著者
木下 尚子
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
no.78, pp.83-106, 2003-03
著者
深堀 建二郎 フカホリ ケンジロウ Fukahori Kenjiro
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢
巻号頁・発行日
vol.98, pp.1-2, 2008-03-07
著者
松岡 浩史 マツオカ ヒロシ Matsuoka Hiroshi
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.108, pp.57-70, 2017-03-17

Sexual allusions and puns rampant in the text of Macbeth cannot be pretermitted just as the dramatist's word games considering their quality and quantity. The plot of the play furnishes the portrait of a man whose end is only to satisfy his political/sexual desires, lying outside the circle of generation. With the reference to the sources of social history, anatomy and demonology, this paper reveals the double-structure of the play, where political ambitions are always replaced by sexual metaphors. As Macbeth's political sterility parallels his sexual dysfunction, the king's political body, which was supposed to be invisible, is relentlessly visualized by the embarrassed body of the protagonist.
著者
中川 順子
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.107, pp.11-22, 2016-03-17

This paper explores London citizens' attitudes towards immigrant presence, particularly, their legal status in early modern London. First, I will describe an outline of the legal status that immigrants acquired, focusing on denization and a London citizenship for them in the latter half of the sixteenth century. Second, I will investigate the meaning of the 'freedom of the City' and its privileges for immigrants. The evidence shows that although they were crucial to their success in London, only a small percentage of them enjoyed those privileges. The national government could have encouraged the City's authority to grant them legal status. The introduction of such a policy, however, garnered fierce opposition from Londoners, as the citizenship of London was the core value of local identity and Englishness as well as political and economic rights. To conclude, the City government could have continued imposing strict economic and social restrictions on immigrants for their lineage's sake.
著者
小松 裕
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.93, pp.23-41, 2007-03-05

1 0 0 0 IR 散髪令考

著者
三澤 純
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.74, pp.154-174, 2002-03-20

神風連の乱の直接の原因とされる熊本県における散髪令は全国の散髪令と比較して特異な位置にあること、神風連の乱にのみ結び付けて理解すれば正当に評価できなくなることが明らかになった。各府県において出された独自の散髪令と士族との関係について、歴史的実情に沿った形での研究の深化が求められている。
著者
篠崎 榮
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.66, pp.19-32, 2000-03-20

この論文で考えることは、「神の像(imago Dei)」という聖書の表現が、「人間とは何か」を考えるうえで、今日どれほどの哲学的・人間学的な意義をもちうるか、ということである。
著者
三澤 純
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.69, pp.1-20, 2000-03-20

本稿における第一の課題は、熊本県立図書館寄託藤岡家文書中の「密報」の年代比定に関する筆者のこれまでの見解の誤りを訂正しつつ、その後の知見を踏まえて水野公寿氏の批判に答え、そして新たな年代比定を行うことにある。第二の課題は「密報」の内容中、特に注目される日本における太陽暦採用とその社会的影響という問題の追究である。
著者
荻野 蔵平 Bauer Tobias
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
no.98, pp.167-182, 2008-03

Bei diesem Beitrag handelt es sich um eine japanisch Teilubersetzung des "Gart der Gesundheit" (Erstdruck 1485), der als eines der wichtigsten spatmittelalterlichen Werke der Krauterbuchliteratur gilt. Hier beschrankt sich die Ubersetzung auf den ersten Teil, die "Vorrede" sowie das erste bzw. das 426. Kapitel des zweiten Teils, namlich "Beifuss" und "Fuchs".
著者
深堀 建二郎
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.98, pp.97-120, 2008-03-07

Elisabeth Langgasser, die als Halbjudin in der genzen Zeit des Dritten Reichs in Berlin lebte und mit ihrem arischen Mann und drei Tochtern unter wiederholten Luftangriffen sehr litt, gab kurz nach dem Weltkrieg 18 Kurzegschichten als "Der Torso" heraus, die von zwei Gedichten eingerahmt sind. In disem Kuzgeschichtenband "Der Torso" ist "alles drin: der Schrecken, das Entsetzen, der Wahnsinn und die Groteske, aber auch die Unschuld ... und die Treue und Zartlichkeit ..." Im vorliegenden Aufsatz habe ich diese 18 Geschichten und zwei Gedichte zunachst genau interpretiert. Und dann habe ich die Frage untersucht, ob dieser Band als Ganzes eine musikalische Komposition hat oder nicht, weil Langgasser in einem ihrer Briefe seinen "Aufbau musikalisch, nicht logisch, geschweige chronologisch" auffasst. Als Ergebnis hat sich ergeben, dass man diesen Band nicht genau als musikalisch bezeichnen kann, er jedoch als Ganzes unter einem einheitlichen Gesichtspunkt beschreiben werden kann, d.h. mit christlichem Glauben durchdrungen ist, zu dem sich Elisabeth Langgasser lebenslang bekannt hat.
著者
森 正人
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.105, pp.151-161, 2014-03-17

