著者
永井 聖剛
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.102, pp.23-38, 2020

<p>明治二十年代に新しい日本の主導者として注目された「青年」は、明治三十年代後半、青年心理学という科学的言説によって、不安定で危険な世代として意味変容を余儀なくされた。時代は彼らに「修養」すなわち自(みずか)ら己(おのれ)を律し、身を立てることを求めた。修養ブームの到来である。またこれは同時に、すでに青年期を終えた者、すなわち〈中年〉の誕生をも意味していた。本稿は、自然主義文学の担い手を〈中年〉と定位し、彼らの「おのずから・あるがまま=自然」を受け容れる思考が修養的な激励とは対極的な、いわば同時代における対抗言説とでも呼ぶべきものを形成していたことを跡づけたものである。〈中年の恋〉を描いた「蒲団」以降の自然主義文学は、〈中年〉的な思考様式によって織りなされていたのである。</p>
著者
永井 聖剛
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.1-15, 2015

<p>山田美妙『白玉蘭(別名壮士)』(明二四)は、保安条例下の壮士の言説に焦点を当てた言文一致小説である。本稿では、この小説に見られる政治/小説/講談などのジャンル横断的な様相を、漢文脈/「だ」調/「です」調の異種混交体として描き出してみたい。こうすることで、「だ/です」という二分法の中で捉えるよりも、より連続的かつ多面的に美妙の文体的試行の歴史性を照射しえると考えるからである。</p><p>この着眼は、「です」調で綴られるテクストが、「です」という文末詞のみによっては統括され得ないことをも導き出してくれる。「です」調では三人称内的焦点化を用いた小説文体が構築できない。つまり、美妙の言文一致は「です」抜きには語れないが、その小説は「です」を抛棄することによってしか語ることができないのである。</p>
著者
田部 知季
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.99, pp.33-48, 2018

<p>本稿では、従来看過されてきた短詩形文学と日露戦争の関わりを、井上剣花坊と河東碧梧桐の動向に即して検証した。剣花坊の川柳革新は『日本』の「新題柳樽」欄を舞台に展開し、戦争の時流に乗って躍進する。その中で彼は既存の「文学」に欠ける「滑稽趣味」を拠り所に、川柳というジャンルを「興国的文学」として価値づけた。一方、戦時下の俳壇では国威発揚を企図した「武装俳句」が試みられるも、実作上の成果を得られずにいた。他方、従軍の計画が頓挫した碧梧桐は、安易に俳句を戦争と結びつけることなく、自立的な「文学」としての俳句像を堅持した。彼はそうした反動の延長線上で全国行脚へ乗り出し、新傾向俳句を鼓吹することとなる。</p>
著者
河野 龍也
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.162-177, 2018

<p>佐藤春夫がデビュー前に油絵制作に励んでいたことは、その後の文学活動にどのような影響を残したのか。春夫が好んだ「後期印象派」は、本来客観的であるべき写実の概念を、主観の領域にまで拡大したもので、それによって生じた混乱をテーマに春夫は最初の小説「円光」を書いた。また「田園の憂鬱」にも、対象の〈意志〉を描くという「後期印象派」理論の過剰な視覚表現が見られ、それが文学的感性との間に葛藤を生み出す構造を指摘することができる。芸術ジャンルごとに異なる感性の相違は、その後の春夫が創作で追求する一貫したテーマであり、その由来はデビュー期の絵画体験にあったと考えられる。</p>
著者
有元 伸子
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.88, pp.33-48, 2013

Okada Michiyo (later Nagayo Michiyo) is a female writer who is known to have been used by Tayama Katai as a model for the young female live-in student the protagonist novelist secretly falls in love with in Futon. This article examines the obscure works she wrote before she married Nagayo Shizuo, as well as the letters exchanged between Katai and her until just after the publication of Futon. The result of this investigation reveals how the male mentor (Katai) and the female student (Okada) fought over the literary treatment of Michiyo's romantic affair. After Michiyo became romantically involved with Nagayo, her parents forced her to leave Tokyo and return home to Hiroshima. She then wrote fictionalized versions of her relationship with Nagayo, and used some parts of Katai's letters in her stories. Elsewhere in his letters, Katai was critical of Michiyo's subjective narrative. While he forbade her to continue fictionalizing her own affair, Katai himself used her affair in writing Futon. This leads us to consider this famous novel a work of sexual harassment : Katai robbed Michiyo of the authorship of her own story, and meticulously concealed her identity as a woman capable of exerting literary authorship over her own affair.

1 0 0 0 資料と方法

著者
谷川 恵一
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.101, pp.1-15, 2019

<p>文学を含む明治以降の文化資料の網羅的な収集が開始されたのは一九二三年の関東大震災前後からである。集められた明治初期の資料は、価値のない作品として文学史が周縁に押しやってきたものが大部分であり、当時刊行が始まった大規模な文学全集にもほとんど収められることがなかった。こうした膨大な資料と向き合ったのは、明治文学史ではなく、二〇世紀前後に文献学という訳語とともに移入されたphilologyであった。三木清は、文学史研究の基礎に文献学を据えたが、文献学と文学史とはけっきょく別々の道を進んでいくことになった。</p>
著者
瀬崎 圭二
出版者
日本近代文学会
雑誌
日本近代文学 (ISSN:05493749)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.44-58, 2018-05-15 (Released:2019-05-15)

J・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』の邦訳を契機として、一九八〇年代の日本には言説としての消費社会論が広まり、システムとしての消費社会が形成されていった。当時の夏目漱石のテクストの受容もそのような状況と無関係ではなく、角川文庫版漱石作品の表紙カバーとして採用されていたわたせせいぞうのイラストや、森田芳光監督による「それから」の映画化にも消費の力学を認めることができる。しかし、映画「それから」のアダプテーションには、女性表象やイメージ・ショットなどの点において原作の〈死後の生〉を見出すことができ、消費され得ない何ものかが表象されているとも言える。