- 著者
-
中野 秀一郎
- 出版者
- 京都大学
- 雑誌
- 東南アジア研究 (ISSN:05638682)
- 巻号頁・発行日
- vol.6, no.1, pp.55-72, 1968-06
社会体系の成立・存続を合法的政権の存立を基準にして把えた理由は最初に述べたが, それはむしろ「構造」の在り方に対するタテマエに準じてのことであった。しかし, 現実には, 1957年以前と以後では, 特に「政府」の役割(その「能率性」と「正当性」)をめぐって顕著な差異が存する。consolidationの作業を中心とした初期のI・L次元での機能要件の充足は, 特に米国の強力な後押し, ジェムの民族主義者としてのイメージの斬新さ, 反仏・反封建・民族主義の一般感情など, favorableな諸条件にめぐまれていちおう成功的であった。もっとも, 政府・行政レベルにおけるkinship particularismの傾向はすでに1955年5月のジェム内閣の組閣にも顕著に現われているが, 1956年初頭の政治-宗教集団の掃討と政府軍の確立・強化とにみられる成功は, いちおう新政権が期待しうる成果としては上出来のものであった。しかし, 一方では主要な機能要件が対ゲリラ戦への諸活動となり, 他方, 行政の日常化(routinization)過程で権力の恣意性と権威主義(特に, ゴー一族の国政における私的干渉, 例, 1957年の"家族法")が増大し, 体系機能の全体的遂行という視角が消えてしまう。こうした体系機能要件遂行の阻害は, 組織論的には, particularismの進行に伴う, 命令統一・ライン組織の秘密警察組織による破壊が致命的であるが, これらはすべて「政策」施行のフィード・バック機構を閉ざすことになり, 権力の孤立化と独善化を招いた。特に, これが人的資源(忠誠と能力)の動員という社会構造の中心的要素を破壊するものであったことはここに詳らかにする必要もあるまい。(こうした行政的欠陥を如実に暴露しているのは, 1961年から始まった"戦略村"計画であった。)中央権力の機能喪失と正当性の失墜は, particularismの多元化として体系下位集団への「資源」配分の傾斜を招くが, それが伝統的な<kinship-oriented>の価値観を中核として, さらには第一次および文化的・派生的な機能をも充足させうる自足性の高い社会単位の生成を促す(もっとも, こうした状況自体を可能にするものは, 後進型社会に特徴的な社会的・機能的分化の未発達である)。こうして, 社会の四つの機能的下位領域で「政府」による「資源」動員の体制が空洞化し, 体系の崩壊が必然となるのである。