著者
福田 和展
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.18, pp.97-114, 2001

《伍倫全備諺解》は明の郎溶が著した南戯《伍倫全備》が朝鮮に伝わり,中国語通訳官養成のための教科書として使用されていたものに,ハングルで中国語音の注音や解釈そして朝鮮語訳を施したものである。本書の序文には「雅浬並陳……最長於訳学」(正俗が並び述べられていて,最も訳学(通訳官養成のための外国語教育)に長じている。)と記されている。本稿では本書と同時期に朝鮮で中国語教科書として使用されていた《老乞大》《朴通事》との比較を通して,本書の文体,語彙,語法の分析を行い,「最長於訳学」とされる本書の言語的特長を明らかにした。
著者
太田 伸広 Ohta Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.59-95, 2010

鬼には角や牙、爪があったりするが、 Teufel にはない。馬の足が Teufel の印である。鬼の色は赤が基本で、青、黒、白だが、 Teufel は黒色しかいない。鬼は女の鬼がいるが、 Teufel に女はいない。鬼は大きく力強い大人(鬼女は年寄りも)であるが、 Teufel は大男はおらず、年寄りで小人のイメージが強い。鬼は腕力が強く、頭が弱いが、 Teufel には超人的な知識を持つものも数々いる。鬼は打出の小槌や万里車、飛び蓑、隠れ蓑、生き鞭、死に鞭、宝物など夢ある物を持ち、それらが人間の手に渡り、人々に幸福をもたらすが、 Teufel の持ち物はお金しかない。鬼は人間の生活圏に現れることが多いが、 Teufel が人家に現れることはない。鬼の住処は山、鬼が島、鬼の家、穴、天井、地獄などであるが、 Teufel はほぼすべて地獄に住む。 Teufel は金をちらつかせ、貧しい者に接近し、契約を結び、魂を奪おうとする。こんな鬼は一匹もいない。 Teufel は悪人の魂を奪い、地獄に落とすことで、善人を救い、悪人を罰す神の役割をも果たしている。こんな鬼もいない。鬼は女を浚い、妻にし、子をもうけたりするが、そんな Teufel はいない。鬼は人を食うし、食う場面もあるが、 Teufel は人を食うと想像させるものが一匹いるだけで、原則人を食わない。 Teufel は神の対概念で、神に反対し神と闘うが、鬼が神や仏の対概念であることはない。総じて、鬼は人間的で地上的で非宗教的であるが、 Teufel は超人間的、地下的、来世的、キリスト教的な存在である。
著者
川口 敦子
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.29, pp.67-74, 2012

ドミニコ会士ディエゴ・コリャードによる『羅西日辞書』(1632年ローマ刊)について、2011年のローマおよびヴァチカンでの調査を中心に、諸本の異同を検討する。『羅西日辞書』の日本語訳は未だ公刊されていないが、翻訳のためにも、文献研究の基礎とも言うべき諸本の比較と最善本の選定は重要である。『羅西日辞書』はイエズス会のキリシタン版に比べると現存する数が多く、一部の諸本の異同については既に大塚光信氏による研究があるが、本稿はこれに加えて、アレッサンドリナ図書館、ウルバノ大学図書館、ヴァチカン図書館、ヴァリチェリアナ図書館、ライデン大学図書館、東京大学総合図書館が所蔵する本の異同について検討し、諸本の成立過程について考察した。正誤表に基づいて異同箇所を検討したところ、版の先後関係はやや複雑で、単純に一方向を示してはいなかった。中には、改版前の古い折丁が改版後の製本段階で紛れ込んだかと推測される例もある。また、『羅西日辞書』は正篇(補遺を含む)と続篇で構成されているが、異同の状態から、正篇と続篇は別々に印刷されたものであることが推定できる。現存する諸本は「正篇のみ」「正篇と続篇の合冊」「正篇と続篇の分冊」のいずれかの形で製本されているが、これは別々に印刷した正篇と続篇を組み合わせて製本した結果と言える。こうした複雑な異同の状態を踏まえて、『羅西日辞書』を日本語資料として活用するためにも、ヨーロッパ各地に多く現存する諸本の調査と研究が今後の課題である。
著者
立川 陽仁 Tachikawa Akihito
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.191-204, 2010

カナダの太平洋沿岸部において、20世紀を通じて地域を支える一大産業にまで成長したサケ漁業は、現地の先住民社会の経済的な自立も支えてきた。しかし1990年代からのサケ漁業の衰退により、先住民社会は経済的自立を支える新たな方途を模索せねばならなくなっている。そこで一部の先住民に注目されたのが、養殖業であった。養殖業に注目した先住民の一部は、みずからのコミュニティを再び活性化させることに成功しているが、彼らはそれだけに飽き足らず、みずからの成功を他の先住民社会にまで拡大しようと目論んでいる。そのような先住民有志によって設立されたのが、先住民養殖業協会である。本稿は、この先住民養殖業協会の設立背景と現時点における活動を整理し、かつその将来像についても若干の分析をおこなうものである。
著者
武笠 俊一 MUKASA Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.28, pp.11-26, 2011

