著者
村上 陽子 Murakami Yoko 沖縄大学地域研究所 東京大学大学院総合文化研究科
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.119-132, 2014-03

「ギンネム屋敷」には、レイプ、従軍慰安婦、沖縄戦、民族差別など、さまざまな主題が書き込まれている。「沖縄人」の主人公「私」をはじめ、「朝鮮人」、「米軍人」、「ナイチャー二世」など、民族性を強く帯びた男性登場人物の語りによって構成されるこのテクストの中で、レイプの被害者としてあらわれる女性登場人物は沈黙を強いられている。そのため、従来「ギンネム屋敷」の男性登場人物が、帝国主義や植民地主義、冷戦構造をふまえた関係を形成している点が注目されてきた。その一方で、女性登場人物の位相は十分に論じられることがなかった。それを踏まえて、本稿では女性登場人物の位相を詳細に分析していくことにする。沈黙を強いられる女性たちはテクストの中で空所化され、男性の言葉によって意味付けられていく。だが、彼女らはときに、他者の言葉によって表象され、統御される以上の存在となってあらわれる。本稿では、そのような意味付けられない女性たちの、あるいは言葉を奪われた死者たちの回帰を〈亡霊〉と呼ぶ。〈亡霊〉が物語を構築する語りの主体に取り憑き、物語空間を飛び交っていることをテクストの分析を通して明らかにしていく。語りの主体がすでに〈亡霊〉に取り憑かれていたのだとすれば、テクストから排除されていた彼女たちの声を、物語を構成する言葉の中に潜勢するものとして読み直すことが可能となるだろう。The themes of Matayoshi Eiki's "Ginnemu yashiki" varies from rape, "comfort women", Battle of Okinawa, and ethnic discrimination. This text consists of the narratives of male character with strong racial traits. Female characters are, in contrast, forced to bear the silence, and described as victims of wars and rapes. Therefore, previous studies have focused on the relationship among male characters and have critically discussed structural outline of imperialism, colonialism, and cold war. On the other hand, issues of women have been left unexamined.Now therefore, I examine the phases of female character. Female characters of those forced to be silent become the blank of the text inside. Male characters represent her words and attempt to fill up the blank. However, those forced to be silent have already gotten into male characters, the narrator of the story, and are not just being represented by the word of others. In this study, I call these deprived of their words and obsess narrating agents as "disembodied spirit" and articulate their influence on the narratives of agents. Through rereading this piece, I reexamine the issue of female characters of those remain unexplored and argue that they present in the text.
著者
北村 毅
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.3, pp.49-66, 2007-03-31

本論文は、沖縄県糸満市の「摩文仁(まぶに)の丘」と呼ばれる戦跡空間を事例として、沖縄戦の戦死者表象を巡る記憶のポリティクスを考察するものである。本稿の目的は、まず、摩文仁の丘を巡って、沖縄戦の戦死者がどのように表象されてきたのかを明らかにすることである。とりわけ、1995年、摩文仁の丘の麓に建設された、約24万の戦死者の名が刻まれた記念碑、「平和の礎(いしじ)」が分析の対象となる。その「平和の礎」を巡る諸種の言説や実践を検証する作業を通して、〈戦後〉という時間的・認識的区分に表された、「想像の共同体」の外縁(外枠)を捉えることが、最終的な目的である。第1章では、1960年代に始まる摩文仁の丘の上の慰霊塔群の「靖国化」と、丘の下の「平和の礎」を巡る「靖国化」について検証した。第2章では、「〈平和〉のイマジネール」という概念を提唱した上で、丘の上と下の共通性について指摘し、第3章では、小泉純一郎首相を事例に、「平和の礎」を「靖国なるもの」に接合するレトリックについて分析した。そして、第4章と第5章では、「平和の礎」における、ある「平和ガイド」の語りの実践に見出される、個々の戦死者を基点(起点)とする沖縄戦の想起の在り方に着目し、そこから、「〈平和〉のイマジネール」に規定された〈戦後〉を脱構築する可能性、ポスト〈戦後〉への布石を看取した。
著者
与那覇 晶子
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.1, pp.55-67, 2005-06

