著者
林 博史
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.52, pp.49-83,

1945年2月から3月にかけてのマニラ戦における日本軍の残虐行為はよく知られている。しかしその中で日本軍がマニラの中心にあるエルミタ地区の女性たち数百人をベイビューホテルとその近くのアパートメントに監禁し、数日にわたって日本兵たちが次々と強かんを繰り返した事件は有名であるにもかかわらずまったく研究がない。米軍は事件直後に100人以上の関係者から尋問調書をとり、膨大な捜査報告書を残しており、そこから事件の全体像を明らかにした。同時に日本軍の史料はほとんど残っていないが、関連する日本軍部隊について検討し、他の残虐行為との関連を検討したうえで組織的な犯罪であったことを示した。
著者
林 博史
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.37, pp.51-77, 2004-07

本稿では連合国の戦争犯罪政策の形成過程について、連合国戦争犯罪委員会に焦点をあて、同時に連合国の中小国の動向、役割に注意し、かつイギリスとアメリカ政府の動向を合わせて分析する。枢軸国による残虐行為に対してどのように対処するのかという問題を扱うために連合国戦争犯罪委員会が設置された。委員会は従来の戦争犯罪概念を超える事態に対処すべく法的理論的に検討をすすめ、国際法廷によって犯罪者を処罰する方針を示した。だがそれはイギリスの反対で潰された。その一方、委員会の議論は米陸軍内で継承されアメリカのイニシアティブにより主要戦犯を国際法廷で裁く方式が取り入れられていった。委員会における議論はその後に定式化される「人道に対する罪」や「平和に対する罪」に繋がるものであり、理論的にも一定の役割を果たすことになった。だが当初の国際協調的な方向から米主導型に変化し、そのことが戦犯裁判のあり方に大きな問題を残すことになった。
著者
細谷 実
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.1-25,

本稿では、絵画や写真などの視覚的表象が何らかの弊害をもたらす条件およびその弊害の査定について考察する。表現は、一方で、あれこれの弊害をもたらすとされ、批判や規制の対象になっている。他方で、表現の自由は、近代社会における大切な原理として尊重されている。J.S.ミルを代表とするリベラリズムの考え方では、「言論の自由市場」での批評や非難はともかく、法的禁止という強い措置をおこなうには他者危害の存在が要件となる。他者危害として、自然・社会環境の破壊のような社会への危害を主張する論者もいるが、本稿では、個人への、しかも心理的な危害に焦点化して論じる。また、特定個人を名宛人にする加害には名誉棄損や侮辱での刑罰があるが、「女性」や「韓国人」といった一般名詞あるいは広範囲の集合への加害については、数的考慮によって問題視しないのが、従来の司法判断である。この点についても批判的考察をおこない、視覚的表象による個人に対する危害とそれへの対応について論じる。
著者
中村 桃子
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-23, 2008-07

本稿では、メディアはことばによって想像の共同体をつくるという「テクスト共同体」(Talbot 1992)の考え方をスポーツ新聞に当てはめて、スポーツ新聞が事実の報道を超えて物語世界を構築していく手法を明らかにする。スポーツ新聞共同体の第一の特徴は、異性愛の男性が明確な階層構造を構成することで男同士の絆を深めている点である。選手と監督、勝者と敗者は極端に対比され、密着した上下関係に位置付けられている。命令形、断定形、男ことばの多用や戦争の比喩も共同体を男性化している。スポーツ新聞の第二の特徴は、その物語化とお笑い化である。出来事や人間関係は、過去から現在の歴史の中に位置づけられて、伝説や物語として描写される。一方で、くだらない語呂合わせやしゃれにあふれている。物語化とお笑い化は、どちらも読者を共同体から分離させることで、スポーツ新聞を、読者が自分のアイデンティティを介在させずに安心して消費できる媒体にしている。
著者
林 博史
出版者
関東学院大学経済学部教養学会||カントウ ガクイン ダイガク ケイザイ ガクブ キョウヨウ ガッカイ||The Society of Liberal Arts Kanto Gakuin University
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.36, pp.1-42, 2004-01

