著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.53, no.4, pp.257-261, 2001-12-21 (Released:2010-04-30)
参考文献数
8
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.2, pp.349-367, 2004-02-10

志賀重昂の著書『日本風景論』(1894)の中心的な位置を占める火山に関する記載部分の分析検討のうち、中部日本の火山等に関する志賀の記載をとりあげ、彼の剽窃や改竄の諸相をさらに明らかにした。特に高頭式編『日本山嶽志』(1906)のなかに志賀の訳読として掲載されている"Handbook for Travellers in Central & Northern Japan"の記事と『日本風景論』における記事とがほとんど同一の内容であることを明らかにし、剽窃の実態を検証した。また、志賀の郷里三河についての記載の不自然な比重のかけかたに、彼の強い愛郷心がみられることを示し、さらに大槻磐渓の語句の改竄が愛郷心と愛国心とを結び付けるための志賀の強引な操作であることを論じた。これら志賀が行った剽窃や改竄および不自然な構成などは、読者の愛郷心を、他国に冠絶する日本の風景を説くことによって愛国心を高めるための、確信犯的意図によるものであった。
著者
米地 文夫 Fumio Yonechi ハーナムキヤ景観研究所
出版者
岩手県立大学総合政策学会
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.133-147, 2013-05-01

宮沢賢治は石川啄木の短歌に強い影響を受けたが、啄木の北へ走る電柱列の歌も、賢治の童話「月夜のでんしんばしら」に影響を与えた。「月夜のでんしんばしら」は停車場近くの線路で電信柱の列が兵隊になり歩き出す話で、電気総長が号令をかけていた。汽車が来ると電信柱に戻る。従来は電気と鉄道の童話とされていたが、シベリア出兵の日本軍、特に花巻で演習をした盛岡駐屯の工兵隊などの出動を素材にしたことがわかった。賢治作曲の彼らの軍歌はオペラ「カルメン」の「アルカラの竜騎兵」の曲と日本陸軍のラッパの曲とを基にしている。作品に工兵のほか竜騎兵や擲弾兵など19 世紀の欧州の古風な兵種名が登場するのは、ロシアに攻め込んだナポレオン軍の敗退をシベリア出兵に重ねたからで、トルストイの小説「戦争と平和」やハイネの詩「二人の擲弾兵」などを念頭に置いている。電気総長は当時の日本陸軍の実質上の最高指揮官である上原勇作参謀総長をモデルにしている。この作品が書かれた1921 年には上原の指揮の下で日本陸軍はシベリア出兵を行っていた。既に出兵の大義は消失し、革命勢力の優勢が決定的になるにつれて撤退は必至となっていた。「月夜のでんしんばしら」は一見、幻想的な童話にみえるが、実はシベリア出兵を継続する日本軍部への批判の込められた作品だったのである。Kenji Miyazawa was strongly influenced by tanka written by Takuboku Ishikawa. Takuboku's tanka about telegraph poles running toward the North also infl uenced Kenji's fairy tale, "The Telegraph Poles on a Moonlit Night." In this fairy tale, a line of telegraph poles along the tracks near a station transform into a rank of soldiers and start marching under the orders of the Chief of Electricity. When a train comes, the soldiers return to being telegraph poles. Up to now, this fairly tale was considered to be a story about electricity and railroads. However, it was later discovered that the tale is based on the mobilization of the Japanese troops dispatched to Siberia, particularly, the Corps of Engineers stationed at Morioka, which were engaged in exercises in Hanamaki. This Corps of Engineers' war song, composed by Kenji Miyazawa, was based on Bizet's opera Carmen Suite Les Dragons d' Alcala and the Japanese Army's trumpet songs. With the introduction of old-fashioned names for soldiers from 19th century Europe, such as Dragoons and Grenadier Guards as well as the Corp of Engineers, and the dispatching of Japanese troops to Siberia, Kenji duplicated the defeat of Napoleon's army which attacked Russia, bearing in mind Tolstoy's novel, War and Peace, and Heine's poem, Die beiden Grenadiere. The Chief of Electricity was modeled after the Chief of the General Staff , Yusaku Uehara, who was functionally the captain general of the Japanese army at that time. In 1921, when this piece was written, Japanese army troops were dispatched to Siberia under the command of Uehara. At that time, the reason for mobilization had already become unclear and as the predominance of the revolutionary force became decisive, retreat from Siberia was inevitable. Although "The Telegraph Poles on a Moonlit Night" is primarily an illusionary fairy tale, it is also a piece criticizing the Japanese army which continued to dispatch troops to Siberia.
著者
米地 文夫 三浦 修 平塚 明
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.5, no.3, pp.391-409, 2004-03-31

