。