著者
倉光 ミナ子
出版者
一般社団法人 人文地理学会
雑誌
人文地理 (ISSN:00187216)
巻号頁・発行日
vol.50, no.4, pp.383-395, 1998-08-28 (Released:2009-04-28)
参考文献数
36

A lot of research on reclamation settlements has been done by Japanese geographers. Most of it has been the studies developing statistical data and not focusing on the consciousness of the settlers who actually built the settlements. The culture, especially ritual, transplanted from their homeland to their new settlement has a significance as a symbol in the process of settling. The purpose of this study is to consider the relationship between the formation of reclaimed settlements and ‘revived’ ritual in terms of the settlers.The field of the study, ‘Miyuki-cho’, is formally divided into Nishimiyuki and Higashimiyuki-cho in Toyohashi-shi. It was settled immediately after the Second World War. In 1945, a group of people from Toyone village, the north-eastern part of Aichi Prefecture, started to settle in this area. That was a policy of Toyone village because of its lack of land for cultivation. As reclamation was conducted by Iwanishi agricultural cooperative association, this settlement became a highly united one in comparison with other settlements. In 1949, the Miyuki shrine was established as a result of transplanting a part of their original settlements' shrines. This provided the necessary setting for the settlers to start a ritual, Hanamatsuri, in 1956.There were two contexts in reviving Hanamatsuri. First, the tools for Hanamatsuri were transferred from the people of the Bunchi settlement in Toyone village, who had to move from their original site because of the construction of the Sakuma dam. Among the tools Onimen (mask of gods) is the most crucial one and is the object of worship by the people. Secondly, the cognition of the people concerning Hanamatsuri is significant. They used to learn Hanamatsuri customs in their youth in their home village. It was natural for the people to practice Hanamatsuri and they never questioned its meaning.In conclusion, the settlers started Hanamatsuri as it was indispensable for their life. It was important to revive Hanamatsuri in the process of developing settlements as it meant a final success of their reclamation for the settlers. In sum, in considering the formation of the reclamation settlements, not only physical and economic points of view, but also socio-cultural and subjective viewpoints are necessary.
著者
倉光 ミナ子
出版者
お茶の水女子大学ジェンダー研究所
雑誌
ジェンダー研究 : お茶の水女子大学ジェンダー研究所年報
巻号頁・発行日
no.24, pp.67-74, 2021-07-31

COVID-19 のパンデミック下において、感染拡大を防ぐために、人びとが突然「ステイホーム」を求められたことにより、期せずして「ホーム」という空間/場所に関心が集まった。本稿はパンデミック下における「ホーム」をめぐる現象を概観することで、「ホーム」という空間/場所について再考することを目的とした。日本では春以降の緊急事態宣言下において、テレワークの導入、日本政府の緊急対応策、「ステイホーム」の呼びかけを通じ、「ホーム」が暗黙のうちに異性愛規範に基づいた安全な場所として強くイメージされていることが明らかになった。同時に、「ステイホーム」は「ホーム」が誰にとっても等しく安全な場所でないことも暴き出した。このように、パンデミック下での「ホーム」をめぐる現象はすでにフェミニスト地理学が論じてきた点を深刻化する形で「ホーム」に伴う課題を突きつけるとともに、「ホーム」そのものの意義や意味について再考を促している。
著者
倉光 ミナ子 福田 珠己
出版者
公益社団法人 日本地理学会
雑誌
日本地理学会発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.2020, 2020