本論文は事実と虚構という問題意識にかかわって、古代の説話と作り物語、近代の小説における転生譚をめぐり表現の方法を検討するものである。はじめに現代の事実および虚構の概念に相当する古代・中世の言葉に関して一般的な検討を行い、この問題をめぐる作り物語の批評基準および同時代の説話の表現方法を整理し分析する。そのうえで、浜松中納言物語、この物語を典拠としたと作家が明言している「豊饒の海」における転生の証拠と転生者の記憶の問題を取り上げ、その構想と表現方法を読み解く。浜松中納言物語は当時の説話を踏まえながら、その言説に見られる事実性を強調する方法に倣わず、「まことらしさ」を満たせば十分としている。「豊饒の海」は、浜松中納言物語を典拠としたと三島由紀夫自身明言しつつ、そこからさらに古代日本の転生をめぐる説話や浜松中納言物語のプレテクストである竹取物語をも導き入れて構成されている。そのことによって、小説は「典拠」からずらされ、小説自体をも相対化する。
著者
森 正人
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
no.105, pp.151-161, 2014-03

本論文は事実と虚構という問題意識にかかわって、古代の説話と作り物語、近代の小説における転生譚をめぐり表現の方法を検討するものである。はじめに現代の事実および虚構の概念に相当する古代・中世の言葉に関して一般的な検討を行い、この問題をめぐる作り物語の批評基準および同時代の説話の表現方法を整理し分析する。そのうえで、浜松中納言物語、この物語を典拠としたと作家が明言している「豊饒の海」における転生の証拠と転生者の記憶の問題を取り上げ、その構想と表現方法を読み解く。浜松中納言物語は当時の説話を踏まえながら、その言説に見られる事実性を強調する方法に倣わず、「まことらしさ」を満たせば十分としている。「豊饒の海」は、浜松中納言物語を典拠としたと三島由紀夫自身明言しつつ、そこからさらに古代日本の転生をめぐる説話や浜松中納言物語のプレテクストである竹取物語をも導き入れて構成されている。そのことによって、小説は「典拠」からずらされ、小説自体をも相対化する。
著者
岡部 勉
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.55-74, 2003-03-20

人間に固有の人間的な能力というものは、大脳皮質のような特定の身体的な部位に、実現される可能性の全体が予め描き込まれているというようなものではない。例えば言語能力の基礎的な部分は、或る仕方では大脳皮質に書き込まれていると言えようが、人間の言語能力が具体的に実現されるときには、日本語とか英語を話す能力として実現される。人間の場合には、日本語とか英語のような、それ自体は文化的構築物であって、直接的に身体の延長上にあるものではないが、身体能力の或る種の拡張としての文化的構築物、そういうものが決定的な意味を持つ。以下の考察は、感情と理性の起源について想像してみることによって、人間性の起源という話が一体どのようなものになるかを素描してみようとするものである。なぜ感情と理性かというと、人間にしか生じないと思われる意思の弱さというものが、感情と理性を主役とするものであるように思われるからである。
著者
篠崎 榮
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.76, pp.1-17, 2003-03-20

In this essay I discuss Plato's conception of justice in the Republic. In the first part I summarize the main idea of Plato's answer to the question 'What is justice?' referring to N.O.Dahl's paper. In the second part I ascertain Plato's conception of justice by focusing on the passage where the duty of descending the cave is imposed on philosophers. In the final part I criticize Plato's conception of governance that politics is the remaking of people's souls and social institutions.はじめにこの論文で私が何を論じるかを述べておきたい。論文は三つの部分からなる。第Ⅰ部では、『国家』篇の全体で、そのテーマである正義がどのように論じられ、<正義とは何か>という問題に対するその回答は如何なるものであるのかを、読み取る。第Ⅱ部では、特に何人かの解釈者にとって作品の整合的読解の試金石になってきた7巻の哲学者に課せられる<洞窟への下降義務>を正確に理解することを通して、正義とは何であったのか、をいっそう明確に読み取る。第Ⅲ部では、この正義についてのプラトンの考え-政治とは社会制度と人間の魂をイデア界の最美の秩序をモデルにして作り直すことであるという見方-を、ハンナ・アレントの批判を手掛かりにして検討する。
著者
吉村 豊雄
出版者
熊本大学
雑誌
文学部論叢 (ISSN:03887073)
巻号頁・発行日
vol.65, pp.1-10, 1999-03-20

小稿の目的は、簡単にいえば、近世幕藩体制下の武家が「自己破産」しないのは何故か、江戸版「社会更正法」とでもいうべき近世武家の更正・財政保障システムの実態の一端を紹介することにある。