著者
黒髪 恵 今辻 由香里 佐久間 良子 有田 久美 皿田 洋子
出版者
医学書院
雑誌
看護教育 (ISSN:00471895)
巻号頁・発行日
vol.48, no.9, pp.831-836, 2007-09-25

はじめに 人間が「泣く」ことの意味は,心理学的には,感情の蓄積を浄化するために泣くカタルシス理論がある。また,相手の反応に対して行動で反応し欲求を満たすという行動理論と,過去の記憶によって同じような事象が起こると泣くという認知理論からも説明されている。つまり,人間にとって「泣く」ことは,情動表出の一つの行動であり,情緒安定のために必要な行動であるといえる。 看護学生は臨地実習中,「泣く」ことが多いように思える。指導者に聞くと,泣く場面には一貫性はなく,優しい言葉をかけても,厳しい言葉をかけても,挨拶をしただけでも「泣く」ことがあるということであった。学生は18歳以上であり,発達段階から考えても,安易に「泣く」ことは考えにくい。したがって,看護学生の「泣く」行動には,何か意味があるのではないかと考えられた。 看護学生の臨地実習中に「泣く」ことに関する過去の研究で,寺本1)は,学生が泣く意味は,患者?学生関係の悩み,学生自身の課題,臨床指導者の非教授活動であったと述べている。しかし,これは教育者を対象にした調査であり,看護学生が「泣く」に至る構造は明らかにされていない。 そこで今回,学生を対象にどのような場面で泣いているのか,学生が「泣く」ことの裏にどのような心理的構造が潜んでいるのかを調査することで,臨地実習での効果的な指導方法を得ることができると考えた。
著者
津金 亜貴子
出版者
医学書院
雑誌
看護教育 (ISSN:00471895)
巻号頁・発行日
vol.48, no.10, pp.861-863, 2007-10-25

日本全国をまわり,「老い」をテーマにお年寄りの写真を撮る人がいると聞いて会いに行った。山本宗補さんは1985年以来,フォトジャーナリストとしてミャンマー(当時ビルマ),イラク,フィリピンなど世界各地で不条理な死を見つめてきた。たった1枚のスチール写真が,何十万,何億人に語りかける。喜怒哀楽やさまざまな感情につつまれた人間の「生」を四角い枠に切り取るとき,そこに込める山本さんの思いを聞いてみたかった。待ち合わせ場所に現われた山本さんは,人懐っこそうな笑顔を見せた。
著者
榊原 哲也
出版者
医学書院
雑誌
看護教育 (ISSN:00471895)
巻号頁・発行日
vol.59, no.5, pp.398-403, 2018-05-25

近くて遠いベナー パトリシア・ベナー(Patricia Benner, 1943─)。おそらく読者のみなさん誰もがご存知の看護理論,看護教育理論の世界的権威です。多くの著作が日本語に翻訳され,読者の関心も高く,みなさんの多くは,おそらく書棚に『ベナー看護論』をはじめ何冊かの著作を備え,多少なりともその理論にふれておられることと思います。また,たびたび来日して講演会や講習会が開かれていますので,みなさんのなかには,書物を通じてだけでなく,講演会や講習会に参加してベナーの話に直接耳を傾けた方もおられるかもしれません。さらに,ベナーによる5段階の技能習得モデルがご自身の臨床現場で教育プログラムやキャリアラダーに採用されていて,とても身近だという方もいらっしゃるのではないかと察します。 このように,おそらくは,多くのみなさんがベナーに関心を持ったり,身近に感じたりしているにもかかわらず,他方では,実際にベナーの著作を読んでみると,難しい,そもそも理論はよくわからないという方も,決して少なくないと聞き及びます。
著者
五島 瑳智子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1022-1024, 1998-12-25

昨年度,東邦医療短期大学の男子学生が母子看護学を専攻し,助産婦国家試験を受験する資格があったにもかかわらず受験できなかった.助産士問題の現在を学長の五島先生にうかがった.
著者
寺本 美欧
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.79, 2021-01-25

