著者
高橋 善隆
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = Journal of Atomi University, Faculty of Literature (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.54, pp.145-157, 2019-03

米国政治の中長期的トレンドは、人口構成の変化を反映したマイノリティのエンパワーメントとこれに対抗するホワイト・バックラッシュで彩られている。2018年の中間選挙も下院でラティーノ・アフリカ系・働く女性・若者などの進歩的勢力が民主社会主義を掲げ躍進を見せる一方で、トランプ支持者や共和党は上院で多数を維持するなどの結果を残した。移民政策の迷走や中西部の動向を手掛かりに中間選挙の背景を分析する。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-16, 2003-03

クロアチアにおける地方制度の歴史と現状を概観するとともに,とくにユーゴスラヴィア建国以降,地方制度がマイノリティ問題とどのような関わりを持ったかについて検討した。クロアチアにおける地方自治は,一九九二年に現行制度が発足した当初には多くの制約を受けており,自立性に乏しいものであったが,二〇〇一年の諸改革を経て,少なくとも制度的には自治権の拡大という方向で大いに改善された。それはクロアチアにおける伝統的な地方制度を継承しつつ,ヨーロッパ連合の基準への適合を意識した全く新しい地方制度となっている。また,マイノリティ問題についても,かつての差別的な政策が撤回され,言語・教育などの同権に向けた法的整備が進み,とくに地方レベルではそれらが着実に成果をあげている。セルビア人間題はなお未解決であるが,今後はヨーロッパ連合加盟との関わりにおいて解決がはかられると思われる。国家の統一を損なわない範囲で,いかに効果的に分権化を推進するかが,当面の課題となるであろう。
著者
林 正子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.44, pp.29-46, 2010-03-15

The purpose of this article is to examine the process of printing and circulation of a Vietnamese historical book -- Dai Nam Thuc Luc Chinh Bien(大南寔録正編)which was printed in 1873. Dai Nam Thuc Luc Chinh Bien, its title was identical with the veritable record of Nguyen dynasty (阮朝), was handled by a Frenchman Lu Gia Lang(蘆嘉陵) to a Vietnamese Dui Minh Thi (惟明氏) in French colonial ruled Cochin-China. Through the analysis of the version kept in the Toyo Bunko(東洋文庫), it is clear that the Dai Nam Thuc Luc Chinh Bien was printed in Fo-shan(仏山) in Guang-dong(広東)province of China, and was distributed from Gia-dinh(嘉定) to all the Vietnamese provinces. Furthermore, to examine the applicability of his defi nition on Dai Nam Thuc Luc(大南寔録), as well as the Shi-lu(実録) of the East Asian cultural or Chinese character cultural area (漢字文化圏) in future research.
著者
林 正子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.29-48, 2008-03

Shi-lu (実録) was a common historical official record form adopted in East Asia in the pre-moderrn period. The purpsose of this article is to examine the relationship between the Nguyen Dynasty (阮朝) and Liu Yong-fu through the analysis of the entries in Dai Nam Thuc Luk, the Vietnamese official records. During the French invasion of Vietnam in 1880's, Liu and his army - the Black Flags fought against the French, to protect their hometown Laokai (保勝) in Vietnam. His two victorious battles were the first victories by the Asian army against the European army in Asia during that period. Nevertheless, Vietnam was eventually defeated and become a French colony in 1885. There are 80 items of record in Dai Nam Thuc Luk concerning the interrelation between the then Emperor Tu-duc (嗣徳) and Liu Yong-fu. Through analysis of these records, the writer examines the style of description of the official efforts to convey to the French that the Emperor was not connected with the resistance of Liu and his army against the French.
著者
林 正子
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.42, no.1, pp.87-100, 2009-03-15

On the Formation of Dai Nam Thuc Luc (大南寔録)(V): An introduction of Xie Gui-an, Zhong guo shi-lu tishi xue yan jiu (謝貴安『中国実録体史学史研究』).A ten-year project on the compilation of the Qing Shi (清史編纂十年プロジェクト), sponsored by the Chinese government, is being under taken by scholars in China(mainland), Hong Kong, Macao andTaiwan. This project is expected to completed in 2013, the 100th anniversary of the Xin-hai Revolution (辛亥革命). This compilation, which will be counted as the 27th Official History (正史), is taking a "new synthesis"(新総合体). Marxism historiography instead of the traditional form of biographical historiography(紀伝体). The above mentioned project has an influence on the research on Shi-lu (実録), the historicalmaterials of Official History. This article intends to introduce Xie Gui-an's new definition on the form of theShi-lu, which he refers to as a chronicle form with additional biography (編年附伝体), one body with two wings (一体二翼) including 直書 (description based on facts) and 曲筆 (perversion of the truth), and furthermore,to examine the applicability of his definition on Dai Nam Thuk Luc (大南寔録), as well as theShi-lu of the East Asian cultural or Kanji cultural area (漢字文化圏) in future research.
著者
高橋 善隆
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.41, pp.A77-A92, 2008-03