第3回沖縄市戯曲大賞受賞作品『カフェ・ライカム』は、上里和美の初戯曲で、2000年11月、沖縄市民小劇場「あしぴな-」で初演、また翌年7月「県立郷士劇場」で再演された。上里はこの戯曲を通して、戦後沖縄をたくましく生き抜いてきた沖縄の女・夏子を中心に沖縄の戦後を抉り取って見せる。その特筆すべき点は、戦争中日本人隊長にレイプされた夏子の過去が、皮肉にも、夏子にプロポーズし、朝鮮戦争で記憶を失った報道カメラマン・ハイマンの撮った写真と「記憶の想起」によって明らかになる劇構造である。またメタシアターの要素がちりばめられたことばの面白さも含め、クレオール化する沖縄、変わることのないキーストーン沖縄の姿が立ち現れる。この論稿では、「戦争、女、記憶」というモチーフ/文脈の中で『カフェ・ライカム』を位置づけ、この作品の意義を明らかにしたい。そのため沖縄の劇作家・知念正真の『人類館』(第26回岸田戯曲賞受賞)およびイタリアのノーベル賞受賞作家・ピランデルロの『未知の女』を通して、これらのモチーフに関する類似と差異を検討し、その上でとりわけ記憶というモチーフが作劇上どのように機能したかを論じた。War comes up in plays even after a half century has passed since the calamity of the Battle of Okinawa. It appears as if Okinawans are trying to reall their tragic memories of the war over and over again. There are two distinctive characteristics of modern Okinawan plays. The first characteristics is that women play central roles in war plays. The second is that themes of the plays are also related to Okinawa's socio-political sphere; specifically the huge U.S. military bases that have stationed in Okinawa, making it the key stone of the Pacific. The play 'CAFE RYCOM' which won an Okinawa City Play Award in 2000, displays the above two characteristics. The play was written by Kazumi Uezato, a dentist and a political activist, and was directed by Kyoko Teruya on November 3rd and 4th 2000 in the the "Ashibina-" theatre, and reproduced in 2001. The majority of the audience appreciated it well as the play displayed what many Okinawans experienced during and after the war. The play covers World War 2, the Korean War, and the Vietnam War. Its long span of time shows the position of Okinawa caught between the U.S. and Japan. The U.S. occupation of Okinawa which lasted for 27 years from 1945 to reversion to Japan in 1972 ironically indicates Okinawa's geo-political importance and the eventual pressure applied to Okinawans. The main story of the play is focused on the love story of an Okinawan woman, Natuko, who was a nurse working for the Japanese military, but who was actually raped and treated as a sort of comfort woman by a Japanese captain during the land Battle of Okinawa. After the war, she falls in love with an American war photographer, Highman, at CAFE RYCOM. However, Highman's loss of memory in the Korean War forced them to separate for 18 years, during which time she gives birth to a boy and raises him while working as a dancer and singer. At CAFE RYCOM, some women supposedly sell their bodies while raising their children. This shows the multiple gender of Okinawan women.
著者
与那覇 晶子 Yonaha Shoko 沖縄大学地域研究所
出版者
沖縄大学地域研究所
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
no.13, pp.95-118, 2014-03

スーエレン・ケイスのフェミニズム演劇理論を中軸に据えて、沖縄の組踊「忠孝婦人」を検証してみた。男が書いて男が女を舞台で表象してきた演劇であるという点で、古代ギリシャから近代にかけて網羅されてきた西欧演劇の実態とほとんど変わらない。組踊は日本の伝統演劇、能楽や歌舞伎、狂言の影響もあり、それらが男性中心に演じられてきた芸能であるのと同様、現在まで男性中心に上演されている。新旧合わせて約90作品ある組踊の中で、50作品以上が仇討物である。その中で特に近代において最も人気があったのが「忠孝婦人」である。その背景を見ると、テキストそのものの面白さ、ユカッチュの妻の潔さ、谷茶の按司や臣下の満納と主人公乙樽の対話、ロゴスの面白さが際立っている。修辞の魅力が按司のセクシュアリティと必死にその罠から逃れ、若按司を救い出す手立てを模索する乙樽の言説の豊かさゆえであった、ということが浮かび上がってきた。しかし乙樽は家父長的封建制を維持しながらかつコロニアルな政体でもあった琉球士族の理想の女性であり、彼らの分身そのものであった。フェミニズムの視点から乙樽の行為主体性(エイジェンシー)、行為主体(エイジェント)を見た時、それは首里士族男性のフィクショナルな造形であり、リアルな女性は存在しない。当時琉球王府は、すでに辻や仲島遊里を国体の維持システムとして有していた。公の場で表象されなかった女性の身体だが、しかし遊女(ジュリ/ズリ)たちは生身の芸能やセクシュアリティを体現する存在として薩摩の在番や冊封随行員の前に立ったのである。分断された女性のシステムの上に組踊が創作され、上演されていた歴史の在り様を見据える必要がある。沖縄のフェミニズム理論の構築や運動の欠陥を埋める論理化の中に、辻や仲島遊里(遊郭)のジュリと呼ばれた女性たちを包含しえない限り、その運動や理論の破綻を埋めることはできないと考える。Based on Su-Ellen Case's feminist theory of feminism and theatre, this paper analyzes Okinawan Kumiodori Chuko fujin (The Lady of Loyal Piety). In a sense as it was created and performed by men, it just identifies the theatre history of the West from the Greek to Shakespearean period, and the early modern period. Also as it is well known that Kumiodori was influenced from Japanese Noh, Kabuki, and Kyogen, which have been created and performed in the male-dominated society and cultural values, the male dominance has been penetrated till the present. In about 90 classic and new Kumiodori, more than 50 of them are vengeance stories. Among those vengeance ones, Chuko-fujin was one of the most popular ones in the early modern period in Okinawa. The reason was due to an appealing text, bravery of Samurai's wife, dialogues between female main figure Utudaru and Lord Tancya and his feudatory manner. The attraction of rhetoric was resulted from Lord's sexuality toward Utudaru and her way of putting a gloss on his coerce approach to find some means to save a trapped young load. However, Utudaru was an ideal female of the kingdom while representing samurai's alter ego, on its patriarchy system and still coronal body. When we see Utudaru's agency and agent in terms of feminist theory, she is just a fictional figure, not a real one. At that time the kingdom had owned the treasure courters Tuji and Nakashima as her national valued function. Though women had been excluded from social and cultural lives of performance, courtesans called Juri/zuri stood in front of warriors of Satsuma and attendants from Shin dynasty. Okinawan feminism theory shouldn't over look that in this divided female social system, Kumiodori was created and performed by men. Juri/zuri danced and sang songs together with those men, and this fact should be well considered when we try to reestablish Okinawan feminism: feminist ethnography and gender ethnicity.
著者
谷口 正厚
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.19-28, 2006-03-31