生きた経験を未来につなげるための一冊 医療者に特化し、最新の海外文献が盛り込まれたメンタリングを解説した翻訳本はこれまでになかっただろう。かつ、従来の「メンター」に向けられた心得だけでなく、メンタリングを受ける側の「メンティー」に向けての心構えまでを網羅しており、『医療者のための成功するメンタリングガイド』というタイトルにも納得だ。先日、突然とある看護大学の学生さんから連絡が来た。将来看護師になりたい、留学もしたい、両方実現している私の話を聞きたい、とのことだ。早速オンライン上で話し、まっすぐな思いと情熱に心を動かされたと同時に、自分が提供できる情報もコネクションも、すべて惜しみなく彼女に活用してもらいたいと思った。それが、私のなかで初めて「メンター」の役割が芽生えた瞬間だ。メンティーからメンターへの転換期を迎えようとしている私にとって、絶妙なタイミングでの本書との出合いに感謝したい。 看護の世界でメンタリングという用語はあまりなじみがないかもしれない。プリセプターシップという一般的に病院で活用されている指導方法や、「指導者さん」と呼ばれる看護学生を指導する教育者など、看護の現場でなじみのある手法は多々あるが、メンタリングはそのどれとも異なる。本書を読了して感じた他との大きな違いは、メンタリングには互いに取捨選択できる権利があるということだ。著者によると、「メンターを引き受ける前に、メンティーになる人を慎重に吟味したほうがよい。その人物の成功の手助けをするということは、あなた自身の時間と個人的なエネルギーを犠牲にする、ということなのだ。だからこそ、軽々しく決断すべきでない」(Chapter 1、p.6)とある。逆もまたしかりで、メンティーも誰にメンターを依頼すべきかを吟味する必要がある。一見すると全員のメンターを引き受けないのはやや冷たく感じるかもしれないが、本書を手に取ればこの言葉の意味が理解できる。メンターになるということは、責任を伴い、支え合うという契りを結ぶことでもある。安易にメンターにならない、というのは誠実の表れだと感じた。本書には、メンタリングとの誠実な向き合い方が随所にちりばめられている。この新しいメンタリングという関係性が看護にも取り入れられれば、看護師としての熟練した知識や技術を次世代につなげるだけでなく、看護師のキャリアや選択肢が開けてくるという無限の可能性が広がるのではないか。
著者
松浦 年男
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.1102-1110, 2020-12-25

私は人文社会系の3学部を配する学生数3,800名の小〜中規模大学において、教養教育を担う部門に所属する。専門分野は言語学・音声学だが、日本語を特に対象とすることから、授業では初年次教育としての日本語科目を十年来担当している。 初年次教育の日本語科目では卒業研究やゼミ論文の執筆を見すえて、レポートや論文などの硬い文章の執筆にかかわる能力の育成を目的とし、さまざまな練習や添削などを行っている。これらは大学教育のなかに閉じるものではなく、当然のことながら卒業後に求められる文章執筆にかかわる能力でもある。そのため、専門教育とは別の次元で、学生の将来ともかかわりが深いものとなっている。
著者
久保 成子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.358-361, 1997-05-25

私の脳裏をかすめたこと 1996年12月,厚生省の「准看護婦問題調査検討会」が報告書をまとめた.発表された報告書には,将来的展望として「現行の准看護婦養成課程の内容を看護婦養成課程の内容に達するよう改善し,21世紀初頭の早い段階を目途に,看護婦養成制度の統合に努めることを提言する」とある.そのために,①地域医療の現場に混乱を生じさせないようにすることが不可欠であり,国において医療機関に看護職員を提供できる体制の整備に努めるべきこと,②現在就職している約40万人の准看護婦・士が看護婦・士の資格を取得するための方策を検討すべきこと,等々が提言されている. この①に関連して危惧される,過去に起こった出来ごとが私の脳裏をかすめた.それは,「副看護婦養成」の問題である.副看護婦の問題は昨1996年12月初旬(メディファクス2649,同2650号),日本医療労働組合連合会,東京地方医療労働組合連合会によってその存在が現在の看護関係者にも明らかにされつつあるが,乏しい資料注1)から私が知り得た養成の経緯について考えてみたい.
著者
佐藤 由貴子
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.696-699, 2007-08-25