宮沢賢治の作品にしばしば登場する「標本」と「証拠」という語について、自然科学の立場から検討を加えた。自然愛好家であり教師でもある賢治は、「標本」を、展示用、教材用の見せる「もの」としての「標本」sampleと考えていた。彼は本質的に研究者ではなく、彼の「標本」には, 研究者がより重要と考える《研究の材料、研究の保証となる証拠としての「標本」specimen》は含まれていなかった。「標本」specimenを、研究者は「こと」を説明する科学的な「証拠」voucherとして用いる。しかし賢治はこれらは「標本」と呼ばず、「証拠」と書いている。賢治は一種の不可知論者でもあったので、学者が挙げる「証拠」が描く世界像は、時代とともに変わると考えていたのである。
著者
米地 文夫
出版者
THE TOHOKU GEOGRAPHICAL ASSOCIATION
雑誌
東北地理 (ISSN:03872777)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.133-147, 1989-11-30 (Released:2010-04-30)
参考文献数
35
被引用文献数
1

歴史時代の地形を復元するには, 地形学においては従来地質学的データに比し等閑視されがちであった絵画資料を, より活用すべきである。さきに筆者は磐梯山1888年噴火の多段階崩壊仮説を呈示したが, 本論文では絵画資料を用いてその補訂を行う。新たに得られた噴火実況スケッチは新田図と小林手書き図で, 前者は噴火の模様を描き, 小磐梯の形態と名を記入し, 頂上付近を残したまま噴煙を南東になびかせているなど, 筆者の多段階崩壊説を支持する。後者には5段階の噴火過程が描かれており, 小林印刷図や大伴図との対比により, 噴火の過程がより詳細に解明された。次に磐梯山の三つの山頂を同じ方角から描いた江戸時代後期以降の絵の形態表現の正確さを比較し, 江戸後期の真景図は部分描写に優れていることを知った。噴火で失われた小磐梯の山頂の細部は不明確であったが, 江戸後期の真景図 (遠藤香村「信遊紀行図絵」と白雲「磐城紀行図巻」) および高島北海の絵を用いて地形模型を作成し, 小磐梯山山頂にそれぞれ二つの突出部を持つ二つのピークがあったと推定した。この模型と写真との照合から, 筆者の多段階崩壊仮説, すなわち「1888年磐梯山噴火の第一段階に山腹の現銅沼付近に崩壊が発生した」という推論に, 今回さらに「ほぼ同時に山頂部の北東端のピークないしは突出部が崩壊した」という想定が付加された。
著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.52, no.3, pp.191-194, 2000-08-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10
被引用文献数
1
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.14, no.2, pp.133-147, 2013-05-01

宮沢賢治は石川啄木の短歌に強い影響を受けたが、啄木の北へ走る電柱列の歌も、賢治の童話「月夜のでんしんばしら」に影響を与えた。「月夜のでんしんばしら」は停車場近くの線路で電信柱の列が兵隊になり歩き出す話で、電気総長が号令をかけていた。汽車が来ると電信柱に戻る。従来は電気と鉄道の童話とされていたが、シベリア出兵の日本軍、特に花巻で演習をした盛岡駐屯の工兵隊などの出動を素材にしたことがわかった。賢治作曲の彼らの軍歌はオペラ「カルメン」の「アルカラの竜騎兵」の曲と日本陸軍のラッパの曲とを基にしている。作品に工兵のほか竜騎兵や擲弾兵など19 世紀の欧州の古風な兵種名が登場するのは、ロシアに攻め込んだナポレオン軍の敗退をシベリア出兵に重ねたからで、トルストイの小説「戦争と平和」やハイネの詩「二人の擲弾兵」などを念頭に置いている。電気総長は当時の日本陸軍の実質上の最高指揮官である上原勇作参謀総長をモデルにしている。この作品が書かれた1921 年には上原の指揮の下で日本陸軍はシベリア出兵を行っていた。既に出兵の大義は消失し、革命勢力の優勢が決定的になるにつれて撤退は必至となっていた。「月夜のでんしんばしら」は一見、幻想的な童話にみえるが、実はシベリア出兵を継続する日本軍部への批判の込められた作品だったのである。
著者
島田 直明 米地 文夫
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.119-131, 2006-03-01

