著者
細谷 実
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.1-25,

本稿では、絵画や写真などの視覚的表象が何らかの弊害をもたらす条件およびその弊害の査定について考察する。表現は、一方で、あれこれの弊害をもたらすとされ、批判や規制の対象になっている。他方で、表現の自由は、近代社会における大切な原理として尊重されている。J.S.ミルを代表とするリベラリズムの考え方では、「言論の自由市場」での批評や非難はともかく、法的禁止という強い措置をおこなうには他者危害の存在が要件となる。他者危害として、自然・社会環境の破壊のような社会への危害を主張する論者もいるが、本稿では、個人への、しかも心理的な危害に焦点化して論じる。また、特定個人を名宛人にする加害には名誉棄損や侮辱での刑罰があるが、「女性」や「韓国人」といった一般名詞あるいは広範囲の集合への加害については、数的考慮によって問題視しないのが、従来の司法判断である。この点についても批判的考察をおこない、視覚的表象による個人に対する危害とそれへの対応について論じる。
著者
種村 剛
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.147-172,

本稿は「自己責任」についての考察として、特に1991年の新聞上の「自己責任」概念について焦点をあてて分析をおこない、次のことを明らかにした。第一に、1991年の新聞メディアにおいて、「自己責任」概念の使用頻度が上昇していることを確認した。そして、証券不祥事問題が、1991年に「自己責任」概念の使用増加の主な要因であると推測できることを示した。第二に、1991年の証券不祥事--証券会社の損失補てん--が、新聞メディアにおいて社会問題化する理由を整理した。1)1989年末に出された大蔵省通達が無視されていたこと。2)日本の経済のしくみにおいて、投資家および金融機関の自己責任原則が機能していないこと。3)証券会社が大口投資家に対してのみ損失補てんをおこなっていたことが、人びとの不公正感を喚起したこと。以上の三点を指摘した。第三に、新聞メディアの「自己責任」概念の使用法について確認し、次のことを示した。1)新聞メディアは「自己責任」概念を、「個人的な不公正感」を「社会的な不公正感」に転換する鍵概念として用いたのではなかろうか。2)新聞メディアは、「社会的な不公正感」を「自己責任の徹底」へ水路づけ(canalization)するために、「自己責任」概念を用いていたのではなかろうか。
著者
中村 桃子
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-23,

本稿では、メディアはことばによって想像の共同体をつくるという「テクスト共同体」(Talbot 1992)の考え方をスポーツ新聞に当てはめて、スポーツ新聞が事実の報道を超えて物語世界を構築していく手法を明らかにする。スポーツ新聞共同体の第一の特徴は、異性愛の男性が明確な階層構造を構成することで男同士の絆を深めている点である。選手と監督、勝者と敗者は極端に対比され、密着した上下関係に位置付けられている。命令形、断定形、男ことばの多用や戦争の比喩も共同体を男性化している。スポーツ新聞の第二の特徴は、その物語化とお笑い化である。出来事や人間関係は、過去から現在の歴史の中に位置づけられて、伝説や物語として描写される。一方で、くだらない語呂合わせやしゃれにあふれている。物語化とお笑い化は、どちらも読者を共同体から分離させることで、スポーツ新聞を、読者が自分のアイデンティティを介在させずに安心して消費できる媒体にしている。
著者
中村 友紀
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.81-105, 2014-01

近代初期イングランドの社会史・文化史において、"topsy-turvydom<(秩序転倒)や"upside-down<(天地逆転)とは史料によく登場する一つのキーワードである。当該社会の諸表象には、「秩序」への強い意識が見られる。統治する側、権力を持つ側の人々も、民衆の側も、それぞれの立場からの秩序についての明確な概念を持ち、その裏返しに、規から逸れた反秩序についての声を史料に多く残している。JohnWebster のThe White Devil(c.1612 年)は、そのプロットに反秩序の構造を備えている。正義と不正の葛藤であるはずの復讐劇が、不正と不正の葛藤のドラマとなっており、モラル荒廃やジェンダー逸脱が共感・反感こもごもの反応を招き、秩序や価値の感覚に摩擦をもたらす内容となっている。復讐劇へのアンチテーゼともいえるこの作品から、復讐劇ジャンルのカタルシスを分析する。
著者
伊藤 明巳
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.75-90,

