著者
梅原 猛
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.1, pp.p13-23, 1989-05

アニミズムはふつう原始社会の宗教であり、高等宗教の出現とともに克服された思想であると考えられている。タイラーの「原始文化」がそういう意見であり、日本の仏教はもちろん、神道もアニミズムと言われることを恥じている。しかし私は、日本の神道はもちろん、日本の仏教もアニミズムの色彩が強いと思う。それに、アニミズムこそはまさに、人間の自然支配が環境の破壊を生み、人間の傲慢が根本的に反省さるべき現代という時代において、再考さるべき重要な思想であると思う。
著者
阿満 利麿
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.9, pp.55-67, 1993-09-30

死後の世界や生まれる以前の世界など<他界>に関心を払わず、もっぱら現世の人事に関心を集中する<現世主義>は、日本の場合、一六世紀後半から顕著となってくる。その背景には、新田開発による生産力の増強といった経済的要因があげられることがおおいが、この論文では、いくつかの思想史的要因が重要な役割を果たしていることを強調する。
著者
朱 捷
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.15, pp.69-91, 1996-12

本稿では、日本人の語感において嗅覚がいかに格別な地位を占めているかを論じる。京都の染色や日本刺繍、日本画、陶芸などでは今日でも、花の雄蘂・雌蘂その場所のことを「におい」と呼ぶ。これは仏教経典に見える、生命誕生に決定的な役割をはたす匂いの神ガンダルヴァの話を想起させる。どの辞書にも載らないこの使い方は、生命のほのかな、原初的な躍動を嗅覚でとらえる「にほひ」ということばの、最下層の面影を残しているように思われる。語源的に、「にほひ」は神秘的な生命力を秘める霊的物質水銀とのつながりを示唆する。「二」は水銀の原鉱石の丹砂を指し、「ニホ」は丹砂の産出を意味する「ニフ」や水銀の女神の名前ニホツヒメと明らかに接点をもつ。「にほひ」ということばには視覚と嗅覚が重なり合っている。それは、血のように鮮やかな水銀朱の色を視覚的に表現するいっぽう、視覚ではとらえきれない、丹砂という鉱石の奥をうねり脈打つ生命力の神秘性を嗅覚的にとらえていることを示している。内在的な生命力のうねりを嗅覚的に表現する「にほひ」の用例は、古典文学に多く見られる。源氏物語ではそれは男女の内在的な美的性的魅力をも意味する。魅惑的なフェロモンのような体臭をもちながら、薫がもっとも恐れていたのは「にほひ」のない男と呼ばれることだった。日本語では、絵画に与えるもっとも高い評価にも、「声のにほひ」などのように、聴覚のなかのもっとも美しい音声を表現するのにも、「にほひ」が使われる。そして「にほひ」は芭蕉の美学理念の重要なキーワードでもある。日本人の嗅覚は、他の感覚ではとらえきれない物事の奥に秘める生命力や人の心を打つものに対してとくに繊細である。対照的に、中国人の語感において聴覚が格別的で、響きを意味する「韵」が他の感覚を凌駕するキーワードとなることが多い。しかも興味深いことに、「にほひ」の漢字表記「匂」は、「韵」の右半分を取って造られた和製漢字である。
著者
三谷 博
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
Leaders of Modernization in East Asia
巻号頁・発行日
pp.107-116, 1997-03-31

東アジアにおける近代化の指導者たち, 北京大学, 1995年12月4日-7日
著者
早川 聞多
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.6, pp.p115-136, 1992-03

本研究ノートは、ある美術作品とそれを観る者の間に生まれる「魅力」といふものを、生きた形で記述するための一つの方法を提起する。私がここで提起する方法は、スタンダールが『恋愛論』の中で詳細に生き生きと記述した「結晶作用」といふ、恋する者の心の中で起こる現象の記述方法に倣はうとするものである。「結晶作用とは目前に現れるあらゆることから愛する相手の裡に新しい美点を次つぎと発見する精神の作用のことだ」とスタンダールは述べてゐるが、かうした心理現象は恋人に対してだけ生じるものではなく、愛好する美術作品に対しても起こつてゐるのではないかと、私は考へる。そこで本文では、この「結晶作用」といふ心理現象に従つて美術作品の「魅力」を記述する具体例を示すために、私が長年興味を覚え続けてきた美術作品の一つ、與謝蕪村筆『夜色樓臺図』を例に採り、私の裡で生じた「結晶作用」の発展過程を記してみようと思ふ。そこには私の勝手な思ひ込みが幾重にも重ねられてゐるが、私にとつてはそれこそが「魅力」というふものの真の姿のやうに思へてならない。

