- 著者
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藤田 秀樹
- 出版者
- 富山大学人文学部
- 雑誌
- 富山大学人文学部紀要 (ISSN:03865975)
- 巻号頁・発行日
- no.60, pp.109-123, 2014-02-17
「父子関係」は,クリント・イーストウッドの1990年代以降の監督作品を彩る重要な主題のひとつと言える。本論では,「父子関係」の物語の系譜に連なる作品のひとつである『グラン・トリノ』を取り上げる。この映画では,イーストウッド演ずる実の息子たちと疎遠な状態にある老人と,彼の隣家に住み父親が不在で自分以外は女性ばかりという家族の中に置かれているせいか,どこか男性性が希薄,脆弱で周囲から孤立気味の若者との関係性に焦点が当てられる。老人は若者に男としての立居振舞いを,さらには仕事という形で社会に居場所を見出せるようにもの作りや修理の技術を教え込み,その過程で二人の間に父子的な関係性が醸成されていく。この二人の「父子関係」はインターレイシャルなものなのである。そして物語の大団円において,老人はこのアジア系の若者の未来を守るために自らの身を犠牲にして凶弾に倒れ,さらに,彼が宝のように愛蔵し作品のタイトルにもなっているフォード社製造の自動車を若者に遺贈したことが明らかになるとともに物語は閉じる。父が自らの遺産や使命を息子に託するということは父子関係を特徴づけるモチーフのひとつだが,この作品ではそれが白人の「父」とアジア系の「息子」との間で成されるのである。イーストウッド自身がこの映画について,アメリカの「現状に結びついているともいえる」ことだが「ひとつの時代の終わり」が描かれている,と語っているように,「転換」もしくは「変わり目」といった気配が物語のそこかしこに立ち現れる。そしてそれは,この映画が制作された当時の時代状況を少なからず反映するものなのであろう。何かが廃退し終焉を迎えようとしており,別の何かがそのあとを継ごうとしている。そしてそのような事態は,「継承」という位相を通して父子関係の主題に接続する。とすれば,「息子」が「父」から継承し作品のタイトルにもなっている「グラン・トリノ」は,単なる一車種を超えた意味を帯びたものに他なるまい。以上のようなことを念頭に置きつつ,『グラン・トリノ』という映画テクストを読み解くことを試みる。