1998年に障害者のケアマネジメント事業が沖縄で開始されてから8年目になる。障害者ケアマネジメントの実践はこれまでの沖縄の障害者福祉を大きく変えるものである。障害児(者)地域療育等支援事業を中心にその実践を紹介する。名護療育園では療育園の機能とスタッフを活用して地域の障害者に対する支援が行われてきた。また名護市を中心とする北部圏域では身体・知的・精神3障害の支援センターとさらに就業・生活支援センターが沖縄で最も早く設置され、障害の種別をこえたネットワークが形成された。糸満市のみなみの里では沖縄で初めて知的障害者のケアマネジメント施行事業が実施され、ケアマネジメントの実践が積み重ねられた。本島中部にある中城村のグリーンホームでは地域の中に入りニーズを掘り起こす活動が行われ、今では養護学校からの相談を含め多くの相談が入るようになり、一人では対応しきれない状況が生じている。石垣市の八重山育成園でも、竹富、与那国など離島も含む訪問活動を積み重ねるとともに、同時に身体障害者の支援センターも設置し身体・知的の障害者に対して統合的に相談活動を進めてきたが、さらに現在は精神障害者生活支援センターも統合する方向を目指している。ケアマネジメント活動のなかで、重症心身障害児通園事業(糸満市)、児童デイサービス(うるま市)、障害者福祉サービスを有償で行うNPO法人設置(石垣市)等新しい社会資源も作り出されている。本稿の最後に、要求の掘り起こしという初期の段階から、増大するニーズに対応する安定した組織の確立や地域の相談ネットワークの確立が求められていることなど新しい段階に入ったケアマネジメントの今後の課題について提起した。
著者
田村 三智子
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.205-211, 2006-03-31

本研究の目的の一つは、沖縄都市モノレールの開通が国際通りと新都心へどのような影響を与えたのかを分析することであり、もう一つは、消費者の日常の購買行動を明らかにすることである。利用するデータは、モノレール開通約1年後の2004年7月10日(土)、11日(日)に那覇都心部でおこなった、来街者ベース聞き取り調査によるマイクロデータである。結果として、モノレール開通による、都心部へのアクセスする際の平均所要時間の短縮、平均交通費の減少、出向頻度の増加、利用交通機関の変化などが明らかになった。特に新都心においては、国際通りを上回る平均所要時間の短縮、平均交通費の減少、出向頻度の増加が見られ、モノレール開通による国際通り離れと、それに伴う新都心への集中が見受けられた。また、那覇都心部の消費者が、生鮮食品、一般食品、家電製品、日用品、身の回り品、外出着、普段着等、購買するものによって、購買頻度、購買額、購買場所、購買時間等をどのように使い分けているかが明らかになった。
著者
佐竹 絵美
出版者
沖縄大学
雑誌
地域研究 (ISSN:18812082)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.213-222, 2006-03-31

この調査の目的は苗族の生活を聞き書きにより記すことにある。調査は2005年6月26日から7月2日までの期間で実施した。台江苗族の生活と年中行事、特にドラゴンボートレースについて記している。