著者
鈴木 暁世
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.1-16, 2015 (Released:2016-08-02)

郡虎彦は、一九一一年に「鉄輪」を『スバル』に発表した後、一九一三年に改作して『白樺』に掲載し、さらに一九一七年のロンドン上演のために自己翻訳した。本稿は、郡が「鉄輪」をどのように改作・自己翻訳したのかという問題を、ロンドンにおける「鉄輪」上演に関わる資料を用いて考察することを目的としている。「鉄輪」を上演したパイオニア・プレイアーズと演出家イーディス・クレイグは女性参政権運動と関わっており、同作は「精神的な柔術」として評価された。「鉄輪」上演と評価の背景には、英国における日本へのイメージと女性参政権運動と柔術の結びつきがあったことを指摘し、郡が「鉄輪」を改作・自己翻訳していく過程が、当時のイギリスの社会運動や思潮と響きあっていたことを明らかにしたい。
著者
藤本 恵
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.89, pp.49-63, 2013-11-15 (Released:2017-06-01)

日本の児童文学において、「少女詩」研究は長くなおざりにされてきた。本稿では、雑誌『少女の友』大正期の詩欄を中心に、調査と考察を行った。なぜなら、『少女の友』の編集方針が変化した重要な時期であるにもかかわらず、詩欄の研究が他誌と比べて特に手薄だったからである。結果、『少女の友』の詩は常に「感傷」という内容の拘束を受けながらも、長大で叙事的な「口語詩」から、簡潔で自己主張的な「少女小曲」(=「少女詩」)へ変化したことが明らかになった。その変化は、少女読者が詩の読み手から書き手になる過程と重なっている。また、この時期詩は、児童や民衆、女性といった階層に広がっていく。少女詩が他ジャンル同様その流れの一つを形成していることを示した。
著者
田部 知季
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.103, pp.1-16, 2020-11-15 (Released:2021-11-15)

本稿では、従来看過されてきた俳誌上の言説を渉猟しながら、虚子の俳壇復帰の同時代的な位置づけについて考察した。明治四五年、当時小説に注力していた虚子は『ホトトギス』に雑詠欄を復活させ、「平明にして余韻ある」句を旗印に俳句に復帰する。既存の近代俳句史の多くは、明治四〇年代の俳壇を新傾向俳句の動静に即して語っており、虚子の俳壇復帰はそうした時勢への抵抗と位置づけられてきた。だが実のところ、虚子不在の俳壇においても「季題趣味」や五七五の定型を遵守する論者たちが新傾向派に対して批判の声を上げていた。虚子の俳壇復帰とは、そうした有季定型派の保守層を自身が編集する『ホトトギス』へと回収する言説だったと考えられる。
著者
武田 悠希
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.1-16, 2014-11-15 (Released:2017-06-01)

本稿は、押川春浪の代表作とされる「海底軍艦」シリーズの論点となってきた「武侠」の定義が語られる『武侠の日本』を取り上げ、春浪が本作をどのように作り上げたのかを明らかにしようとするものである。特に、これまでの研究に欠けていた、春浪の創作態度を見るという視点を媒介させることによって、これまでの観念的に措定されたナショナリズムを指摘するにとどまる段階からの脱却をはかりたい。その際に手がかりとして、素材、構造、執筆動機を取り上げ、同時代言説との比較検証に留意することで、春浪が『武侠の日本』の創作にあたって、同時代の中での批判的意識を「面白さ」として加工し、それを小説という媒体に託すことを試みていたことを論証する。
著者
藤井 貴志
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.91, pp.95-110, 2014-11-15

安部公房「他人の顔」、川端康成「片腕」、澁澤龍彦「人形塚」は昭和三十七年末から約一年の間に執筆されたテクストであるが、その背景にM・カルージュの指摘する<独身者の機械>という近代の神話を見出すことができるだろう。<独身者の機械>とは「人間的感覚の喪失」および「女性との関与や交感の不可能性」を<独身者>および<機械>のメタファーで捉えた概念だが、三篇のテクストはいずれも<異形の身体>を通してしか外界(他者)と関係を持つことができない主体の自己回復の虚しい試みとその挫折を描いている。澁澤自身のカルージュ受容、また土方巽の暗黒舞踊を通じた<物>としての<異形の身体>への関心、それと並行したベルメールの球体関節人形に纏わる言説を探り、<独身者の機械>の時代ともいうべき昭和四十年前後の言説状況を浮上させる試みである。
著者
康 潤伊
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.235-250, 2019-11-15 (Released:2020-11-15)