2005年にAFL-CIOは分裂し、1955年以来統一されていたアメリカ労働運動のナショナル・センターが大きく分断されることになった。1995年のスウィニー執行部成立以来、ソーシャル・ユニオニズムの復権が評価されていたが、ソーシャル・ユニオニズム内部の対立が鮮明化した構図となっている。本論では(1)ビジネス・ユニオニズムとソーシャル・ユニオニズムの対立というアメリカ労働運動の歴史的背景、(2)戦後期に優位を確立したビジネス・ユニオニズムがアメリカ社会の制度設計に残した負の遺産、(3)ビジネス・ユニオニズムの失墜、ソーシャル・ユニオニズムの復権という状況下で活力の中心となっている「ヒスパニック系移民の動向」について検討する。さらにアメリカ労働運動の変容とナショナル・センターの分裂が、アメリカ政治全体にどのような影響を及ぼすことになるのか考察してみたい。
著者
永田 里美
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = Journal of Atomi University, Faculty of Literature (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.54, pp.69-84, 2019-03

形式的には疑問文で聞き手に問いかけながら、話し手は当然の応答として、聞き手に反対の結論を要求する用法を「反語」と定義すると、中古では疑問を表す助詞「ヤ」、「カ」が「ハ」を伴った「ヤハ」「カハ」となったときに、その意味を担うことが多い。本稿は永田(二〇一八)に続き、中古の和文資料である『源氏物語』の地の文、心内発話文、和歌における「ヤハ」「カハ」の結びの形式に着目した調査を行った。調査の結果、和歌には定型的な表現としての偏りがみられるものの、「ヤハ」「カハ」の結びの形式は全体として会話文の調査結果に近似していることがわかった。「ヤハ」・用例のほとんどが反語表現と解釈される。・結びの形式には基本形(存在詞多数)、アリを含む助動詞など、客体的、既実現・現実の要素が認められる。・調査対象中、和歌においてのみ「ヤハ~スル」「ヤハ~セヌ」の用例がみられ、地の文、心内発話文には当該型式の用例がみられない。「カハ」・地の文、心内発話文では反語の解釈であるか否か、揺れる用例がみられるが、和歌では反語解釈に傾く。・結びの形式には「ム」(推量)「マシ」(反実仮想)「ケム」(過去推量)「ラム」(現在推量)など、主体的、未実現・非現実の要素が認められる。これらの特徴から、全体的な傾向として「ヤハ」と「カハ」との間で結びの形式に相違がみられること、結びの形式からみた文体上の特徴として和歌は地の文、心内発話文とは位相を異にすることがうかがえる。
著者
永田 里美
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = Journal of Atomi University, Faculty of Literature (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.53, pp.91-103, 2018-03

形式的には疑問文で聞き手に問いかけながら、話し手は当然の応答として、聞き手に反対の結論を要求する用法を「反語」と定義すると、中古では疑問の助詞「ヤ」、「カ」が助詞「ハ」を伴ったとき、特にその意味を担うことが多いとされる。従来、「ヤ」、「力」についての特性は研究が重ねられてきたが、「ヤハ」、「力ハ」の反語表現については未だ不明な点が少なくない。そこで、本稿では中古の和文資料である『源氏物語』の会話文を調査対象とし、「ヤハ」、「カハ」の結びの形式に着目しながら、表現価値の異なりについて考察を行った。調査結果から言えることは以下のとおりである。「ヤハ」・用例のほとんどが反語表現と解釈される。・結びの形式には「基本形」(存在詞多数)「ケリ」(過去)「ズ」(打消)「ヌ」(完丁)「リ」(存続)など、客体的、既実現・現実の要素が認められる。「カハ」・用例には反語の解釈であるか否か、揺れるものが見られる。・結びの形式には「ム」(推量)「マシ」(反実仮想)「ケム」(過去推量)「ラム」(現在推量)など、主体的、未実現・非現実の要素が認められる。 これらの特徴から、「ヤハ」は、話し手が直截的な事柄を二者択一で示し、聞き手に当該事態の不成立を訴える反語表現であるのに対し、「カハ」は、話し手が想像を介して不定を示し、聞き手に幾つかの回答案を前提として話し手のいわんとする当該事態の不成立を訴える反語表現であると理解される。『源氏物語』では女性が会話文で「ヤハ」を使用する場合、それは、あからさまな物言いをする人物造型あるいは場面設定として描かれることが認められる。反語表現「ヤハ」、「カハ」は、論理的に見れば、問うた事柄の反対の結論を聞き手に求めるものであるが、その表現性という観点から見れば、直截的な既実現・現実事態を問う「ヤハ」と推量の助動詞を用いて未実現・非現実事態を問う「カハ」とでは聞き手に対するニュアンスが異なっていることがわかる。
著者
山田 徹雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.38, pp.45-65, 2005-03