本稿では連合国の戦争犯罪政策の形成過程について、連合国戦争犯罪委員会に焦点をあて、同時に連合国の中小国の動向、役割に注意し、かつイギリスとアメリカ政府の動向を合わせて分析する。枢軸国による残虐行為に対してどのように対処するのかという問題を扱うために連合国戦争犯罪委員会が設置された。委員会は従来の戦争犯罪概念を超える事態に対処すべく法的理論的に検討をすすめ、国際法廷によって犯罪者を処罰する方針を示した。だがそれはイギリスの反対で潰された。その一方、委員会の議論は米陸軍内で継承されアメリカのイニシアティブにより主要戦犯を国際法廷で裁く方式が取り入れられていった。委員会における議論はその後に定式化される「人道に対する罪」や「平和に対する罪」に繋がるものであり、理論的にも一定の役割を果たすことになった。だが当初の国際協調的な方向から米主導型に変化し、そのことが戦犯裁判のあり方に大きな問題を残すことになった。
著者
種村 剛
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.147-172,

本稿は「自己責任」についての考察として、特に1991年の新聞上の「自己責任」概念について焦点をあてて分析をおこない、次のことを明らかにした。第一に、1991年の新聞メディアにおいて、「自己責任」概念の使用頻度が上昇していることを確認した。そして、証券不祥事問題が、1991年に「自己責任」概念の使用増加の主な要因であると推測できることを示した。第二に、1991年の証券不祥事--証券会社の損失補てん--が、新聞メディアにおいて社会問題化する理由を整理した。1)1989年末に出された大蔵省通達が無視されていたこと。2)日本の経済のしくみにおいて、投資家および金融機関の自己責任原則が機能していないこと。3)証券会社が大口投資家に対してのみ損失補てんをおこなっていたことが、人びとの不公正感を喚起したこと。以上の三点を指摘した。第三に、新聞メディアの「自己責任」概念の使用法について確認し、次のことを示した。1)新聞メディアは「自己責任」概念を、「個人的な不公正感」を「社会的な不公正感」に転換する鍵概念として用いたのではなかろうか。2)新聞メディアは、「社会的な不公正感」を「自己責任の徹底」へ水路づけ(canalization)するために、「自己責任」概念を用いていたのではなかろうか。
著者
中村 桃子
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.45, pp.1-23,

本稿では、メディアはことばによって想像の共同体をつくるという「テクスト共同体」(Talbot 1992)の考え方をスポーツ新聞に当てはめて、スポーツ新聞が事実の報道を超えて物語世界を構築していく手法を明らかにする。スポーツ新聞共同体の第一の特徴は、異性愛の男性が明確な階層構造を構成することで男同士の絆を深めている点である。選手と監督、勝者と敗者は極端に対比され、密着した上下関係に位置付けられている。命令形、断定形、男ことばの多用や戦争の比喩も共同体を男性化している。スポーツ新聞の第二の特徴は、その物語化とお笑い化である。出来事や人間関係は、過去から現在の歴史の中に位置づけられて、伝説や物語として描写される。一方で、くだらない語呂合わせやしゃれにあふれている。物語化とお笑い化は、どちらも読者を共同体から分離させることで、スポーツ新聞を、読者が自分のアイデンティティを介在させずに安心して消費できる媒体にしている。
著者
種村 剛
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 : 関東学院大学経済学部総合学術論叢 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.58, pp.73-105, 2015-01

LINEの既読無視が非難される理由について考察をおこなった。第一に、スマートフォンとLINEの使用状況を確認した。第二に、既存の即レスについての先行研究を概観し【同調圧力仮説】【孤立不安仮説】【「コンサマトリーなコミュニケーション」とメール文化仮説】を挙げた。第三に、9人の大学1年生に、LINEの既読無視についてのインタビューをおこなった。この結果から先行研究を批判的に検討し、既読無視の非難を説明する新たな仮説を、探索的に構築した。その仮説は【大学生の同調圧力弱化仮説】【感情ギャップ仮説】【道具的使用状況における非難仮説】【グループLINEにおける既読無視仮説】の四つである。
著者
中村 友紀
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.56, pp.81-105, 2014-01

