著者
高橋 重美
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.49-64, 2013-05-15 (Released:2017-06-01)

Towards the end of the first decade of the twentieth century, Tayama Katai wrote modern poetry themed on young girls, to be carried each month on the first page of the magazine, Shojo sekai, a publication for young girls, from September 9, 1909 to February1, 1910. This paper examines all forty-two poems that appeared in Shojo sekai in order to understand why Katai employed the Romantic rhetoric that he did, and why it was employed in a young girls' magazine. This is discussed in the context of the coexistence of both Romantic and Naturalistic approaches in Katai's other writings during the same period. The intent is to help explicate the process by which "girls' sexuality" was constructed (to use a term that came into critical favor in the last two decades). This includes an examination of the term "Romanticism" itself as used by Katai to typify the outlook of young girls.
著者
川崎 公平
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.111-126, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

本稿は、山川方夫の小説群に通底する「恐怖」の主題について考察するものである。山川の作品において恐怖は、距離の秩序の崩壊とそれによる感覚の惑乱によって特徴づけられるものであり、「人間」と「もの」、「生」と「死」が様々なかたちで二重化する局面において現れるものである。そして、その恐怖のモデルとなっているのは、映画や写真などのイメージを前にしたときの鮮烈な感覚体験である。様々な他者との関係を恐怖とともに描く山川の小説は、そうしたイメージ的体験を、現実の人間関係へと移植することによって形成される。以上のような分析を通して本稿は、イメージ的体験や感覚的恐怖との関係が、山川のあらゆる小説を貫く中心主題であることを明らかにする。
著者
瀬崎 圭二
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.122-136, 2015

<p>安部公房の脚本による「目撃者」は、一九六四年一一月二七日に放送されたテレビドラマである。このドラマは姫島に起こった実際の集団暴行致死事件を素材としており、この事件は当時のメディアで「西部劇」や「映画」になぞらえられていた。ドラマは、事件を再現表象するドキュメンタリー・ドラマの制作そのものを描いており、そのような方法を採ることで、関係者による事件の隠蔽を批評する立場に立つと共に、事件の再現表象の困難を伝え、さらには映像による再現表象そのものを問いかけようとするのである。このような方法を採用した「目撃者」は当時も高く評価されていたが、ドキュメンタリー番組が定着していった当時の状況を相対化する表現としても評価できよう。</p>
著者
石川 巧
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.63-78, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

菊池寛は、大正後期に書き継いだ法廷小説のなかで、容疑者の陳述はもちろん、捜査担当者、裁判官、検事の心証から事件報道まで、多様な言説を駆使して法の矛盾や不備に迫ろうとした。裁判で勝つためにありとあらゆる戦略が練られる法廷のディスコースそのものが文学的レトリックによって構成されていることを的確に見抜き、文学という方法を用いて法の内実を問うた。また、菊池寛の法廷小説においては読者が陪審員の位置に立たされる。法廷において自らの言葉をもつことができないアウトサイダーが可視化され、公平性をめぐる基準線の引き直しが試みられる。語ることよりも語れないことに意味を見だし、語れない人々に言葉を与えること、語れないことを語ることが追求される。