4 0 0 0 OA 刀劔押形

出版者
巻号頁・発行日
vol.[1],
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻2, 0000

光明皇后御願経。光明皇后(701-760)が亡き両親、藤原不比等、橘三千代の追福のために発願した一切経で、奥書に「天平十二年五月一日記」の日付けがあることから、「五月一日経」とも呼ばれている。写経生によって書かれた唐風の美しい楷書で、奈良朝写経中の優品とされる。本書には文字を消磨して書き改めた部分や、朱筆で校合、書入した箇所が見られる。料紙は麻紙。表紙、軸は後代の補修。表紙と本文との継ぎ目紙背に「東大寺印」の方形朱印が押捺されている。
出版者

地図上にタイトルはなく、裏面および渋紙製の袋に同じ書き題がある。両国国絵図の集成図で、主要道1里山の記入、海岸の港泊、航海情報など正保国絵図系とみえるが、村形は郡別に色分けされているものの形は小型の円で、村名はその下方に表示されるなど、表現方法は定式とは異なる。渡河地点の注記もほとんどみられない。縮尺は1里6寸(1:21,600)。郡色分け、石高は河内と摂津それぞれ別位置に記載され、河内は色分けと石高のみであるが、摂津は石高、新田高、本村、枝村、小物成(米・銀)を記載する。また、摂津の一部では流路沿いに河川敷が明示され、低地に回らされた堤防も描かれる。

4 0 0 0 OA 守貞謾稿

著者
喜田川季荘 編
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻26,

4 0 0 0 OA 下学集 : 2巻

著者
東麓破衲 [著]
出版者
巻号頁・発行日
1400

国語辞書。童蒙の教育的効果を挙げることを意図し、漢籍・仏書中の語や当時の普通語など約三千を18門に分類し、用字・語源などを簡単に記している。「節用集」を成立せしめた資料のひとつとして、辞書史上重要な位置を占めるが、著者は未詳。今日古写本下学集の伝本は40種近くに上るという。本写本は書写者未詳であるが、料紙・字体・墨色等から室町末期頃に書写されたものと推定される。国語学者亀田次郎(1876-1944)の旧蔵本。巻首や巻末には「賀茂/保號」などの3印記があり、見返しに貼付された亀田自筆の識語紙片の記述は、本写本がもと賀茂岡本家に伝来したものであることを伝えている。

4 0 0 0 OA 守貞謾稿

著者
喜田川季荘 編
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻14,

4 0 0 0 OA 草花帖

著者
正岡子規//画
出版者
巻号頁・発行日
1902

子規は没年(明治35年)の8月1日から20日までに、画帖に草花17図を描いた。題簽、序文は子規の自筆。箱書は弟子寒川鼠骨(1875-1954)による。この画帖は友人の画家中村不折(1866-1943)から贈られたもの。朝顔などを描いた時のことは、子規の随筆『病牀六尺』にも詳しく記されている。

4 0 0 0 OA 〔漱石書簡〕

著者
夏目漱石//〔著〕
出版者

夏目漱石の正岡子規宛葉書3通。収納する木箱の箱書は漱石の女婿の小説家松岡譲(1891-1969)の筆。このころ漱石は東京帝国大学文科大学英文学科、子規は国文学科に在学していた。明治25年6月19日消印の葉書で漱石は、子規に哲学の追試験を受けることを勧めているが、子規はこの時の学年試験に落第し退学した。漱石は26年7月に卒業、大学院に進んだ。また、26年3月31日の葉書で漱石が贈与の礼を述べている『俳諧』は子規主宰の雑誌で、3月24日に第1号を発行したが2号で終わった。なお、子規の俳諧革新運動の端緒となった「獺祭書屋俳話」は25年6月から新聞『日本』に連載され、11月には松山から迎えた母、妹と同居を始めている。

4 0 0 0 OA 日本図

著者
〔伊能忠敬//原図〕,〔高橋景保//編〕
出版者
巻号頁・発行日
1827

手書 3舗 131×105cm(蝦夷地)、130×104cm(日本東半)、130×106cm(日本西半)

4 0 0 0 OA 守貞謾稿

著者
喜田川季荘 編
出版者
巻号頁・発行日
vol.巻1,
出版者
巻号頁・発行日
1605
著者
堀田正敦 編
出版者
巻号頁・発行日
vol.[209],
著者
〔伊能忠敬//測量・製作〕
出版者
巻号頁・発行日
vol.第76図 越後(越後・時水村・長岡・潟町), 1873