著者
榊原 理智
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.46, no.3, pp.39-49, 1997

太宰治『斜陽』には、<語り手>かず子の語る行為が語りそのものを変えていくさまが、明確にあらわれている。刻々と変容するかず子は、従って<語り手>という言葉でくくることのできないものである。「語る行為」についての小説であるという側面を、テクストに即して見ていくことによって、「道徳革命」の評価という従来の『斜陽』論と、欧米のナラトロジー理論への批判の契機となることを目指した論文である。
著者
鎌倉 芳信
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.36, no.10, pp.62-70, 1987

「断橋」は、作者が北海道内を巡歴した時の記事をもとに構成されている。小説では、この記事の上に現実崩壊や存在基底喪失の幻影風景を重ねている。幻影風景は北海道放浪当時の作者の存在の不安や恐怖の変形したものと考えられる。樺太での事業の企ては、自己の哲学の実践であると考えながらも、もしかしたら狂気の沙汰に過ぎないかもしれないというアイデンティティーの危機意識が幻影風景となって表われたものである。
著者
佐藤 深雪
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.54, no.1, pp.91-100, 2005

第131回芥川賞受賞作であるモブ・ノリオの『介護入門』について、三島由紀夫の『葉隠入門』、ジム・ジャームッシュの『ゴースト・ドッグ The Way of Samurai』、そして棄老伝説と深沢七郎の『楢山節考』などを参照しながら、エスカレートする死の暴力との戦いという視点から論じた。
著者
酒井 英行
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.34, no.6, pp.44-54, 1985

明治三十九年の漱石の課題は、教師と作家の間の宙吊りを清算して、作家として立つことであった。『坊つちゃん』を書くことによつて松山時代を追体験した後、『草枕』『二百十日』において熊本時代を追体験してゆくのである。明治三十九年の不徹底な生活に過去の卑怯な地方生活をオーバーラップさせて思い浮べていたのであり、現在と過去の卑怯さが相乗して、文学によって現実と闘う決意を固めさせていったのである。
著者
吉野 瑞恵
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.49, no.1, pp.11-20, 2000

『蜻蛉日記』は、「国文」の規範たる仮名文で書かれていたため、近世以来明治に至るまで、評価すべき作品とされていた。だが、その「文学性」が評価されていたわけではなかった。大正に入って「自照性」というキーワードが導入されることによって、『蜻蛉日記』の文学史的地位は上昇したものの、この日記は良くも悪くも「女流」文学の王道を歩むこととなったのである。
著者
城殿 智行
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.55, no.11, pp.48-56, 2006

特集タイトルには<戦後>空間とあるが、本論ではそれをまず、思考の様式を示す<戦後>という抽象と、日本がたどった歴史的・政治的な経緯を含意する「空間」という隠喩に分節する。次いで、近年では支配的な思考様式となった「言説分析」のあり方を、ミシェル・フーコーの思考と対比させることによって、批判的に再検討する。以上の分析を経た上で、三島由紀夫や中上健次といった<戦後>作家が、何をどのように考えて創作したのかが論じられる。
著者
室田 知香
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.56, no.12, pp.11-24, 2007-12-10 (Released:2017-08-01)

『源氏物語』の所謂第二部における、柏木の恋に関わる物語には、『伊勢物語』の業平の像を思わせるような一連の類同的表現群や、恋ゆえの離魂と死を思わせる表現など、多数の引用的表現が用いられている。が、こうした表現群にはしばしば、一種屈折した論理が伴われ、柏木をただ既存の物語伝統に添う恋の英雄に重ねきるのではなく、しだいに柏木像との間の分裂を露呈するものとなっている。その過程の考察を通し、第二部の叙述の性質と展開原理とを問い直す。
著者
山元 隆春
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.47, no.3, pp.1-9, 1998

本論文においては、「学び」(学習)という出来事が成り立つために果たす文学の役割を考察し、国語教育において<文学にできること>を求める手がかりを探った。ルイーズ・ローゼンブラットの読みの理論を中心に、小森陽一・佐藤学・紅野謙介・田中実・デヴィッド・ブライヒ及び認知科学における構成主義理論を検討しつつ、主に教室において読みの<出来事>性を喚起する誘因をテクストの呼びかけの中に探る必要性を論じた。
著者
猪股 ときわ
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.58, no.6, pp.2-11, 2009

「乞食者詠」の一首目は、一首の歌表現を通して人と動物、動物と植物の境界を溶解し、死を生へ、殺すことを殺されることへ、祝福されることをされることへと転換しながら、根源的な生のエネルギーの磁場を開こうとする。「はやし」の語に代表されるその表現の特徴は、祝福をすることが痛みを述べることである、とする『万葉集』巻一六の題詞・左注の捉え方に即応しているだろう。
著者
田中 單之
出版者
日本文学協会
雑誌
日本文学 (ISSN:03869903)
巻号頁・発行日
vol.37, no.5, pp.55-64, 1988

全十場から成るこの戯曲には、九場までと、第十場との間に、作品としての断層がある。そのため、第十場を不要、蛇足と考える立場と、しかし、にもかかわらず第十場を絶対必要と考える立場とが、研究者の間にある。筆者は後者の立場に立ち、前者の立論の誤り、もしくはあいまい性を指摘し、合わせて第十場の意味を論じた。