近代初期イングランドの社会史・文化史において、"topsy-turvydom<(秩序転倒)や"upside-down<(天地逆転)とは史料によく登場する一つのキーワードである。当該社会の諸表象には、「秩序」への強い意識が見られる。統治する側、権力を持つ側の人々も、民衆の側も、それぞれの立場からの秩序についての明確な概念を持ち、その裏返しに、規から逸れた反秩序についての声を史料に多く残している。JohnWebster のThe White Devil(c.1612 年)は、そのプロットに反秩序の構造を備えている。正義と不正の葛藤であるはずの復讐劇が、不正と不正の葛藤のドラマとなっており、モラル荒廃やジェンダー逸脱が共感・反感こもごもの反応を招き、秩序や価値の感覚に摩擦をもたらす内容となっている。復讐劇へのアンチテーゼともいえるこの作品から、復讐劇ジャンルのカタルシスを分析する。
著者
伊藤 明巳
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.38, pp.75-90,

本稿では、ウルトラマンというポピュラー文化を沖縄で読む試みを文芸批評的にではなく、オーディエンス論から考察する。テレビ番組などの視聴体験は、社会的なアイデンティティの差異によって異なる読みが生み出される可能性が指摘されているが、ウルトラマンは、それにかかわった沖縄出身者との関係から、読むという実践をアイデンティティを強化しながらおこなうことを可能にする素材となる。その事例分析として、沖縄にてウルトラマンを読むことを素材にしたフォーカス・グループ・インタビューによる調査を行った。その結果、沖縄出身か否かで読みの差異がみられたことが観察できたが、その差異は従来のオーディエンス論調査の事例とはまた異なり、社会的カテゴリーよりも社会的境遇による共感を重視したものであった。
著者
板橋 クリストファーマリオ
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 : 関東学院大学経済学部総合学術論叢 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.59, pp.29-37, 2015-07

現在われわれが知るスポーツの中でテニスは最も試合時間が長い競技の1 つであると言える。時間短縮の試合方式は肉体的、精神的負担を軽減するために選手からも望まれているが、一方で短期決戦によって人気のある上位ランキング選手が大会の前半で敗退する番狂わせの増加を懸念する声もある。そこで、本研究では過去の3 セットマッチと5 セットマッチにおける上位シード選手の試合結果から、「3 セットマッチでは番狂わせが多いのか」を検証し、グランドスラムの男子シングルスを5 セットマッチで行う必要性について検討することを目的とした。研究対象としたのは2008 年~2014 年に行われたグランドスラムとATP ワールドツアー・マスターズ1000 においてNo.1~No.4 シードを与えられた選手の試合結果であった。記録方法と分析方法はATP World Tour のホームページ上にある「Results Archive」から、対象とした大会の上位シード選手4 名の試合結果を記録した。分析は記録したデータをもとに、ベスト16 以前とベスト8 以前の敗退率を算出した。なお、検定にはX二乗検定を用いて、統計的有意水準は危険率5%未満とした。結果について、ベスト16 以前では3 セットマッチでも5 セットマッチでも上位シード選手の敗退率に大きな差は無いが、ベスト8 を決める試合では5セットマッチの方が上位シード選手の敗退率は低くなることが明らかになった。このことから、グランドスラムの男子シングルスを1~3 回戦は3 セットマッチの試合方式で行っても上位シード選手の早期敗退率に大きな差は生じないことが示唆された。
著者
板橋 クリストファーマリオ
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 : 関東学院大学経済学部総合学術論叢 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.59, pp.29-37, 2015-07

現在われわれが知るスポーツの中でテニスは最も試合時間が長い競技の1 つであると言える。時間短縮の試合方式は肉体的、精神的負担を軽減するために選手からも望まれているが、一方で短期決戦によって人気のある上位ランキング選手が大会の前半で敗退する番狂わせの増加を懸念する声もある。そこで、本研究では過去の3 セットマッチと5 セットマッチにおける上位シード選手の試合結果から、「3 セットマッチでは番狂わせが多いのか」を検証し、グランドスラムの男子シングルスを5 セットマッチで行う必要性について検討することを目的とした。研究対象としたのは2008 年~2014 年に行われたグランドスラムとATP ワールドツアー・マスターズ1000 においてNo.1~No.4 シードを与えられた選手の試合結果であった。記録方法と分析方法はATP World Tour のホームページ上にある「Results Archive」から、対象とした大会の上位シード選手4 名の試合結果を記録した。分析は記録したデータをもとに、ベスト16 以前とベスト8 以前の敗退率を算出した。なお、検定にはX二乗検定を用いて、統計的有意水準は危険率5%未満とした。結果について、ベスト16 以前では3 セットマッチでも5 セットマッチでも上位シード選手の敗退率に大きな差は無いが、ベスト8 を決める試合では5セットマッチの方が上位シード選手の敗退率は低くなることが明らかになった。このことから、グランドスラムの男子シングルスを1~3 回戦は3 セットマッチの試合方式で行っても上位シード選手の早期敗退率に大きな差は生じないことが示唆された。
著者
伊藤 明己
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.47, pp.25-43, 2009-07