ドイツ再統一以降に行われた航空輸送インフラストラクチャーの整備過程において、ミュンヘン空港における輸送能力の進展は著しく、ドイツのみならず、EU内においても同空港はその地位を高めてきた。連邦政府、州政府、ミュンヘン市が資本参加するミュンヘン空港有限会社は、1992年に新空港「フランツ・ヨゼフ・シュトラウス空港」を筆頭執行役員(当時)ヘルムゼンのもとで完成させ、ヨーロッパにおける代表的国際空港へと成長させた。この間、ルフトハンザ・ドイツ航空はミュンヘンをフランクフルト・アム・マインと並ぶハブ空港とする決定をし、2003年に創業を開始した空港第二ターミナルは、ルフトハンザ・ドイツ航空とミュンヘン空港有限会社の共同出資、共同経営によって実現した。
著者
村越 行雄
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 = JOURNAL OF ATOMI UNIVERSITY FACULTY OF LITERATURE (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
no.45, pp.A57-A74, 2010-09

「嘘」という言葉の日常的使用における曖昧性を解明する意味で、最初に話し手側の立場に限定し、その上で11の基準に基づいて分析を実施した。具体的には、非事実性(反事実性)、自己認識性、意図性、欺瞞性、隠蔽性、目的性、悪意性、不利益性、自己保護性、拡張性(連鎖性)キャンセル性(修正・訂正、取り消し・撤回)の11基準である。以上の分析によって、全てが解明されるというわけではない。更なる基準の追加、聞き手側からの視点、1対1の関係以外の1対複数、複数対複数などの分析が必要になってくると言えるからである。ただ、嘘の解明を厳密にすることが果たして必要なのか、むしろ曖昧さにこそその本来の意義があると言えないのか、その他の疑問が当然生じてくるのであり、従って今回の分析は、それ以降に続く分析の第1歩としてではなく、あくまでもこれ自体で完結する分析として位置づけられるものである。更なる展開は、全体的な方向性を見た上でのことになろう。
著者
石田 信一
出版者
跡見学園女子大学
雑誌
跡見学園女子大学文学部紀要 (ISSN:13481444)
巻号頁・発行日
vol.45, pp.1-18, 2010-09-15

旧ユーゴスラヴィア連邦から分離・独立したクロアチアの学校向け歴史教科書における近代史に関する記述の変化を、一九八〇年代末までの連邦時代、独立直後の一九九〇年代、新たな学習指導要領が導入された二〇〇六年以降の三期に分けて詳細に辿りつつ、その特徴と問題点を明らかにした。共産主義者同盟による一党独裁体制下にあった連邦時代においてさえ、クロアチアの歴史教科書は世界史(主にヨーロッパ史)、クロアチア史、その他のユーゴスラヴィア諸民族史の三層構造となっており、「国民史」的側面を持っていたが、必ずしもクロアチア史に関する記述の比率は高くなく、諸民族の融和を意図してユーゴスラヴィア主義(思想)や「民族体」への言及などの特別な配慮が見られた。しかし、連邦解体に伴う激しい「内戦」を経験した一九九〇年代の歴史教育・教科書は「国民史」一辺倒のものに変貌し、「狭隘な民族的歴史観」を押し付けるものとなった。それが近隣諸国間の不和を助長した面もある。最近では、近隣諸国との教科書対話などを通じて、かつてほど極端な記述は見られなくなり、「クロアチア国家(国民)教育基準」に基づく新たな学習指導要領の下で教科書の記述のあり方も多様化している。それでも、文化史・社会経済史に関する記述や「少数民族」に関する記述など、さらに改善すべき点も少なくない。クロアチアを含む旧ユーゴスラヴィア諸国において現在進行中の歴史教育・教科書の改善策は、同じように歴史教科書問題を抱える日本にとっても参考にすべき点があると思われる。