- 著者
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中垣 恒太郎
- 出版者
- 早稲田大学
- 雑誌
- 早稲田教育評論 (ISSN:09145680)
- 巻号頁・発行日
- vol.17, no.1, pp.55-68, 2003-03-31
マーク・トウェインの『ハックルベリー・フィンの冒険』はアメリカ文学史において正典(キャノン)として位置づけられてきたばかりでなく,出版当時から児童文学としても読まれてきたために,アメリカ合衆国では,小中学校,高校,大学を通して教材として用いられてきた。作品の受容史を振り返るならば,文学史の生成過程をめぐる問題や,批評理論などを通じて,それぞれの時代思潮を反映した読まれ方がなされてきていることがわかる。文学研究の教材としてこの作品は様々な用い方が可能であろう。出版直後から議論を呼んできた作品でありながら,長い間,教材の定番として読み継がれてきたが,公民権運動の1960年代以降,複雑な人種問題を内包しているがゆえに,多様な文化背景の生徒たちが集う,教室での教材としてはふさわしくないのではないか,という声が出始め. 1980年代半ばから90年代にかけて,教材のリストから除外される傾向が強くなった。はたして,『バック・フィンの冒険』は教材としての耐用年数を超えてしまったのか。マーク・トウェイン研究者による,教育教材としての作品研究への最新の取り組みなどを参照しながら,教育現場での文学教育のあり方について考える。同時に,アメリカ文学を外国文学として学ぶ日本の教室の事情について考察する。作品の流入史などを,英学史,比較文学の観点なども含めてたどることによって,外国文学を研究することの意味についても考えることになるだろう。さらに,制度としての文学研究の変遷をも意識しながら,日米における文学研究のあり方を比較文化的に(比較教育学的な視座まで含めて)考察していくうえでの序論となることを目的としている。