はじめに 清潔の援助には生理的・精神的・社会的意義があり,身体を清潔に保ち身だしなみを整えることは,人の基本的ニーズの一つである。 私は看護学実習において,統合失調症慢性期患者のAさんを受け持った。精神症状が強く無為状態で,自発的に清潔行動がとれないため,不潔な状態でいることが多く,気にしている様子もみられなかった。そこで清潔援助を行い,清潔でいることの心地よさを知ることで,快の感情に働きかけ,健康時の清潔レベルに少しでも回復するように図った。 最初は無表情だったAさんが言葉を発し,笑顔を見せるようになり,介助により自発的な清潔行動をとるようになった。無為状態の患者に対しての清潔援助には,清潔観念や快の感覚を呼び覚ます心理的な意義があることを学んだ。ここにその学びを報告する。事例から得たすべての情報は,個人が特定できないように配慮した。
著者
康永 秀生
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.362-365, 2021-04-25

はじめに このたび、「はじめての医療経済学」というタイトルで、医療経済や医療政策に関する連載をさせていただくこととなりました。筆者は現在、東京大学大学院医学系研究科公共健康医学専攻において、おもに臨床疫学と医療経済・政策学の教育と研究に携わっています。 経済学というとカネの話か、と誤解されることも多いのですが、経済学は時間・人・モノなどを含めた資源を効率的に使うことを考えたり、人々の意思決定の根本にある原理を考えたりする学問です。医療に関しては、過剰な受診をする患者や不必要な処方を行う医師などをどうすれば減らせるか、といったことも研究の対象です。なお、経営学とは異なります。 読者の皆さんの多くは、看護師養成学校の教員をされていると思います。すでに医療経済や医療政策に関する知識をおもちの方もいるでしょうし、逆に「経済」「政策」といった言葉に苦手意識をもつ方も少なくないかもしれません。本連載は、まずは医療経済や医療政策に興味をもっていただき、その基本知識を身につけていただくことを主眼とします。 大学や専門学校では、カリキュラムの大部分が医学・看護の基礎知識や看護技術などの習得にあてられ、学生が医療経済や医療政策について深く学ぶ機会は少ないかもしれません。なかにはメディアによってやや歪められて伝えられている「医療崩壊」や「医療現場の疲弊」というワードに敏感に反応し、不安をいだいている学生もいるでしょう。そういった不安は、知識の不足に起因することもありますので、ある程度の基礎知識を身につけておくことは、今後ますます必要となっていくと思われます。 これまで日本では、医療経済や医療政策は政府や職能団体に任され、現場の医療従事者は決められたシステムの枠内で、日常臨床を最適化することに終始してきました。しかし多くのシステムは老朽化し、変化する医療需要に対応しきれず、それ自体が機能不全に陥りつつあります。これからは、個々の医療従事者が医療経済や医療政策の基本を理解したうえで、医療現場でまさに生じている課題を認識し、その改善や是正に向けた提言を発していくことが重要になるでしょう。 このような状況の変化に伴い、読者の皆さんは、看護教育者として、学生に医療経済や医療政策の正しい知識を伝えるよう求められる機会が増えるかもしれません。現状を冷静に分析し行動することの重要性を伝えていくために、教育者自らが素地を身につけておくことは今後きっと役に立つでしょう。本連載で得られた知識を、各学校の授業で学生に解説していただければ大変ありがたく思います。 本連載では、医療従事者になじみの深いテーマを各回に設定し、それらについて医療経済・政策学の基礎知識をまじえて解説します。第1回のテーマは「なぜ国民皆保険なのか」です。中学校や高校の教科書にも、日本が国民皆保険制度をとっていることが書かれていますが、その理由までは書かれていません。なぜそうしているか、結論を簡潔に言うと、企業や個人の合理的な行動に任せていると、保険本来の機能が果たせなくなってしまうからです。 今回はまず保険の理論をわかりやすく解説してから、海外(特にアメリカ)の医療保険制度を俯瞰して、日本の国民皆保険制度のどこがいいのか、国民皆保険でないとどうなるのかなどを解説していきます。
著者
栗原 房江
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.658-663, 2017-08-25

