著者
荻野 晃也
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.116-122, 2004-04-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
稲村 博央 野間 裕子 荻野 晃大 庄司 裕子
出版者
Japan Society of Kansei Engineering
雑誌
日本感性工学会論文誌 (ISSN:18845258)
巻号頁・発行日
vol.9, no.2, pp.251-257, 2010 (Released:2016-11-30)
参考文献数
14
被引用文献数
1 2

There are many existing studies on information recommendation technology for presenting information better suited for the user's preference; however, no existing studies took account of human nature of being tired of the same old thing. This study has proposed a Kansei model that can be conscious of the boredom that arises from similar things repeated. Specifically, the model takes menu planning as a problem domain and formulates a sense of being tired of the same old thing. In addition, the study applied this Kansei model to actual data of menu planning and simulated a transition of the monotonousness level. Finally, it carried out an experiment with subjects to make a subjective evaluation for the same actual data, compared with a simulation result obtained using the model, and discussed the validity of the model created in this study.
著者
荻野 晃
出版者
日本スラヴ・東欧学会
雑誌
Japanese Slavic and East European studies (ISSN:03891186)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.59-72, 159-160, 2002-03-31

このペーパーの目的は、1956年11月のハンガリー事件の後、社会主義労働者党第一書記カーダール・ヤーノシュがどのように党内基盤を固めたかを探ることにある。冷戦終結後にハンガリーの公文書が公開されると、ハンガリー事件当時の首相ナジ・イムレの裁判が、戦後史の見直しにおける重要な争点となった。ハンガリー事件の最中に一党支配の放棄、ハンガリーのワルシャワ条約機構脱退と中立化を宣言したナジは、最終的に1958年6月に処刑された。筆者は近年の研究動向を踏まえながら、ナジ問題とカーダールを中心とする社会主義労働者党中央委員会の発足との結びつきを検証する。56年11月4日のソ連のハンガリーへの軍事介入の後、カーダールが政権を握った。成立当初、カーダール政権は困難な状局に直面した。軍事介入の直後、ナジと彼の同僚たちがブダペシュトのユーゴスラヴィア大使館に避難し、カーダール政権への支持を拒否したのである。ナジの処遇は、社会主義労働者党内部における国内政治の路線をめぐる論争の争点の一つになった。ソ連型社会主義制度の改革を意図する党内の穏健派は、国内の安定化をはかるためにナジや反体制派との妥協を意図した。それに対して、早急に一党支配体制の再建をはかるカーダールを含めた強硬派には、秩序の回復のために反体制派に対して強硬姿勢でのぞむ用意があった。実際に、カーダールはソ連によるナジの身柄拘束に協力した。ナジが社会主義労働者党との妥協を拒否した時、カーダールと彼の協力者たちは、ソ連の圧力にかかわりなく、自発的にナジを反革命の罪で起訴する方針を固めた。カーダール自身、国内改革の必要性を認識していた。しかし、カーダールはナジに強硬姿勢を取ることで、改革よりも社会主義体制を強化することを優先させた。カーダールはナジを葬り去ることなしに、一党支配体制を堅持した彼自身の穏健な改革路線を確立できないと判断した。さらに、ナジの起訴の決定後、ナジとの妥協に固執した穏健派は、党中央委員会から排除された。57年4月の社会主義労働者党暫定執行委員会(政治局)によるナジの起訴の決定は、ソ連の軍事介入後のハンガリーにおける社会主義体制の再建とカーダールのリーダーシップの確立へ向けた重要なターニング・ポイントになった。カーダールがナジの急進的な改革路線との連続性を絶った時、カーダール時代が始まったのである。
著者
荻野 晃也
出版者
物性研究刊行会
雑誌
物性研究 (ISSN:05252997)
巻号頁・発行日
vol.82, no.1, pp.116-122, 2004-04-20

この論文は国立情報学研究所の電子図書館事業により電子化されました。
著者
荻野 晃
出版者
ロシア・東欧学会
雑誌
ロシア・東欧学会年報 (ISSN:21854645)
巻号頁・発行日
vol.2000, no.29, pp.86-94, 2000 (Released:2010-05-31)
参考文献数
35

The aim of this paper is to examine the beginning of the reformer-line in Hungary. Hungary carried out reforms of its agricultural and economic systems after the mid 1960s. The author analyses how the Imre Nagy-problem influenced Hungarian domestic policy. Nagy was the Prime Minister during the Hungarian Revolution of 1956 and declared a renunciation of the one-party rule and a withdrawal from the Warsaw Pact. The Soviet army arrested him after the military intervention in Hungary of November 1956. After the Soviet military intervention, János Kádár, the First Secretary of the Hungarian Socialist Workers' Party, took over the reins of the government with the intention of domestic reform. But he couldn't carry out the reform because of the unstable domestic situation and relations with the Soviet Union. He had to restrain the Soviet Union from intervention in internal affairs in Hungary on the condition that he established the reformer-line. So he consolidated his hold on the country by oppressing opponents and restoring the old socialist system. Kádár executed Nagy in June of 1958. He took the initiative in the execution without instruction from the Soviet Union. Nagy's execution was the climax of the restoration of the socialist system after the Hungarian Revolution. Kádár tried to show the Soviet Union that executing Nagy had discontinued Nagy's radical reform. After the Nagytrial he gradually loosened domestic controls and established the reformer-line, within the one-party rule in the early of 1960s. The fast step of Hungarian reformer-line in the Kádár-era was to restore the socialist system at the end of 1950s.
著者
荻野 晃
出版者
日本外科代謝栄養学会
雑誌
外科と代謝・栄養 (ISSN:03895564)
巻号頁・発行日
vol.54, no.2, pp.71-76, 2020 (Released:2020-05-15)
参考文献数
25

L‐カルニチンは長鎖脂肪酸のエネルギー産生, 生理機能の保持に重要な役割を果たしており, 生命活動に必要な栄養素である. また, 必要量の75%を食事に依存する条件的必須栄養素である. L‐カルニチン欠乏症を発症する病態は多岐にわたるが, 静脈・経腸栄養施行患者においてもL‐カルニチン欠乏症が報告されており, L‐カルニチン補充の必要性が指摘されている. 本邦では静脈・経腸栄養施行時におけるL‐カルニチン欠乏症はあまり問題とされていないが, 欧米の栄養学会ではL‐カルニチンの補充が推奨されている. L‐カルニチン欠乏症の治療には補充療法としてレボカルニチン製剤を投与する. また, L‐カルニチン添加の経腸栄養剤がL‐カルニチン欠乏症の予防に有効である. 最近, 医薬品L‐カルニチン添加経腸栄養剤としてエネーボ®配合経腸用液, イノラス®配合経腸用液が発売され, 経腸栄養施行患者のL‐カルニチン欠乏症の予防に期待される. 一方, 静脈栄養剤ではいまだ静脈栄養用L‐カルニチン製剤は存在しておらず, 今後の開発が望まれる.