本稿(上・下)では、ブルデューの社会的再生産論における趣味に関する議論を検討することを通じて消費のもつ社会性のある側面を考察する。(上)では、かれの流行論を端緒としながら、再生産論の概要を紹介しその運命論と趣味との関係を検討した。さらに、中間芸術に関するメディア消費への論考から、ブルデューの社会観における宿命論の揺るぎなさと文化のゲームへの参加者たちの消費への意味づけを考察した。ブルデューにおける趣味論は、反『判断力批判』としての社会的判断力批判であり、その観点からすると趣味は人びとの社会内での位置づけを強く反映したものといえる。(下)では、(上)でのブルデュー理解から、集団的信仰にあたいする文化的ヒエラルキーへの投資に社会的存在を賭ける人びとの姿を導き、人間崇拝をめぐる社会の紐帯となるべき道徳的な義務との深い関わりとそこからの逸脱を含む意味を持つものとして消費が取り上げられていることを論じる。
著者
伊藤 明己
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.46, pp.81-108, 2009-01

本稿では、ブルデューの社会的再生産論における趣味に関する議論を検討することを通じて消費のもつ社会性のある側面を考察する。まず、かれの流行論を端緒としながら、再生産論の概要を紹介しその運命論と趣味との関係を検討する。さらに、中間芸術に関するメディア消費への論考から、ブルデューの社会観における宿命論の揺るぎなさと文化のゲームへの参加者たちの消費への意味づけを考察する。ブルデューにおける趣味論は、反『判断力批判』としての社会的判断力批判であり、その観点からすると趣味は人びとの社会内での位置づけを強く反映したものである(以上は上)。(下では)こうしたブルデュー理解から、集団的信仰にあたいする文化的ヒエラルキーへの投資に社会的存在を賭ける人びとの姿を導く。この点をさらに考察し、消費が人間崇拝をめぐる社会の紐帯となるべき道徳的な義務との深い関わりとそこからの逸脱を含む意味を持つものとして取り上げられていることを論じる。
著者
板橋 クリストファーマリオ
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 : 関東学院大学経済学部総合学術論叢 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.59, pp.29-37, 2015-07

現在われわれが知るスポーツの中でテニスは最も試合時間が長い競技の1 つであると言える。時間短縮の試合方式は肉体的、精神的負担を軽減するために選手からも望まれているが、一方で短期決戦によって人気のある上位ランキング選手が大会の前半で敗退する番狂わせの増加を懸念する声もある。そこで、本研究では過去の3 セットマッチと5 セットマッチにおける上位シード選手の試合結果から、「3 セットマッチでは番狂わせが多いのか」を検証し、グランドスラムの男子シングルスを5 セットマッチで行う必要性について検討することを目的とした。研究対象としたのは2008 年~2014 年に行われたグランドスラムとATP ワールドツアー・マスターズ1000 においてNo.1~No.4 シードを与えられた選手の試合結果であった。記録方法と分析方法はATP World Tour のホームページ上にある「Results Archive」から、対象とした大会の上位シード選手4 名の試合結果を記録した。分析は記録したデータをもとに、ベスト16 以前とベスト8 以前の敗退率を算出した。なお、検定にはX二乗検定を用いて、統計的有意水準は危険率5%未満とした。結果について、ベスト16 以前では3 セットマッチでも5 セットマッチでも上位シード選手の敗退率に大きな差は無いが、ベスト8 を決める試合では5セットマッチの方が上位シード選手の敗退率は低くなることが明らかになった。このことから、グランドスラムの男子シングルスを1~3 回戦は3 セットマッチの試合方式で行っても上位シード選手の早期敗退率に大きな差は生じないことが示唆された。
著者
板橋 クリストファーマリオ
出版者
関東学院大学経済学部教養学会
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
vol.57, pp.27-39,