古事記崇神条にある大物主大神と生玉依姫の神婚譚は「三輪山型神話」の一つとして知られている。これは「針と糸」によって若者の正体を探った神話であるが、古事記はこの神話によってオオタタネコが神の子の子孫であることを説明したことになる。その証明は「説話的論理」によってなされていた。すなわち、「針が刺された」という記述は、神の衣に糸目の呪紋が付けられたことを意味し、この記述は二人が正式な結婚をしていたことを示唆していた。そして「麻糸が三輪だけ残った」ことは、ヒメの住む村が三輪山からはるか遠くにあったことを示していた。つまり、神は遠路を厭わず河内の国のイクタマヨリヒメの元に通われたことになる。この神婚神話は、三輪山の神が奈良盆地のあまたの女性たちではなく、河内の国の娘をもっとも深く愛したことを示し、それによってオオタタネコの一族が三輪山の神の祭祀権を持つ正統性を「説話的論理」によって証明しようとしたものである。ところが古事記の神婚諄には始祖説話と地名起源説話の相矛盾する二つの要素が混在している。「麻糸が三輪残った」という伝承は後者固有のものだから、この混乱は古事記編纂者による神話改作の事実を示唆している。さらに「三輪の糸」のエピソードからは、ヒメの住む村が高度な製糸織布技術を持つ地域であったことが推測される。もしそうなら、この神婚諄の舞台は、本来は土器生産の先進地であった河内南部ではなく奈良盆地南部の三輪山の麓の村であったことになる。つまり、三輪山の祭祀権だけでなく、この神話もまた河内の人々によって纂奪されていたのである。
著者
湯浅 陽子
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.21, pp.71-85, 2004

宋代の詩風形成に大きな影響を与えた人物の一人と目される梅尭臣は、絵画鑑賞に関わる詩を多数残している。そのうち景祐二年から皇祐二年に制作された作品には、絵画における形と意・形と心の関係への言及がいくつも現れるが、描かれた人物の形と心を対比させる表現が六朝期以来のものであるのに比して、形と意を対比させる発想には唐代以降の絵画論との関わりが窺われる。またこの「意」の重視は歐陽脩によって梅堯臣の詩風と関わるものとして捉え直され、彼らの文学の特色として周囲人物による文学批評にも影響を与えている。その後皇祐三年に同進士出身の身分を得て太常博士となった後の梅尭臣は、都で洗練された美的感覚を持った友人たちと交遊し、公私蔵書画の閲覧に際して数多く長編の古詩を制作している。これらの詩の多くは前半部で主要な所蔵品の描画内容や保存状態や材質を詳しく説明し、後半部ではその他の所蔵品を具体的に列挙するという形式を採っており、一種の絵画鑑賞記録としての性格を持つと思われる。また梅尭臣らは公私蔵書画の参観に出かけるだけでなく、しばしば仲間うちの小宴で絵画を楽しんでおり、そのような場で梅尭臣が絵画鑑定家的な立場で制作したと思われる作品が皇祐年間から嘉祐年間にかけて盛んに制作されている。蔵画家たちは自己の所蔵品の価値を高めるべく、優れた絵画鑑賞眼を持つ高名な詩人による洗練された鑑定と題画詩とを求めたのではないだろうか。しかし梅尭臣が絵画鑑賞仲間との問で形と意等の問題意識を共有することは少なく、その結果、梅堯臣は初期に展開していた思考を継続して深めていくことができなかったようだ。従来文人の修養と結びつくイメージを持つ竹を描くことにおいても、梅堯臣は竹の持つ精神性に言及しておらず、墨竹に精神性を求める傾向は彼より後の世代に強くなっていくと考えられる。論説 / Article
著者
坂本 つや子 Sakamoto Tsuyako
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.179-189, 2010

Constance Brown Kuriyama による Christopher Marlowe の伝記研究は、 John Bakeless に始まる、ヴィクトリア期以降マーロウ研究が盛んになって以来、次々に発見される資料をもとにした実証的研究の流れに沿っている。しかしクリヤマは膨大ではあっても、断片的な資料に基づいて過去の人物像を再構築する際に陥りがちな、先入観による事実歪曲の危険性についても認識している。クリヤマはカンタべリにおけるマーロウの一族とキングズ・スクールの教師、ケンブリッジ時代以降の友人や周辺の人々、ケンブリッジの頃から繋がりがあったと考えられる国務長官サー・フランシス・ウォルシンガムおよびバーリー卿父子、ロンドンの劇場関係者たち、およびパトロンであったトマス・ウォルシンガムやストレンジ卿、あるいはサー・ウォルター・ローリーおよびノーサンバランド伯爵等、マーロウの人生にかかわった人々との関係性について綿密に分析を行い、マーロウの人生の謎の部分について、極めて理性的な考証を行っている。