本稿ではヤン ヨンヒ『朝鮮大学校物語』に実話性と証言性が付与されていることおよびそれらが朝鮮学校をめぐる排外主義と表裏をなしていることを指摘したうえで、実話性と証言性を切り離した読みを模索した。小説において主人公は特権的な差異を帯びているが、主人公が恋人と失恋する場面では、抑圧的な場だった朝鮮大学校が、主人公の差異が有効に機能する場として語られていることを明らかにした。朝鮮大学校という空間の意味の転換をふまえると、『朝鮮大学校物語』は、差異と承認のメカニズムをあばく小説であるといえる。そのうえで、実際に行われた朝鮮大学校と武蔵野美術大学の壁を超える試みを参照しつつ、『朝鮮大学校物語』の批評性をさらに跡づけた。
著者
飛田 英伸
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.100, pp.1-14, 2019-05-15 (Released:2020-05-15)

翻訳小説として最初の流行作となった織田純一郎訳『花柳春話』は、以後の翻訳小説の模範となった。『花柳春話』と同一の書肆から出版された関直彦訳『春鶯囀』も、その影響を受けたと考えられるが、文体のあり方には違いが見られる。本稿では、『花柳春話』を踏襲する翻訳小説の系譜と、関が記者を務めていた『東京日日新聞』における文のあり方を検討することによって、『春鶯囀』の文体のあり方がどのように画期的なものであり、それが何を背景として生じたのかについて明らかにするとともに、その翻訳が小説に何をもたらしたのかについて論じた。
著者
秋吉 大輔
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.96, pp.78-92, 2017-05-15 (Released:2018-05-15)

三島由紀夫「弱法師」(一九六〇)は、これまで「盲目」と晴眼者の世界を二項対立で捉えることで、三島の述べる「形而上学的主題」(「あとがき」『近代能楽集』新潮社、一九五六年四月)を明らかにすることに焦点が絞られてきた。本論では家庭裁判所や戦災孤児としての俊徳を分析することで、個人的な視覚経験がどのような形で「盲目」として表象されるのか、その権力編成のあり方を明らかにする。家庭裁判所での発話が近代的な家族を前提にしていることを明らかにし、家族の物語という了解枠組みに沿わない俊徳のトラウマ的な視覚経験の語りが、家族の権力編制の中で「子ども」「狂人」「盲者」として配置され抑圧されていくさまを明らかにした。
著者
金 泰暻
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.59-70, 2018-05-15 (Released:2019-05-15)

漱石がブームである。没後一〇〇年、生誕一五〇年を迎えていた夏目漱石が生まれ死んだ日本でのことを言うのではない。二〇一七年四月八日、ソウルに位置した明知大学校で韓国日語日文学会春季学術大会が開かれた。この日のテーマは、夏目漱石の生誕一五〇年を記念して「夏目漱石、一五〇年の旅、そして韓国」であった。かかる漱石への関心は「日本」関連の仕事に従事している専門家に限ってのことではない。二〇一六年、韓国のある出版社から『夏目漱石小説全集』全十四巻が完訳・刊行した。本稿では、玄岩社版『夏目漱石小説全集』に焦点を合わせ、現在の「文学」をめぐる諸条件のなかで、韓国における漱石現象を考察した。
著者
栗山 雄佑
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.80-94, 2018-11-15 (Released:2019-11-15)

(要旨)本稿は、沖縄における戦時慰安婦の問題を描いた目取真俊「群蝶の木」について、現代の沖縄の部落においていかに過去の記憶を引き受けることが可能かを考察した。その方策として、主人公の男性は元慰安婦の女性との身体的な接触を、友人から聞かされた自殺した知人の情報を重ね合わせる。そして、彼が両者の姿、情報によって自身の心奥に〈何か〉が生じたことを知覚したことに注目する。その〈何か〉を読み解くためにアフェクトの概念を援用しつつ、主人公が得たものが他者の背景に対する〈わからなさ〉という無力さであることを明らかにした。この〈わからなさ〉を起点にすることで、慰安婦の女性の語りに誘発された一義的な読解を読み替える可能性が提示されていることを示した。
著者
小泉 京美
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.92, pp.17-32, 2015 (Released:2016-08-02)

記号活字やリノカットを駆使して視覚性を強調した萩原恭次郎の『死刑宣告』(長隆舎、一九二五年)は、これまで詩的言語の言語(symbol)から図像(icon)への移行を示す記念碑的詩集として捉えられてきた。だが、表現規範の革新を目指す前衛的な芸術運動を後押しした関東大震災という出来事に密着して考えるならば、『死刑宣告』は表象の秩序を根柢から揺るがす、より本質的な言語の変容を記録していたことが見えてくる。震災による活字不足と新聞紙面の混乱、震災を契機に普及した素材リノリウムとリノカットという表現手法、これらを取り巻く文化史的な背景を検証することで、その表現の独自性と詩の新たな読解可能性を開示する。