<p><b>1. はじめに</b></p><p> アジア女性資料センター(2020)はCovid-19と呼ばれる新型ウィルスの感染拡大が社会において、より弱い立場に置かれている女性や子どもたちに多大な負の影響を及ぼす可能性を指摘し、ジェンダー視点に基づいたCovid-19の影響を分析・考察し、それに基づいた提言を行う重要性を論じている。Covid-19のさらなる感染拡大を防ぐために、多くの先進諸国では「Stay at home」(日本では「#Stay home」や「#うちで過ごそう」)という呼びかけが行なわれ、それに基づき、様々な政策が展開されてきた。「ホーム(home)」の重要性については、1970年代には人文主義地理学の立場から主張されていたが、学際的な潮流ともかかわりながら「ホーム」の地理学研究が本格化したのは、1990年代以降、フェミニズムの影響を受けてからのことである。Covid-19の下で突如として現れた「ステイホーム」は何をもたらすのか。フェミニスト地理学の視点から考察・分析することは必要不可欠であると考える。</p><p><b>2.Covid-19によって再確認された点</b></p><p> 2011年の東日本大震災の折に、災害や危機というものが、第一に「平常時からの意思決定における女性の不在や、社会的・経済的なジェンダー不平等が、危機への対応において強く現れ、危機が過ぎ去ったあとにも、女性・少女の権利に長期的に影響をおよぼすこと」(アジア女性資料センター 2020)、第二にもともとそこの地域が抱えていた問題を先鋭化あるいは深刻化させることが指摘されている。同様のことは「ステイホーム」においても確認される。</p><p> まず、先進諸国政府等が「ステイホーム」と呼びかけた際には、フェミニスト地理学が批判してきたように、「ホーム」に暗黙のうちに「両親と子どものそろっている温かい家庭」(異性愛カップルによる家庭、近代家族)や「居心地のよい空間」というイメージが付与されていた。イメージの一面性や、これらがもたらす違和感は、企業やインターネットが使用したロゴ、特別定額給付金が世帯主に支給されたこと、そして、ホームレスや非正規就労者で仕事ともに住処を失った人や、家に帰ることのできない少女たちが行き場を失う報道からも明らかだろう。</p><p> 次に、先進諸国、とりわけ都市の「ホーム」が公私二元論に基づく、「プライベート」、「ケア」の空間であり、その管理・維持がたいてい女性によって成り立っていることである。2020年2月末の日本政府による全国一律の一斉休校や在宅勤務により「ケア」を一手に引き受けざるをえなかった女性たちの嘆きや怒りは様々なところで報道された(その一方で、狭い自宅では仕事ができず、車の中でオンライン会議に参加する夫の話もある)。</p><p> さらに、フェミニスト地理学が指摘してきたように、「ステイホーム」は、ホームが誰にとっても等しく安全な場所でないことも明らかにした。</p><p><b>3.さらなる「ホーム」の展開へ向けて</b></p><p> 「ステイホーム」はすでにフェミニスト地理学が論じてきた点だけでなく、さらなる「ホーム」の展開の可能性を示している。「ステイホーム」を通して、だれもが「ホーム」の意義を再考し、これまでの公私二元論や異性愛規範に基づいた「ホーム」とは別の次元の「ホーム」が想像され、つくられるのか、今後に期待したい。</p><p><参考文献リスト></p><p>アジア女性資料センター 2020.COVID-19とジェンダー: 分断と差別ではなく権利と連帯にもとづく対応を.http://jp.ajwrc.org/3808(最終閲覧日2020年7月17日)</p>
著者
熊谷 圭知 石塚 道子 大城 直樹 福田 珠己 森本 泉 森 正人 寄藤 晶子 倉光 ミナ子 関村 オリエ
出版者
お茶の水女子大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2011-04-01

本研究では、欧米中心に展開してきたジェンダー地理学を再構築し、日本からの発信とグローバルなネットワーク構築をめざした。具体的には、1)2013年8月の京都国際地理学会において、「ジェンダーと地理学」研究委員会と共同し、プレ会議(奈良)を開催。2)海外の主導的なフェミニスト地理学者(2012年年1月にDivya Tolia-Kelly氏、2013年3月にDoreen Massey氏)を招聘。学会での議論の場を創出した。研究成果は、2014年,英文報告書(Building Global Networks through Local Sensitivities )に刊行し、内外に発信した。
著者
倉光 ミナ子
出版者
天理大学
雑誌
若手研究(B)
巻号頁・発行日
2004

1.理論的枠組みの検討本研究の理論的枠組みとしての「トランスナショナルな場所」を考えるにあたり、トランスナショナリズムについての研究が盛んであるイギリスの人文地理学の文献を収集し、検討を行なった。その結果、多くの研究が先進地域へ流入する国際移動者を対象とした研究であること、また、このような現象を捉えるにあたり、「場所」ではなく「空間」という概念を使用していることが改めて明らかとなり、理論的枠組みの再検討が必要となった。2.フィールド調査:9月に2週間弱、サモアにおいて実施した。調査内容は以下の通りである。1)仕立て業店舗の分布の変容について:2年間のデータを基に、アピア都市部における仕立て業店舗の移り変わりについて調査を行なった。その結果、店舗数は依然として増加傾向にあるが、その一方で閉店に追い込まれている店もあった。また、フィリピン人女性の縫い子を雇用するという傾向が顕著になっていた。2)仕立て業店舗における顧客の調査:昨年の調査と同じ店舗において、その店を頻繁に使用する顧客に関する観察・簡単な聞き取り調査を実施した。その結果、双方の店ともに販売には都市部特有のイベントの影響を強く受けることがわかったが、帰還移民の多い店舗では衣服の多くが海外コミュニティのために購入されており、人だけでなくサモアの衣服が海外へ流入する様子が観察された。3.研究成果の公表に向けて本年度は研究機関を変更したこともあり、理論的枠組みおよびフィールド調査の結果が十分に整理・検討できなかったので、本研究に関わる研究成果をまとめ、発表するまでにいたらなかった。本研究の研究期間は終了を迎えたが、来年度のうちには、これまでの成果をまとめ、公表していく予定である。