相対的欠格事由改正後の動き 本誌57巻11号(2016年11月号)誌上で,相対的欠格事由改正後,初の保健師・助産師・看護師免許付与数の公開について報告1)しました。その際,2001年改訂の視覚,聴覚,音声・言語,精神機能に関する診断書が,平成26年2月5日医政発0205第8号各都道府県知事あて厚生労働省医政局長通知「医師,歯科医師,保健婦,助産婦及び看護婦の免許申請について」にて一部改訂されたことにふれました。 以後,関係者間で2016年4月施行の障害者差別解消法2)(以後,差別解消法)および改正障害者雇用促進法3)(以後,雇用促進法)をふまえた診断書様式などのあり方を検討する場が設けられました。その結果,医師,薬剤師など,相対的欠格事由を有する医療従事関連資格の診断書様式が,法改正および医政局長通知をともなわない形で改訂されました。
著者
栗原 房江
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.906-910, 2016-11-25

はじめに 2001年7月,保健師助産師看護師法(以下,保助看法)における欠格事由が,絶対的から相対的「心身の障害により,保健師,助産師,看護師又は准看護師の業務を適正に行うことができない者として,厚生労働省令で定めるもの」へと改正されました。同法において心身の障害分類や程度は明記されていませんが,保助看法施行規則第一章 免許 第一条にて「視覚,聴覚,音声若しくは言語機能又は精神の機能の障害」と特定されています。これらは,主に保健師・助産師・看護師国家試験合格後の免許申請時に提出する診断書において記載を求められます。 2001年の改正以後,該当者の免許付与数は公開されておらず,長年,障害者欠格条項をなくす会および当事者により,公開が要望されてきました。その結果,2016年7月,過去3年分の免許付与件数の公開に至りました。また,2014年,当該診断書の様式が改訂されています。 日々学生に接する看護教員に,より深い理解を期待し,今回の免許付与件数公開をめぐる状況について解説します。
著者
星野 豊
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.455-457, 2020-05-25

事例 実習受入先の病院では、4種混合、結核およびB型肝炎の予防接種を済ませていることが学生の受け入れの要件になっています。学生に接種状況を確認したところ、未接種の学生が数名いました。それぞれ理由を尋ねると、「病原体をあえて注射するなど拒絶する」「隠れた副反応が怖いので接種したくない」「自費での接種は経済的に厳しいので、感染リスクは自己責任で負う」「自分の信じる宗教でワクチンを禁止している」などと言って、接種を拒否しています。予防接種をしない場合、実習未履修となって卒業ができなくなります。学校としてどのように指導すべきでしょうか。
著者
戸田山 和久
出版者
医学書院
巻号頁・発行日
pp.588-594, 2016-08-25

ロジカル界の不思議 一時期ほどでもなくなったように思うが,「ロジカルにシンクしようぜ」「論理的に書こうぜ」という掛け声はまだまだ喧しい。そして,汗牛充棟とは言わないまでも,「論理的思考ノウハウでウハウハ」系の本はいまでも書店のビジネス本コーナーの重要な一角を占めている。 こんな具合に巷には,論理的に思考し,話し,文章を書くにはどうしたらよいのか教えて進ぜようという言説が溢れかえっている。しかし,不思議なのは,「どうしたら論理的にほにゃららできるのか」を問う前に答えておかねばならないはずのもっと重要な問題,つまり,「なぜわれわれは論理的にほにゃららしなければならないのか」,あるいは,これと重なるけれども「どういうときにわれわれは論理的にほにゃららすべきなのか」,という問いに,明確な答えが示されたためしはないということだ。それどころか,これらの問いそのものが明示的に問われることも滅多にない。これを問い始めると,いずれ「論理的とはどういうことか」に答えなければならなくなってしまうからだろう。