著者
國 雄行
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.67, no.6, pp.647-669, 2002-03-25 (Released:2017-06-16)

The purpose of this paper is to clarify the agricultural policy of the Ministry of Home Affairs by analyzing National Industrial Exhibitions, agricultural meetings, agricultural communications and agricultural districts. Since research up till now has concentrated on the technical aspects of the Ministry's agricultural policy, for example the introduction of western technology, the policy has received a negative evaluation. However, this evaluation is challenged by the new analysis of the institutional aspects of agricultural policy undertaken in this paper. National Industrial Exhibitions and agricultural meetings promoted domestic industry and encouraged farmers, while agricultural communications helped to set up agricultural exhibitions and spread knowledge about agriculture all over Japan. On the other hand, agricultural districts, which had been conceived as a way of encouraging agriculture, only served to define the routes followed by agricultural inspectors. In conclusion, it is clear that the negative evaluation of the Home Ministry's agricultural policy is somewhat distorted. A positive contribution was made to the development of agricultural techniques, to the growth of an agricultural information network, and to reforming the way in which farmers thought.
著者
本野 英一
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.75, no.3, pp.249-267, 2009

本稿は,中国最初の商標法となる筈だった「商標註冊試〓章程」の制定施行が無期延期になってから,第一次世界大戦終了期まで,在華外国企業と華商・華人企業の間で外国製輸入商品の商標権をめぐって何が起きていたかを,日本企業を中心に考察した論文である。華商・華人企業が日本企業保有の商標をその模造の対象とするようになったのは,1909年の鐘淵紡績の藍魚綿糸商標侵害事件がきっかけだった。この事件以来日本企業は,華商・華人企業による商標権侵害に悩まされることになった。だが,これは当時の中外間商標権侵害紛争の一面に過ぎない。日本企業は,華商・華人企業によって一方的に商標権を侵害されてばかりいたのではなかった。彼らは,西洋企業製品の模造品を製造販売する時は,華商・華人企業と提携した。両者の提携は,当初華商・華人企業が日本人製造業者を利用する形で始まっていたらしい。しかし,第一次世界大戦期になると,今度は日本人製造業者が,華商・華人企業を利用するようになっていた。それは,中国全土に広かっていた日貨排斥運動への対策として,欧米企業製品の模造品を製造販売するためであった。
著者
大峰 真理
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.79, no.1, pp.63-83, 2013

18世紀ナントがフランス第一の奴隷貿易港であり,王国を代表する国際商業都市であったことは,比較的よく知られている。なかでも世紀後半については,シャン・メイェールが史料「船乗り登録簿」(のちの分類名「船舶艤装申告書」)を分析して,奴隷貿易の進展を明示するとともに,ヨーロッパ沿岸貿易とアンティル諸島直行貿易の安定した成長を実証した。メイェールによる精緻な研究成果は,その後のナント海運史研究者と奴隷貿易・制度史研究者に受容され続けている。しかし彼がおこなった「18世紀前半は,記録の欠落が深刻である」という断定的な指摘は,世紀前半にかかわる史料調査と実証研究を限定してしまった。本稿は,筆者自身によるおよそ5年間の史料調査の結果『船舶艤装申告書一覧1694-1744年ロワール=アトランティック県文書館(フランス・ナント)Serie 120 J』(千葉大学,2011年)をもとに,記録情報を数量化し,最初の分析を試みて,研究史の欠落を補完しようとするものである。その結果は,18世紀前半ナント海運業の基軸分野の所在を明らかにするとともに,今後の歴史研究の展望を示唆するだろう。
著者
山口 和雄
出版者
社会経済史学会
雑誌
社会経済史学 (ISSN:00380113)
巻号頁・発行日
vol.47, no.5, pp.p606-609, 1982-02