著者
小澤 健太郎 平山 育男
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会北陸支部研究報告集 (ISSN:03859622)
巻号頁・発行日
no.53, pp.367-368, 2010-07-18

小澤家主屋の建築年代は棟札の記載から嘉永5(1852)年と考えることができ、当初のオオチャノマは土座と考えることができた。土座は古くからの下越地方特有の伝統的な造りであり、チャノマに梁組と簀子天井を有する名主クラスの住宅に共通した形式を持つと考えるに至った。
著者
藤岡 洋保 黒岩 卓
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会計画系論文報告集 (ISSN:09108017)
巻号頁・発行日
no.409, pp.161-168, 1990-03-30

Hosin Kuroda (1885-1967) offered a few criticisms on various kinds of buildings in downtown Tokyo in the Tokyo Asahi Newspaper from November 25th through December 4th, 1910. On December 5th two architects wrote in the same newspaper that he was the first to try to openly review new buildings. Since the authors can find several architectural criticisms in other papers and magazines which were ahead of Kuroda's, what the architects said was not true. But if we define the word on 'an architectural critic' as the one who has been offering criticisms on newly-built buildings and on architectural trends for some time, we can say Kuroda was the first architectural critic in modern Japan ; he had written many articles to review new buildings in the 1910s and the 1920s. He studied esthetics at the Tokyo Imperial University where he found an interest in architecture. He had been asserting that in architecture 'truth', 'good' and 'beauty' should have come together. In his theory, 'truth' meant that real structure and material should not have been covered by others, and 'good' did that function should have been made much of. These two suggest that he was influenced by the European Medeavalists in the late 19th century. And in his thoughts 'beauty' should have come from several esthetic theories at that time. Among them 'unity in multiplicity' was the most important to him. In his criticisms on buildings, the authors can see some coincidence with his architectural idea, but he was apt to review buildings chiefly through the point of 'unity in multiplicity,' which means that 'beauty' was the most important to him, although he had kept declaring for a happy coincidence of 'truth', 'good' and 'beauty.'
著者
宮沢 智士
出版者
一般社団法人日本建築学会
雑誌
日本建築学会論文報告集 (ISSN:03871185)
巻号頁・発行日
no.152, pp.53-58, 75, 1968-10-30

以上の考察によって明らかになったことを要約する。中世の神社本殿を遺構にもとづいて分類し, 切妻造平入, 切妻造妻入, 入母屋造, その他特殊な形式とした。4.1 切妻造平入の本殿 流造・両流造・切妻造平入向拝つき本殿などがふくまれる。流造は量的に多いが, 両流造, 切妻造平入向拝つき本殿は少い。(1) 流造は上下賀茂神社本殿で代表されるように三間社が主要な位置をしめている。量的には, 一間社は三間社をうわまわるほど多いが, 摂社・末社・境内社など簡単な小社殿の形式として採用されている場合が多い。(2) 三間社流造は神谷神社本殿のような普通の形式と, その一変形とみられるもので, 園城寺新羅善神堂のように, 流造の庇の前方にさらに向拝をつけたものとに大別できる。(3) これらの形式は地域的な特徴をもって分布している。向拝つきのものは滋賀県に特に多く分布し, 中世にかぎれば滋賀県の三間社流造はすべて向拝つきである。滋賀県以外では北陸地方に比較的に多い。兵庫県, 京都府, 奈良県などでは向拝つきでないものが主流である。(4) 向拝のつかない形式のものは, さらに3つに細分できる。(1)普通の形式, (2)向拝はつかないが平面は向拝つきのものに似ており, 庇部分を一室とするもの, (3)一間社2社を相の間で連結した形式のものである。(2)は愛知県など東海地方に多い。(5) 五間社流造も三間社と同様に分類できる。九間社, 十一間社など正面柱間の多いものに連結社殿が多い。4.2 切妻造妻入の本殿 春日造, 隅木入春日造など春日造形本殿がおもなものである。(1) 春日造と隅木入春日造の地域的分布はきわめてはっきりした境界がある。春日造は奈良県北部, 京都府南部, 大阪府, 和歌山県北部に分布しており, 隅木入春日造はこの地域の外側に分布し, 東は栃木県, 山梨県, 長野県, 近畿で滋賀県, 奈良県, 和歌山県, 兵庫県, 西は岡山県, 山口県などにある。(2) 春日造形社殿には春日造, 隅木入春日造とわりきって分類できず, むしろ入母屋造妻入の本殿に似た形式のものがある。これらは入母屋造妻入のものをふくめて, 春日造と隅木入春日造との境界をなす地域に多い。(3) 春日造, 隅木入春日造など春日造の名でよばれているが, すべてが春日大社と関係しているものでなく, 紀伊, 熊野三山との関係も重要である。これについては別に研究の機会をもちたい。4.3 入母屋造本殿 入母屋造本殿を平入と妻入のものとにわけた。(1) 平入の三間社は4形式に分類できる。このうち大阪, 錦織神社本殿で代表される形式[E-1], 鹿児島, 郡山八幡神社で代表される[E-3]の平面はそれぞれ流造の三間社[A-1], [B]と同じであって, 流造との関連をおもわせる。(2) 妻入のものは秋田, 兵庫, 岡山など地域によって分類ができる。このうち兵庫の御霊神社本殿, 天津神社本殿は, 中間に鶴林寺行者堂, 泉穴師神社境内社住吉神社本殿など春日造形本殿の変形とみられる形式をおき, さらに春日造が分布する範囲のすぐ外側に分布するという条件を考えると春日造形本殿と密接な関係があるとおもわれる。4.4 以上のほか特殊な形式, 類例の少い本殿があり, また1様でなく複数棟よりなる本殿がある。本殿の外観上, 千鳥破風, 唐破風などの存在また祭神, 神道の流派と社殿形式との関係は重要であるので, 今後の課題としたい。