著者
吉田 純 高橋 三郎 高橋 由典 伊藤 公雄 新田 光子 島田 真杉 河野 仁 植野 真澄 田中 雅一 Fruhstuck Sabine Dandeker Christopher Kummel Gerhard Patalano Alessio
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2014-04-01

現代日本のミリタリー・カルチャーの2つの構成要素、すなわち、(a)メディア・大衆文化に表現される戦争・軍事組織のイメージ、(b)軍事組織(自衛隊)に固有の文化について、平成26年度には歴史社会学的観点から、平成27~28年度には比較社会学的観点から、それぞれ調査研究を実施した。研究方法としては、インターネット意識調査、文献調査、映像資料調査、博物館・資料館等の現地調査、および関連研究者・実務者へのインタビュー調査等の方法をとった。これらの調査研究で得られた知見を総合した研究成果を、平成29年度中に、研究代表者・分担者の共著として出版予定である。
著者
高橋 由典
出版者
社会学研究会
雑誌
ソシオロジ (ISSN:05841380)
巻号頁・発行日
vol.63, no.3, pp.3-21, 2019-02-01 (Released:2021-07-10)
参考文献数
10

本稿は一九六〇年代初頭に少年たちを主たる担い手として生じたモデルガンブームを取り上げ、それを正確に記述することを通して、このブームの社会学的な含意を明らかにすることをめざす。 一九六〇年代初頭、少年週刊誌を主たる舞台として、戦争ブームが起こった。戦後十数年を経て突如生じたこの戦争への熱狂は、戦後史の観点からも社会学の観点からも興味深いものであり、研究者の関心を引いてきた。モデルガンブームはこの戦争ブームとほぼ同時期に生じたものであり、両者を合わせて考えると、この時期に、人間を殺傷する暴力への関心が少年たちの間で異様に高まったようにみえる。この文脈でモデルガンブームを考えることが、本稿の課題である。 モデルガンは収集を目的としてあるいは審美的理由で欲望されたのではなく、それを使って遊ぶために欲望された。 モデルガンブームの中心には、モデルガン遊びがある。モデルガンへのそのような一時的かつ集合的な熱狂は、当時国民的人気を博していたテレビ西部劇をきっかけとして生じた。モデルガン遊びとは、テレビ西部劇を再現する遊びにほかならない。その際の焦点は暴力なので、それは暴力の上演とよびうる。むろん暴力の上演には多様なものがある。モデルガン遊びという暴力の上演に固有の特徴は何か。この問いに対し、本稿は、作田啓一の虚構の重層化に関する議論、あるいは見立て忘却、体験選択といった筆者独自の概念に依拠しつつ、また上述の戦争ブームについての分析を深化させることを通して、鍵となるのは「アメリカ」ではないかという仮説を提示している。
著者
高橋 由典
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.39-55, 2016

<p>本稿は, 井上俊の著名な青年文化研究に含まれる理論的な脆弱さに着目し, 行為論の角度から彼の遊び論を批判的に検討しようとする試みである.</p><p>周知のように, 井上は1970年前後の青年層を「遊びの精神」によって特徴づけた. 井上の「まじめ―実利―遊び」の区分は, R. カイヨワの「聖―俗―遊」というアイディアを行為論の枠組みに転用したものである. それゆえ井上のいう「遊びの精神」にはカイヨワの影響が色濃い. 首尾一貫した行為論的認識枠組みを構成するためには, カイヨワから離れ, 理念や利害とは異なる第三の動機が何かを徹底して考え抜く必要がある. 本稿はその第三の動機の本体を体験選択とみなし, 井上のいう「遊びの精神」は体験選択動機の一つの表現型であると考える. 井上が遊びの精神という言葉で示そうとしていた内容を, 井上の前提 (行為論の枠組み) を共有しかつ論理的一貫性に注意しつつ突きつめていくと, 体験選択ないし体験選択動機という用語に行き着く. これが批判的検討の結論である. この議論を受けて, 最後に, 人物ドキュメンタリーを素材に体験選択動機の現在が語られる. 体験選択価値が上昇するとともに体験選択自体が変質したというのが, そこで提示される認識である.</p>
著者
高橋 由典
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.67, no.1, pp.39-55, 2016 (Released:2017-06-30)
参考文献数
18

本稿は, 井上俊の著名な青年文化研究に含まれる理論的な脆弱さに着目し, 行為論の角度から彼の遊び論を批判的に検討しようとする試みである.周知のように, 井上は1970年前後の青年層を「遊びの精神」によって特徴づけた. 井上の「まじめ―実利―遊び」の区分は, R. カイヨワの「聖―俗―遊」というアイディアを行為論の枠組みに転用したものである. それゆえ井上のいう「遊びの精神」にはカイヨワの影響が色濃い. 首尾一貫した行為論的認識枠組みを構成するためには, カイヨワから離れ, 理念や利害とは異なる第三の動機が何かを徹底して考え抜く必要がある. 本稿はその第三の動機の本体を体験選択とみなし, 井上のいう「遊びの精神」は体験選択動機の一つの表現型であると考える. 井上が遊びの精神という言葉で示そうとしていた内容を, 井上の前提 (行為論の枠組み) を共有しかつ論理的一貫性に注意しつつ突きつめていくと, 体験選択ないし体験選択動機という用語に行き着く. これが批判的検討の結論である. この議論を受けて, 最後に, 人物ドキュメンタリーを素材に体験選択動機の現在が語られる. 体験選択価値が上昇するとともに体験選択自体が変質したというのが, そこで提示される認識である.
著者
高橋 由典
出版者
The Japan Sociological Society
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.56, no.4, pp.830-846, 2006-03-31 (Released:2009-10-19)
参考文献数
14

