著者
太田 伸広 OTA Nobuhiro
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.28, pp.33-59, 2011-03-30

魔女はお年寄りで、ほとんどが森の中の小さな家に住んでいる。魔女の身分や職業、暮らしぶりはほとんどわからない。魔女が真珠や宝石、金銀などの宝を持っている場合は5例で少ない。魔女の魔女たるゆえんはやはり魔法を使うということである。しかし、その目的、使用の相手はほとんどが不明である。魔法の解き方も様々で一定しない。ところが、魔法という武器を持ちながら、魔女が相手に打ち勝つために魔法を用いることはない。それどころか、意外な脆さを見せ、没落する。魔女は殺人など数々の悪事を働く。そのせいか、悲惨な末路を迎える魔女が多い。魔女は山姥や鬼婆と違い、人を食わない。またグリム童話の魔女は、魔女裁判に出てくる「舞踏」、「集会」、「淫行」、箒での飛行、穀物や家畜への危害とも無縁である。さらにグリム童話の魔女は、神学の魔女規定とは違い、悪魔と結託することもない。
著者
立川 陽仁 Tachikawa Akihito
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.191-204, 2010

カナダの太平洋沿岸部において、20世紀を通じて地域を支える一大産業にまで成長したサケ漁業は、現地の先住民社会の経済的な自立も支えてきた。しかし1990年代からのサケ漁業の衰退により、先住民社会は経済的自立を支える新たな方途を模索せねばならなくなっている。そこで一部の先住民に注目されたのが、養殖業であった。養殖業に注目した先住民の一部は、みずからのコミュニティを再び活性化させることに成功しているが、彼らはそれだけに飽き足らず、みずからの成功を他の先住民社会にまで拡大しようと目論んでいる。そのような先住民有志によって設立されたのが、先住民養殖業協会である。本稿は、この先住民養殖業協会の設立背景と現時点における活動を整理し、かつその将来像についても若干の分析をおこなうものである。
著者
小川 眞里子 OGAWA Mariko
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 = Bulletin of the Faculty of Humanities and Social Sciences,Department of Humanities (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.31, pp.47-59, 2014

今やノーベル賞量産国とまで言われる日本で、なにゆえこれほどまでに科学や工学の女性研究者が少ないのか。まずは学部学生の現状について概観し、次に理工系研究者の重要な人材プールである博士課程修了者について見る。これによれば次世代を担う人材はけっして十分に育ちつつある状況ではない。研究者については、まずわが国には性別の十分な統計資料が整備されておらず、これが大きな問題である。そもそもの問題の所在、原因を考える上で、あるいは他国と比較する上で統計の不備は大きな障害である。そして女性研究者支援のプログラムを実施することもきることながら、女性の活躍を保証する法的整備が重要であろう。Over the past several years, Japan has become the most productive country for Nobel Prizes after the US. However, all Japanese Laureates are male. We may rightly say that Japan is successful in producing male laureates. Why have there been no female laureates in Japan? It is now known world-wide that the percentage of female researchers in Japan is very small, almost the smallest among its peers, even though Japan is a democratic country with a national commitment to science and technology. To increase the number of female researchers, the number of female PhD graduates provides the human resources available for female researchers. But She Figures 2012 data showed that compared to all EU countries Japan is ranked lowest but one. The lowest is Malta and lowest but two is Cyprus. According to the details for these lowest three countries, the number of female PhD graduates is 3 in Malta, 4508 in Japan, and 11 in Cyprus. The low female percentage in Japan is shockingly behind the times. In addition to the low proportion of female PhD graduates, a quarter of these are foreign students. In fact, not a few post-doctoral students eventually return to their own countries. Increasing the number of native female PhD graduates is an urgent necessity for Japan. The next problem for human resources is Japanese researchers' social consciousness. The rate of dual-income to single-income households is now about 1.2. However, it is totally different in the academic sphere. Data on the jobs of researchers' spouses show that more than half of male researchers have full-time housewives. MEXT's efforts are not effective in such a conservative environment. If MEXT is to increase the number of female researchers, not only is a support system relying on male colleagues' cooperation required, but also legal action, such as a quota system, should be taken. In the US and EU, there are a lot of dual-career academic couples and they are a driving force for solving female researchers' problems. In Japan a few PhD female students plus the traditional tendency of male researchers with full-time housewives hampers the increase of dual-career academic couples. It is a shortcut to build a gender equal society to raise talented female researchers with the potential to win the Nobel Prize.
著者
武笠 俊一 MUKASA Shunichi
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.28, pp.11-26, 2011

