- 著者
-
石塚 道子
- 出版者
- 日本文化人類学会
- 雑誌
- 文化人類学 (ISSN:13490648)
- 巻号頁・発行日
- vol.72, no.4, pp.485-503, 2008-03-31 (Released:2017-08-21)
現在の「クレオール」は文化の複数性、動態性、脱領域性を捉える重要な分析枠組みと見なされているが、本来この概念は近代西欧普遍主義による文化的否認の解除を目指してきたカリブ海地域の人々の脱植民地運動から創出されたものである。本稿の目的は、クレオール文化概念の空間特性を、マルティニクの空間というローカルなコンテキストから照射することにある。このためにまず、マルティニクの人々の空間分類と空間改変行動に関するフィールド調査結果を、15世紀末から今日まで三期に分けた時間軸において検証し、奴隷制度が廃止されて、現実の生活空間がプランテーションの外へと拡大されてからも、島民は奴隷制プランテーションの内部の空間構造を島空間に重ね合わせた図式で認識してきたことを論じる。次に、1980年代に砂糖プランテーション経済の衰退によって出現した多数の「空地」が、人々の伝統的な島空間認識を揺るがし不安定にしたことを明らかにする。つづいて、慣習的土地所有制度「家族地」に建つ可動式の小家屋「カーズ」の居住空間を分析し、土地に対して人々が抱く相反的な意識を析出する。さらに本論は、フランスの海外県という政治的、文化的同化主義的な社会状況に不満をもつようになった若いラディカルな知識人たちの形成した「独立派」が、1970年代から1980年代に展開した「公園化」運動と「土地占拠」運動を記述・分析するだろう。これらの運動は、不安定で相反的な空間認識を覆し、空間改変のイニシアティブをとるべき抵抗的主体を再構築しようとする空間的パフォーマンスの性格を帯びており、「独立派」は1990年代にクレオール文化言説が登場するまで、自分たちの空間パフォーマンスを脱植民地戦略として意味づけることができなかったのである。結論では、クレオール文化言説がポストモダニズム、ポスト構造主義を援用した思惟であるとしても、1970年代からグリッサンや「独立派」がマルティニクの空間に立ち向かい積み重ねてきた脱植民地化の文化的実践と多様な社会運動の経験の蓄積こそが、彼らをそこに導いたことを主張する。国家領土的空間の創出を棄却して、区画化されて閉じた空間に文化を措定しないクレオール文化空間を構築するという脱植民地戦略は、彼らの実践と経験の蓄積によってはじめて可能となったのである。