カラマツは宮沢賢治作品への登場頻度の高い樹木である。そのカラマツ林やその周辺の景観について賢治の描写を分析するとともに、同時代の代表的詩人北原白秋の作品と比較検討を行った。本論文では特に心象スケッチ『春と修羅』のなかの作品群に描かれたカラマツに着目した。それらの多くは岩手山麓の牧草地や放牧地の防風林としてのカラマツ林であった。賢治の作品から1920年代の岩手山麓は、草地や草地から遷移が進んだ森林、カシワ林などさまざまな植生タイプがみられ、また草地を囲むようにカラマツ林が列状に連なる景観であったと読み取れた。旧版地形図や岩手県統計書などの資料から判読した当時の景観も同様であり、賢治が『春と修羅』の作品群において正確に景観を描写していたことが検証できた。一方、北原白秋の有名な詩「落葉松」は、カラマツ林の中に歩み入り、また歩み去る己れを抒情的に詠いあげた。この詩人の絶唱ともいうべき作品ではあるが、カラマツ林の景観そのものについては全く描写していない。これに対して、賢治はカラマツ林の景観をナチュラリストの眼で観察し、心象スケッチという形で具体的に描写・記録した。彼はのち,カラマツを用いて景観を造る「装景」をも考えていたのであった。
著者
米地 文夫
出版者
岩手県立大学
雑誌
総合政策 (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.145-152, 2000-11-01

西川如見(1648-1734)は長崎の人で天文学者・地理学者である。彼は地形を科学的に観た最初の日本人学者である。なぜならば彼は著書『怪異辨断』(1715)において,天文と地文(自然地理)に関係した諸現象について科学的に論じている。彼は当時,西洋の地球球体説を理解していた数少ない日本人学者の一人であり,同書において,地球が丸いことを科学的に解説している。如見はまた,『怪異辨断』において多くの自然地理ないし地形学的現象について論じ,それらは怪異ではなく,科学的合理的に説明できる自然現象であることを説いた。例えば彼は,地すべりを,その土地の地質・地形的な性質と結び付け,一種の簡易な実験を用いて説明した。彼はまた,世界各地の自然地理〜環境に関する情報,例えばイタリアの火山やアラビアの沙漠などに関する情報も紹介している。
著者
米地 文夫
出版者
東北地理学会
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.46, no.1, pp.37-41, 1994-03-25 (Released:2010-04-30)
参考文献数
10
著者
米地 文夫
雑誌
総合政策 = Journal of policy studies (ISSN:13446347)
巻号頁・発行日
vol.9, no.1, pp.17-34, 2007-12-01

宮沢賢治の短編「猫の事務所」は,事務所の末席の書記かま猫に対する「いじめ」の問題を取り上げた作品として近年注目されているが,結末では訪れた獅子によって解散を命じられ,廃止となる。本論文はこの作品が実は政治的世界・民俗的世界・賢治の内面世界の三者が重層的に組み込まれたものであることを明らかにするものである。組み込まれた政治的テーマは郡役所廃止問題で,「猫の事務所」の位置や役割,事務室の人員構成などの描写から稗貫郡役所がモデルであり, 1926(大正15)年6月30日に閉鎖になる。「猫の事務所」はこの年の3月に発表されている。郡役所の廃止は既定のことではあったが遅延していたのを,浜口雄幸蔵相の緊縮財政のもと廃止が確定し,浜口が内相の時,廃止される。獅子はライオンとあだ名された浜口なのである。この物語の民俗的な背景は,竈の煤で黒く汚れた猫をかま猫と呼ぶことと,獅子舞が火伏せの竈祓いに訪れることなどである。獅子はかま猫の守護神のような存在なのである。さらに,同僚に対する態度を自省する賢治自身の心境も反映したものである。すなわち「猫の事務所」の獅子による解散は郡役所廃止と浜口雄幸の決断とをカリカチュア化したものであり,主人公かま猫と巡回してきた獅子というキャラクターは,竈をめぐる民俗から生み出され,職場の同僚による「いじめ」は賢治自身の職場体験によるものであった。
著者
中嶋 文雄 米地 文夫
出版者
岩手大学教育学部
雑誌
岩手大学教育学部研究年報 (ISSN:03677370)
巻号頁・発行日
vol.71, pp.53-55, 2011

明治27年(1894年)に刊行された志賀重昂の著書「日本風景論」[1]における中心的命題の一つは、富士山が世界一の名山というべき美しさを有することの科学的裏付けとしてその形状が対数曲線であるということである。そして文脈からしてこの事が志賀自身の発見によるかのごとく書かれている。しかし1989年と1990年の日本地理学会において、本論文の著者の一人である米地文夫により、この命題は当時の日本の帝国大学工科大学の教授を務めていたイギリス人の地質学者であるJohn Milne の論文[2a]からの剽窃であることが指摘された[3a][, 3b]。問題となったのは[1]の89ページの次の文節である。
著者
米地 文夫
出版者
The Tohoku Geographical Association
雑誌
季刊地理学 (ISSN:09167889)
巻号頁・発行日
vol.55, no.4, pp.252-255, 2003-12-31 (Released:2010-04-30)
参考文献数
13
被引用文献数
1 1