テニスはプレーする人は多いが観る人が少ないスポーツの代表的種目である。「テニスが観るスポーツとして人気が無い」理由について、大学の実技体育科目でテニスを受講した学生を対象にアンケート調査を行い、テニス観戦の阻害要因の抽出と観戦者拡大の方策を検討することを目的とした。調査対象者は144名(男性144名、女性0名)であった。調査方法は自由記述形式で行い、KJ法にて要因を抜き出し単純集計を行った。結果について、多かった意見の上位は「テニスになじみが無い」「世界で活躍する日本人選手が少ない」「試合時間が長い」「一度に見られる選手の数が少ない」となり、テニスやテニス選手に対する親近感が不足していることと、テニスの試合方式が観戦の場面においては障害になっていることが明らかになった。これらのことから、テニスの試合やテニス選手を多くの人が目にするメディアで露出するための取り組みや短時間で終わる試合方式で複数選手が総当たり戦を行う大会を開催するなどの新しい大会の在り方が、新たな観戦者獲得のきっかけにつながるのではないかと考えられる。
著者
林 博史
雑誌
自然人間社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.40, pp.1-31,

1942年2月にシンガポールで日本軍がおこなった華僑粛清事件は、アジア太平洋戦争期における日本軍の代表的な残虐行為としてよく知られている。シンガポールでは体験記や資料集が数多く刊行され、日本側の関係者の証言もある程度は出されているが、この事件の全容を解明した信頼できる研究が日本にもシンガポールにもない。そうした中で本稿は、この粛清事件の全体の概要を、日本側の動きと要因を中心に明らかにする。まず粛清の命令・実施要領の作成・実施過程を日本側資料によって明らかにする。また日本軍の構成、華僑政策の特徴など背景について分析し、定説がなく議論となっている犠牲者数の検討、粛清をおこなった理由について検討する。シンガポール華僑粛清が、シンガポール占領前から計画された華僑に対する強硬策の一つであり、長期にわたる中国への侵略戦争のうえになされた残虐行為であると結論づけている。
著者
加藤 久子
出版者
関東学院大学経済学部・経営学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.69, pp.67-106,

本稿では上に挙げたキーワードのうち、下記の3点について関東学院大学「【経済・経営学部】秋学期オンライン授業の実施方法について(8月31日送付)」に基づき、以下のように定義する。LMS(学習管理システム)manaba:授業資料、授業資料の補足説明、学習方法についての説明、小テスト(またはリアクションペーパー)を掲示し、小テスト(またはリアクションペーパー)を提出させる。オンデマンド型:音声付動画(PPT+音声、授業録画等)をstream、YouTube、Teams等を利用して配信する。双方向型(リアルタイム):Zoom等を利用してライブ配信し、ライブ授業は録画。通信環境の問題でリアルタイムでの受講が難しかった学生用にオンデマンドの配信も授業実施日内に行う。
著者
岡部 祐介
出版者
関東学院大学経済学部・経営学部教養学会
雑誌
自然・人間・社会 = Nature-people-society, Science and the humanities : 関東学院大学経済学部・経営学部総合学術論叢 (ISSN:0918807X)
巻号頁・発行日
no.65, pp.15-37, 2018-07

本研究は、スポーツにおける勝利至上主義という用語の成立および定着過程に着目し、当該用語が使用されることの社会的意味を明らかにすることを目的とした。まず、勝利至上主義の問題に対してどのような見解が発信されてきたのか、スポーツの学術研究領域やスポーツ批評における議論を取り上げて検討し、次に勝利至上主義が社会一般においてどのように捉えられてきたのかを明らかにするために、メディア言説の分析から当該用語の使用状況を明らかにした。〈勝利至上主義〉は、1980 年代以降に成立し、スポーツの大衆化志向や生涯スポーツの実践を喚起するような市民的性格を内包するとともに、近代スポーツを相対化し、新たな論理・構造を備えたスポーツが構想されるような組換装置として機能していると考えられた。