- 著者
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漆原 和子
- 出版者
- 法政大学文学部
- 雑誌
- 法政大学文学部紀要 (ISSN:04412486)
- 巻号頁・発行日
- no.64, pp.37-49, 2011
ルーマニアにおいて,EU加盟後5年を経過した2011年におけるヒツジの移牧の実態の把握を試みた。1989年12月の革命よりも前のヒツジの移牧の実態は,聞き取り調査によって正確に明らかにすることが困難であった。その後の市場経済体制下とEU加盟後の今日のヒツジの移牧は,2003年から2011年までの現地調査によってその実態が明確になった。調査地域は第2次世界大戦後の社会主義体制下において,生産性の上がらない場所として集団化をまぬがれたチンドレル山地の山麓である。ジーナ村とその周辺の海抜約1000mを基地として移牧を行う人々に限定して,調査を実施した。その結果,現在ジーナ村で登録されているヒツジの群は,冬の宿営地であるバナート平原で冬を越し,また春にはジーナ村に引き返す。夏は海抜1800m まで移動する。その際は,若羊のみ山頂の2200m 付近へ移動させる。一方,バナート平原に定住し,そこで飼われたヒツジは肉として売られるか,又はチーズの生産にむけられている。この数は年々大型化していて,その総数は不明である。しかし,1戸が1,000~1,500頭を超えるヒツジ飼育農家が増加している。その他にドナウ河畔まで南下し,冬を過ごすグループもあり,1 グループが600~800頭である。彼等は,夏はチンドレル山頂で過ごし,秋にはジーナ村にもどる。基地のジーナ村には秋の市場が開かれる時のみ戻る。もう一つはドナウ川下流域,又はデルタまで移動した移牧のグループである。彼等はEU 加盟後は移動をやめて定住している。その数は,今回の聞き取り範囲の推定頭数でも15,000頭に達することがわかった。ドナウデルタ全域では,定住しているヒツジの総数はきわめて多数にのぼると推定される。EU加盟後5年を経た今日のヒツジの移牧の実態から,今後のヒツジの畜産業の方向には次の二つが考えられる。一つは,バナート平原やドナウデルタのように冬も宿営地として飼育できる場で定住をし,大型化をはかる方向である。この方向は今後ますます飼育頭数が増加していくであろう。二つ目は,チンドレル山地の山頂まで移牧をし,良質の草を食べさせて,良質の若羊を飼育する方向である。これは,伝統的なこれまでの方法であるが,質の良い肉の需要がある限り,この移牧は消滅することはないであろう。しかし,伝統的移牧で扱うヒツジの頭数は年々減少すると思われる。