古事記崇神条にある大物主大神と生玉依姫の神婚譚は「三輪山型神話」の一つとして知られている。これは「針と糸」によって若者の正体を探った神話であるが、古事記はこの神話によってオオタタネコが神の子の子孫であることを説明したことになる。その証明は「説話的論理」によってなされていた。すなわち、「針が刺された」という記述は、神の衣に糸目の呪紋が付けられたことを意味し、この記述は二人が正式な結婚をしていたことを示唆していた。そして「麻糸が三輪だけ残った」ことは、ヒメの住む村が三輪山からはるか遠くにあったことを示していた。つまり、神は遠路を厭わず河内の国のイクタマヨリヒメの元に通われたことになる。この神婚神話は、三輪山の神が奈良盆地のあまたの女性たちではなく、河内の国の娘をもっとも深く愛したことを示し、それによってオオタタネコの一族が三輪山の神の祭祀権を持つ正統性を「説話的論理」によって証明しようとしたものである。ところが古事記の神婚諄には始祖説話と地名起源説話の相矛盾する二つの要素が混在している。「麻糸が三輪残った」という伝承は後者固有のものだから、この混乱は古事記編纂者による神話改作の事実を示唆している。さらに「三輪の糸」のエピソードからは、ヒメの住む村が高度な製糸織布技術を持つ地域であったことが推測される。もしそうなら、この神婚諄の舞台は、本来は土器生産の先進地であった河内南部ではなく奈良盆地南部の三輪山の麓の村であったことになる。つまり、三輪山の祭祀権だけでなく、この神話もまた河内の人々によって纂奪されていたのである。
著者
湯浅 陽子
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.21, pp.71-85, 2004

宋代の詩風形成に大きな影響を与えた人物の一人と目される梅尭臣は、絵画鑑賞に関わる詩を多数残している。そのうち景祐二年から皇祐二年に制作された作品には、絵画における形と意・形と心の関係への言及がいくつも現れるが、描かれた人物の形と心を対比させる表現が六朝期以来のものであるのに比して、形と意を対比させる発想には唐代以降の絵画論との関わりが窺われる。またこの「意」の重視は歐陽脩によって梅堯臣の詩風と関わるものとして捉え直され、彼らの文学の特色として周囲人物による文学批評にも影響を与えている。その後皇祐三年に同進士出身の身分を得て太常博士となった後の梅尭臣は、都で洗練された美的感覚を持った友人たちと交遊し、公私蔵書画の閲覧に際して数多く長編の古詩を制作している。これらの詩の多くは前半部で主要な所蔵品の描画内容や保存状態や材質を詳しく説明し、後半部ではその他の所蔵品を具体的に列挙するという形式を採っており、一種の絵画鑑賞記録としての性格を持つと思われる。また梅尭臣らは公私蔵書画の参観に出かけるだけでなく、しばしば仲間うちの小宴で絵画を楽しんでおり、そのような場で梅尭臣が絵画鑑定家的な立場で制作したと思われる作品が皇祐年間から嘉祐年間にかけて盛んに制作されている。蔵画家たちは自己の所蔵品の価値を高めるべく、優れた絵画鑑賞眼を持つ高名な詩人による洗練された鑑定と題画詩とを求めたのではないだろうか。しかし梅尭臣が絵画鑑賞仲間との問で形と意等の問題意識を共有することは少なく、その結果、梅堯臣は初期に展開していた思考を継続して深めていくことができなかったようだ。従来文人の修養と結びつくイメージを持つ竹を描くことにおいても、梅堯臣は竹の持つ精神性に言及しておらず、墨竹に精神性を求める傾向は彼より後の世代に強くなっていくと考えられる。論説 / Article
著者
坂本 つや子 Sakamoto Tsuyako
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
no.27, pp.179-189, 2010