体験選択とは, 行為選択の第三の規準 (感情性の規準) を適切に表現するため筆者によって案出された概念だが, これまでのところ, 体験選択の種差をめぐる議論は十分になされてはいない.この稿では, 体験選択一般についての議論から歩を進め, 開いた社会性と結びつく体験選択を取り上げることにする.開いた社会 (société ouverte) とはいうまでもなく, ベルクソンに由来する概念である.開いた社会性につながる体験選択は, その後の行為選択へ甚大な影響を与える.それゆえこの種の体験選択について考察を進めることは, 行為選択の第三の規準を考える上できわめて有意義であるにちがいない.最初に具体例およびベルクソンのテキストに依拠しながら, 開いた社会性それ自体の意味が検討され, それが動性に関係する概念であることが明らかにされる.ついでこの意味での社会性と体験選択のつながりについての言及がなされ, 開いた社会性と結びつく体験選択の位置が明確にされる.開いた社会性はどのような行為選択を結果するのだろうか.行為論的な観点からは, この問いは大きな意味をもつ.そこで多元的現実論などを参照しつつ, 動的な意思決定の可能性が示唆されるに至る.最後に開いた社会概念の応用の先例としてコミュニタス概念が取り上げられ, この稿の方法論的な意義が確認される.
著者
森實 雅司 讃井 將満 岩谷 理恵子 高橋 由典 上岡 晃一 山香 修
出版者
一般社団法人 日本集中治療医学会
雑誌
日本集中治療医学会雑誌 (ISSN:13407988)
巻号頁・発行日
vol.24, no.4, pp.423-425, 2017-07-01 (Released:2017-07-05)
参考文献数
3
被引用文献数
1

【目的】急性期病院における持続的腎代替療法(continuous renal replacement therapy, CRRT)関連業務の実情は明らかでない。CRRT関連業務の発生時間帯および管理体制について多施設実態調査を行った。【対象と方法】24施設において2013年1月から12月までに行われたCRRT 1,785例6,024回路交換を対象とし,初回CRRTの導入および回路交換が行われた時間帯別総数および管理体制を臨床工学技士(clinical engineer, CE)の24時間院内常駐体制(以下,CE常駐)の有無で比較した。【結果】CE常駐ありの施設は12施設(50%)であった。8~17時:17~8時の初回CRRT導入および回路交換の総数の比はそれぞれ50.4:49.6,70.6:29.4であった。CE常駐なしの施設における夜間のプライミングや返血操作は多くが医師・看護師によって行われ(P<0.05),CE常駐ありの施設に比べて実施が控えられていた(P<0.01)。【まとめ】CRRT関連業務は昼夜を問わず発生するが,CEの24時間院内常駐体制を整備している施設の割合は高くなく,CRRT関連業務に関わる職種とその実施状況はCEの夜間勤務体制に影響されていることが明らかとなった。
著者
高橋 由典
出版者
日本社会学会
雑誌
社会学評論 (ISSN:00215414)
巻号頁・発行日
vol.31, no.3, pp.2-16, 1980-12-31

日常生活の様々な場面で、他者は「自己」を視つめる人 (オーディエンス) としての役割を演じる。この「オーディエンスとしての他者」の諸相を明らかにすることが本稿の目的である。オーディエンスは「自己」に対して果す機能の違いによって「監視者としてのオーディエンス」と「観客としてオーディエンス」に二分される。また占める〈位置〉の違いによってそれは「直接的なオーディエンス」と「内的オーディエンス」とに分けられる。<BR>これまで社会学の領域では「観客としてのオーディエンス」の側面が比較的閉却されてきた。自己呈示はこの「観客としてのオーディエンス」に対して行なわれる。そのさい観客からの反応を呈示者がどう位置づけるかに応じて、功利的と美的という二つの自己呈示が区別される。前者の場合、反応は専ら功利的目的実現のために利用される。これに対して後者の場合、反応はあくまで自己呈示の美的効果を保証するものとみなされる。内的オーディエンスを観客とする美的自己呈示 (ダンディ的自己呈示) において、呈示者 (演技者) は美的完全性をめざそうとする。けれども彼のその企てには当然困難が伴なう。自己呈示という他者依存的な場において美的完全性 (という他者非依存) を実現しようとすることは、本来自己矛盾だからである。
著者
高橋 由典 伊藤 公雄 新田 光子 吉田 純 河野 仁 植野 真澄 高橋 三郎 島田 真杉
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2009

当初の計画に従って、戦友会関係者へのインタビュー調査を行うとともに、全国に散在する戦友会関係文献資料の収集・分析を行った。これらの調査結果と戦友会に関する統計調査(2005年、未公刊)の結果とを合わせ、戦友会に関する総合的研究の成果報告書として『戦友会研究ノート』(青弓社刊、2012年)を刊行した。同書によって戦友会をめぐる諸問題が網羅的に解説されるとともに、戦後日本社会における戦友会の意味も明らかにされた。