本稿では、ウルトラマンというポピュラー文化を沖縄で読む試みを文芸批評的にではなく、オーディエンス論から考察する。テレビ番組などの視聴体験は、社会的なアイデンティティの差異によって異なる読みが生み出される可能性が指摘されているが、ウルトラマンは、それにかかわった沖縄出身者との関係から、読むという実践をアイデンティティを強化しながらおこなうことを可能にする素材となる。その事例分析として、沖縄にてウルトラマンを読むことを素材にしたフォーカス・グループ・インタビューによる調査を行った。その結果、沖縄出身か否かで読みの差異がみられたことが観察できたが、その差異は従来のオーディエンス論調査の事例とはまた異なり、社会的カテゴリーよりも社会的境遇による共感を重視したものであった。
著者
板橋 クリストファーマリオ
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.27-39,

テニスはプレーする人は多いが観る人が少ないスポーツの代表的種目である。「テニスが観るスポーツとして人気が無い」理由について、大学の実技体育科目でテニスを受講した学生を対象にアンケート調査を行い、テニス観戦の阻害要因の抽出と観戦者拡大の方策を検討することを目的とした。調査対象者は144名(男性144名、女性0名)であった。調査方法は自由記述形式で行い、KJ法にて要因を抜き出し単純集計を行った。結果について、多かった意見の上位は「テニスになじみが無い」「世界で活躍する日本人選手が少ない」「試合時間が長い」「一度に見られる選手の数が少ない」となり、テニスやテニス選手に対する親近感が不足していることと、テニスの試合方式が観戦の場面においては障害になっていることが明らかになった。これらのことから、テニスの試合やテニス選手を多くの人が目にするメディアで露出するための取り組みや短時間で終わる試合方式で複数選手が総当たり戦を行う大会を開催するなどの新しい大会の在り方が、新たな観戦者獲得のきっかけにつながるのではないかと考えられる。
著者
林 博史
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-31,

1942年2月にシンガポールで日本軍がおこなった華僑粛清事件は、アジア太平洋戦争期における日本軍の代表的な残虐行為としてよく知られている。シンガポールでは体験記や資料集が数多く刊行され、日本側の関係者の証言もある程度は出されているが、この事件の全容を解明した信頼できる研究が日本にもシンガポールにもない。そうした中で本稿は、この粛清事件の全体の概要を、日本側の動きと要因を中心に明らかにする。まず粛清の命令・実施要領の作成・実施過程を日本側資料によって明らかにする。また日本軍の構成、華僑政策の特徴など背景について分析し、定説がなく議論となっている犠牲者数の検討、粛清をおこなった理由について検討する。シンガポール華僑粛清が、シンガポール占領前から計画された華僑に対する強硬策の一つであり、長期にわたる中国への侵略戦争のうえになされた残虐行為であると結論づけている。
著者
林 博史
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.37, pp.51-77,

本稿では連合国の戦争犯罪政策の形成過程について、連合国戦争犯罪委員会に焦点をあて、同時に連合国の中小国の動向、役割に注意し、かつイギリスとアメリカ政府の動向を合わせて分析する。枢軸国による残虐行為に対してどのように対処するのかという問題を扱うために連合国戦争犯罪委員会が設置された。委員会は従来の戦争犯罪概念を超える事態に対処すべく法的理論的に検討をすすめ、国際法廷によって犯罪者を処罰する方針を示した。だがそれはイギリスの反対で潰された。その一方、委員会の議論は米陸軍内で継承されアメリカのイニシアティブにより主要戦犯を国際法廷で裁く方式が取り入れられていった。委員会における議論はその後に定式化される「人道に対する罪」や「平和に対する罪」に繋がるものであり、理論的にも一定の役割を果たすことになった。だが当初の国際協調的な方向から米主導型に変化し、そのことが戦犯裁判のあり方に大きな問題を残すことになった。
著者
林 博史
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.3-16,

第2次世界大戦において心理戦は重要視され、特にアメリカは日本兵捕虜への尋問や没収した文書の分析を通じて、日本人の意識分析をおこなった。その際の重要なテーマの一つが日本人の天皇観であった。本稿は、アメリカの戦時情報局海外士気分析部臨時国際情報サービスが作成した『日本の天皇』と題されたレポートを手がかりに、戦中の日本人が自らのアイデンティティと天皇をどのように重ね合わせていたのかを分析したものである。その結果、個々人が自らの願望を天皇に投影させ、自らの考えの正しさの根拠を天皇に託するというあり方を明らかにし、そうしたあり方が天皇の戦争責任追及がなされなかった一因としてあり、さらに今日にいたるまで日本人の主体形成上の大きな問題となっていることを指摘している。
著者
林 博史
出版者
関東学院大学
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.53-66, 2001-01-31
著者
伊藤 明巳
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.75-90,