Constance Brown Kuriyama による Christopher Marlowe の伝記研究は、 John Bakeless に始まる、ヴィクトリア期以降マーロウ研究が盛んになって以来、次々に発見される資料をもとにした実証的研究の流れに沿っている。しかしクリヤマは膨大ではあっても、断片的な資料に基づいて過去の人物像を再構築する際に陥りがちな、先入観による事実歪曲の危険性についても認識している。クリヤマはカンタべリにおけるマーロウの一族とキングズ・スクールの教師、ケンブリッジ時代以降の友人や周辺の人々、ケンブリッジの頃から繋がりがあったと考えられる国務長官サー・フランシス・ウォルシンガムおよびバーリー卿父子、ロンドンの劇場関係者たち、およびパトロンであったトマス・ウォルシンガムやストレンジ卿、あるいはサー・ウォルター・ローリーおよびノーサンバランド伯爵等、マーロウの人生にかかわった人々との関係性について綿密に分析を行い、マーロウの人生の謎の部分について、極めて理性的な考証を行っている。
著者
塚本 明 ツカモト アキラ TSUKAMOTO Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.21, pp.A35-A50, 2004-03-25 (Released:2017-02-17)

近世の伊勢神宮門前町の宇治・山田における、死穢への意識とそれを忌避する作法の時期的変化を考察した。死穢は神社世界の触穢体系の中核を占め、これに触れた者は厳しい行動規制を強いられた。中世以来、為政者たちの死に際して、死穢が広く遍満したとして、朝廷から京都近辺と伊勢神宮を含む関係する寺院に「天下触穢令」が発令される場合があった。だがこれとは別に、伊勢神宮が独自に、宇治・山田市中に対して発令する「触穢令」が確認できる。神宮の服忌令によれば、宮地での変死体発見、「速懸」を行わずに死体を一昼夜放置した場合、火災における焼死の発生の際に、市中一体の触穢となった。だが一八世紀初頭を画期として、宇治・山田市中への触穢令は激減する。その要因は、触穢の発生を避ける作法が発達したことにあった。火災や水害で死者が出ても、それが直接の死因ではないとしたり、届け出方に工夫をこらしたりしたのである。また、死の発生地を縄や溝で囲んで、穢れが拡散しないようにする方法も一般化していった。先例を重視する神宮も、この時期には規定通りに触穢を適用することが困難であると認識していた。山田奉行も参宮客の意向を理由に、触穢適用の軽減を命じた。しかし、触穢において物忌らが神宮長官の触穢の判定に激しく異議を唱えたように、神官達内部で解釈をめぐり争われることもあった。判定をめぐる紛議でしばしば問題にされたのが、世間の評判、風説である。触穢の判定、死穢を避けられるか否かは、神宮に対する外界からの認識が影響した。 論説 / Article
著者
塚本 明 Tsukamoto Akira
出版者
三重大学人文学部文化学科
雑誌
人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 (ISSN:02897253)
巻号頁・発行日
vol.27, pp.15-34, 2010-03-28 (Released:2017-02-17)

「神仏分離」の歴史的前提として、近世の伊勢神宮門前町、宇治・山田における神と仏との関係を分析した。仏教を厳しく排除する原則を取る伊勢神宮であるが、その禁忌規定において僧侶自体を嫌忌する条文は少ない。近世前期には山伏ら寺院に属する者が御師として伊勢神宮の神札を諸国に配賦したり、神官が落髪する事例があった。神宮が「寺院御師」を非難したのは山伏らの活動が御師と競合するためで、仏教思想故のことではない。だが、寺院御師も神官の出家も、幕府や朝廷によって禁止された。宇治・山田の地では、寺檀制度に基づき多くの寺院が存在し、神宮領特有の葬送制度「速懸」の執行など、触穢体系の維持に不可欠な役割を果たしていた。近世の伊勢神宮領における仏教禁忌は、その理念や実態ではなく、外観が仏教的であることが問題視された。僧侶であっても「附髪」を着けて一時的に僧形を避ければ参宮も容認され、公卿勅使参向時に石塔や寺院を隠すことが行われたのはそのためである。諸国からの旅人も、西国巡礼に赴く者たちは、伊勢参宮後に装束を替えて精進を行い、一時的に仏教信仰の装いを取った。神と仏が区別されつつ併存していた江戸時代のあり方は、明治維新後の「神仏分離」では明確に否定された。神仏分離政策は、江戸時代の本来の神社勢力から出たものではなかった。 裏表紙からのページ付け