著者
ロナルド・H・コース 増田 辰良
出版者
北海学園大学
雑誌
北海学園大学法学研究 (ISSN:03857255)
巻号頁・発行日
vol.39, no.3, pp.467-478, 2003-12-30

本稿は、R. H. Coase, 1974, The Market for Goods and the Market for Ideas, American Economic Review, 64(2), 384-391を全訳したものである。本稿は、アメリカ合衆国憲法修正第一条が保障する「言論・出版・報道の自由」を"アイデア市場"とよび、通常の財・サービス市場への政府介入との比較で、アイデア市場への政府介入のあり方を考察している。従来、財・サービス市場への政府介入は"市場の失敗"を補整することから正当化されてきた。ただし、この介入さえ正しい評価を受けていない。この論文において、コースは、アイデア市場は市場参加者(知識人など)の利己心と自負心に任せて自由に運営される限り、うまく機能する、という。また、アイデア市場への政府介入が許されるのは、財・サービス市場への介入が正しい評価を受けた場合である、という。
著者
Jones Willie
出版者
北海学園大学
雑誌
北海学園大学人文論集 (ISSN:09199608)
巻号頁・発行日
vol.16, pp.103-127, 2000-07-31

伝統的に「愛」と「個人」という言葉は日本人にはなじみの薄い言葉であり,特に教員と学生の関係を語るときにはあまり考えないことばです。しかし私がお話ししますことはまさにその「愛」と「個人」のことなのです。それはなぜかと言いますと,「愛」と「個人」ということこそが非常に重要な問題であり,そのことを考えることを怠ることは,きわめて基本的なことを見過ごすことになり,また「愛」と「個人」ということこそすべての教員が考えるべき事であると私は信じるからであります。私たちが学生を教育していると言う時,私たちは一体何をしていると言うことなのでしょうか。日本人の子供たち(大人も同様ですが)を語るときよく"units of society"(社会の単位)と言います。私の考え方は単に外国人の視点であると反論される方もおありでしょうが,しかし私はこのことは非常に間違っていると思うのです。人間は社会の利益のために存在するのではなく,社会が人々の利益のためにあるのです。しかしながら,人々が皆コミュニティーの福利のために働こうとするならば,その社会はうまく機能するのです。それゆえに全ての人を同一のクローンのように育てないように教育するというのが学校の仕事ではないでしょうか。個人の才能を伸ばし,それによりその個人が社会において自分の役割を果たすように教育することが学校の仕事ではないでしょうか。しかしそれは私たちが個人として目覚めて利己主義になっていくということを言っているのではありません。仮に私たちが学校で自分が持っているある才能に気がつき,その才能を伸ばすように指導されたとしたら,私たちはこれらの才能を他の全ての人々の利益のために効率良く使うことができるのです。そのためにはこれらの才能を養い,育てなければなりません。子供たちが自分が持っている才能を大切にし,さらに他人の才能を大切に思うようになるには愛という媒介が必要なのです。これは難しいコンセプトであり,危険な感情であります,しかしそれを避けてはいられないのです。恐怖心を掻き立てるようなしつけや過酷なしつけというものは学びたいと思う気持ちを壊し,個人の成長を押さえてしまいます。しかし仮に私たちが自分かおこなっていることが好きであれば,その事をよりよく理解するようになります。それゆえに教員の仕事は学生が自分のやっていることを好きになる手助けをすることなのです。そのための唯一の方法は教員が学生達を好きである・愛しているということを示すことなのです。(例えば,3年B組の坂本先生や金八先生),そして学生の全てを平等に愛することなのです。もしそのことから学生が先生に対する愛を育んでいく(そのようになる傾向がありますが)ようになれば,まさに3人のパートナーの踊りが生まれるわけです:教員と教えた科目と学生の3つのパートナー(ボッティチェリのPrimavera: the dance of the Three Graces)これらの考えをまず愛という問題を語ることから始めます。それはこれが地盤(土)であり,その他の全てのものは愛から育っていかなければならない(愛からしか育っていかない)からであります。そして次に個人という問題に触れます。これらのことを皆さんに考えて頂くために,それぞれの事例となる逸話を交えながらお話しいたします。
著者
岡田 信弘 新井 誠 徳永 貴志 木下 和朗 只野 雅人 赤坂 幸一
出版者
北海学園大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2017-04-01

(1)本共同研究の目的・課題:本共同研究は、密接な関わりを有する「議会と時間」をめぐる諸問題を国際的な視野で検討することにより、日本の国会が直面している議会審議と運営に関わる問題点を明らかにするとともに、それを解消するための方策を探究しようとするものである。平成30年度は、主に、外国(特にフランス)の研究者と日本の実務家との意見交換を通じて問題点とそれを解決するための処方箋の明確化に努めた。また、フランスでのワークショップの合同開催により、国際的な学術交流も試みた。(2)研究会の開催:平成30年7月に、フランス・サンテチエンヌ大学のDisant教授を本科研費で招聘し、北海道大学、慶應大学、同志社大学で「議会・時間・憲法院」の三者関係に関わる問題点についての報告をしてもらった。また12月には東京で、国会図書館と議院法制局の職員を招いて研究会を開催し、「議会運営における時間」をめぐる諸問題についての意見交換を行った。会期不継続の原則を廃止した場合の問題点など、研究者がなかなか気がつかない論点を知ることができ有益であった。(3)国際ワークショップの合同開催:平成31年3月に研究代表者と分担者が渡仏し、リール大学(テーマ:「議会と時間」ーフランスと日本の視点の交錯)とINALCO(テーマ:日本における民主主義、憲法及び議会)で研究成果の一部を公表するためのワークショップを合同で開催し、フランスの研究者や学生と意見交換を行った。フランスに限定されるが、日本の憲法や議会に関する国際的な情報発信を行うことができたように思う。
著者
黒田 重雄
出版者
北海学園大学
雑誌
北海学園大学経営論集 (ISSN:13486047)
巻号頁・発行日
vol.5, no.4, pp.39-48, 2008-03
著者
ベッカー ゲーリ 増田 辰良
出版者
北海学園大学
雑誌
北海学園大学法学研究 (ISSN:03857255)
巻号頁・発行日
vol.41, no.3, pp.606-558, 2005-12-31

本稿は、Gary S. Becker, 1968, Crime and Punishment: An Economic Approach, Journal of Political Economy, March/April, 169-217の数学付録を除く、全文を邦訳したものである。本稿の大きな特徴は経済学において中心的な役割をしている経済合理性を犯罪行為にも応用したことである。つまり、犯罪を実行するか否かは合理的な選択行動の一つとなる。犯罪から得る利益がその機会費用(刑罰や罰金)を上回る限り、犯罪を実行することになる。この場合、刑罰や罰金は犯罪行為に対する対価であり、この対価を支払う能力(所得)が高い者は利益や効用が対価を上回る限り犯罪を実行する。いわば犯罪も市場取引の対象になる。本稿はあらゆる法領域において最適な違法行為数とその最適な抑止政策(有罪確率、罰金、賠償、懲役など)を考察するための先駆けとなった論文である(訳者)。
著者
五月女 律子
出版者
北海学園大学
雑誌
北海学園大学法学研究 (ISSN:03857255)
巻号頁・発行日
vol.41, no.4, pp.687-711, 2006-03-31

Sweden has actively promoted a gender equality policy. However, distinct differences on political preference between men and women have emerged in recent years. In the referendums on EU issues, these differences were especially evident. The purpose of thi