本稿では、ウルトラマンというポピュラー文化を沖縄で読む試みを文芸批評的にではなく、オーディエンス論から考察する。テレビ番組などの視聴体験は、社会的なアイデンティティの差異によって異なる読みが生み出される可能性が指摘されているが、ウルトラマンは、それにかかわった沖縄出身者との関係から、読むという実践をアイデンティティを強化しながらおこなうことを可能にする素材となる。その事例分析として、沖縄にてウルトラマンを読むことを素材にしたフォーカス・グループ・インタビューによる調査を行った。その結果、沖縄出身か否かで読みの差異がみられたことが観察できたが、その差異は従来のオーディエンス論調査の事例とはまた異なり、社会的カテゴリーよりも社会的境遇による共感を重視したものであった。
著者
富塚 祥夫
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.58, pp.107-123,

本稿では、戦前の一憲法学者である佐治謙譲の国家理論・憲法理論を取り上げ、その中で展開された日本的独自性強調の論理について考察する。佐治は、普遍性の研究のみならず特殊性の研究もまた学問上重要であることを説いたうえで、彼が高く評価する上杉慎吉の憲法理論を一歩前に進めることを自分の使命とみなし、当時のフランス人憲法学者レオン・デュギーの方法論にも依拠しつつ、日本国家の独自性の歴史的実証的解明にもとづく憲法理論の樹立をめざした。しかし、その主張内容には、天皇を西洋の君主とは質的に異なる存在だとする論理や権力を濫用するのは天皇ではなく天皇を補佐する者だとする論理、さらには日本的独自性は本来普遍性をもつもので、他国の模範となるべきものだとする論理が含まれていることに注意する必要がある。
著者
奥村 皓一
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.83-125,

21世紀に入り、「冷戦」が終わって10年以上過ぎたというのに「帝国」「帝国主義」が、世界人類の当面、最大課題となり始めた。ソ連邦が崩壊し、旧社会主義陣営の国々が資本主義市場経済を受け入れ始める一方で、資本主義大国間のグローバル競争が激化し始めた。中国、ロシア、ブラジル、インドといった新興の市場経済大国は、興隆をはたすなかで経済超大国をも目指し始めたのである。唯一超大国のアメリカは、経済力の相対的な地盤沈下のなか圧倒的な軍事力を活用して、全世界を制覇し、米国のビッグビジネス(メジャーズ)をスーパーメジャーズに編成して、先進国世界のみならず、GAPと呼ばれる第三世界、開発途上諸国、旧社会主義国のすべてをその勢力下に組み込もうとするようになった。米国国際石油資本をはじめとする米国の多国籍企業は、グローバルに展開できるスーパー・メジャーとして、全地球的に展開し始めた。国際競争力が相対低下してアメリカのビッグビジネスは、アメリカの軍事力を活用したセオドア・ルーズベルト型の「軍事帝国主義」を背景に「自由とデモクラシー」の旗を掲げたウィルソン型の「理想主義的帝国主義」を前面に全地球的展開を開始した。その典型は、ネオコンサーバティブの主導するイラク単独進攻と占領である。世界で石油埋蔵量第2位のイラクの石油開発、生産を独り占めにし、イラクの「民主化」による親米政権の樹立とイラクの軍事基地化によって、中東と北アフリカ、中央アジア(中東)の油田地帯にアメリカの石油秩序を確立しようとしている。さらに、アメリカは南西アメリカ、南アジア、ラテンアメリカへと「帝国」を広げようとしており、米国の軍事関与は百数カ国に及び、冷戦下では実現できなかった戦線の拡張である。だが資本展開の膨張に米軍事力は無限に応ずることはできず、米国の単独主義の行きつくところは自己破壊である。
著者
生方 謙 ウブカタ ケン
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.41, pp.63-81,

本調査では、大学生が体育実技に抱いているイメージ/認識の現状、卒業後のスポーツ参加への意識を、首都圏に所在する大学に通う学生613名を対象にアンケート調査を実施した。その結果、次のような知見を得た。(1)大多数の学生は体育実技に対して、好意的なイメージを持っていることが明らかとなった。(2)体育実技に望んでいる事・好きな所は、体育実技で得ることの出来る「爽快感」、「健康づくり・体力向上」、「友作り/コミュニケーション」、「受講に対する姿勢や態度での評価」である。(3)多くの学生が心身の健康の為に体育実技が存在していると感じ、「体育実技は必要」、そして「必修であるべき」と考えていることがわかった。(4)評価に関しては、半数以上が明確、3割が不明確であると答え、運動技能での評価ではなく、授業に対する態度や姿勢での評価を望んでいることがわかった。(5)体育実技に対して好意的な感情を持つ学生ほど、受講に否定的でなく、体育実技を必要、さらには必修であるべきと考え、卒業後の運動意欲も高い傾向にあることが示唆された。

1 0 0 0 OA 南北問題

著者
佐伯 尤
出版者
関東学院大学
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.31, pp.19-41, 2001-07-31