1 0 0 0 OA 黥と渡来人

著者
張 従軍 岡部 孝道
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.20, pp.31-67, 2000-02-29

渡来人の問題は、日本歴史の文化を研究する上で重要な課題である。一般には、渡来人は稲作とともに日本列島に入ってきたとされている。しかし、考古学の資料を見ると、古くは稲作が渡来した以前の縄文時代前・中期には、日本列島において、大陸文化に極めて類例した新しい文化要素が、すでに出現していたことが判明する。特に、顔に刻まれた入れ墨を特徴とする土偶などは、大陸の黄河流域における新石器文化に見られる入れ墨の形象と、ほぼ完全に一致している。入れ墨は、古代中国においては刑罰の一種であり、その起源も大変古い。入れ墨の刑を受けた者は、ただちに辺境の寒冷な北方地区に追放されるのが常で、二度と故郷に戻ることはなかった。このため、受刑者が追放された地方もまた、「鬼」の国と呼ばれていた。アジア東北地域に広く存在していた「鬼」の信仰など、この地域一帯で古くから密接な交流があったことを物語っている。初期に日本に上陸してきた「渡来人」とは、入れ墨の刑を受けた大陸からの流刑囚であった可能性を提起したい。彼らの影響によって日本列島では「紋身黥面」という風習が起こったのではなかろうか。
著者
ジラール フレデリック
出版者
国際日本文化研究センター
巻号頁・発行日
pp.1-47, 2010-09-30

会議名: 日文研フォーラム, 開催地: キャンパスプラザ京都, 会期: 2008年6月11日, 主催者: 国際日本文化研究センター
著者
細川 周平
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.35, pp.451-467, 2007-05-21

ジャズはそれまでの音楽にはない急速で広範囲の伝播を特徴としている。その原型ができあがってまもない一九二〇年代に世界共通語になった背景には、三つの新しい再生技術―電気録音、ラジオ、サウンド同期映画(トーキー)―の力が大きい。
著者
森岡 正博
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.2, pp.125-137, 1990-03-10

人間の知的な営みの本質には、ここではない「もうひとつの世界」、この私ではない「もうひとりの私」を空想し、反芻する性向がある。スタニスワフ・レムとタルコフスキーの『ソラリス』、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』の作品世界は、この「もうひとつの世界・もうひとりの私」へと向かう想像力によって、形成されている。そして、その想像力の根底にあるものは、「死」へのまなざしであり、「救済」の希求である。人が「もうひとつの」なにかへと超越しようとするのは、そこに死と救済がたちあらわれてくるからなのだ。
著者
ロコバント エルンスト
出版者
国際日本文化研究センター
巻号頁・発行日
pp.1-26, 1991-03-29

会議名 : 日文研フォーラム, 開催地 : 国際交流基金 京都支部, 会期 : 1989年7月11日, 主催者 : 国際日本文化研究センター
著者
別役 恭子
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.8, pp.71-99, 1993-03-30

浮田一蕙の「婚怪草紙絵巻」は、皇女和宮の徳川家茂への降嫁に対する風刺絵だとされてきた。しかし、一蕙の作品群を調べると、一蕙が信州に滞在した嘉永五年十月から翌六年二月にかけて、「狐の嫁入り」を主題とした掛幅や六曲一双の屏風を既に制作しており、「婚怪草紙絵巻」もその延長線上で描かれたと思われる。即ち、一蕙が江戸に滞在した嘉永六年三月から安政元年七月の間で、それは和宮降嫁の議が内々論議された安政五年秋から冬にかけてより、四年有余遡るのである。
著者
ホワニシャン アストギク
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
世界の日本研究 = JAPANESE STUDIES AROUND THE WORLD (ISSN:24361771)
巻号頁・発行日
no.2020, pp.37-47, 2021-03-31

アルメニア共和国の教育機関において日本研究コースが初めて開かれたのは2009年であるため、同国における日本研究の歴史は決して長くない。しかし、20 世紀初頭から日本に関する著書が出版され、また日本の文学作品が、ロシア語などの言語を媒介して翻訳されている。本稿では、アルメニア国立図書館で保管されている日本に関する著書や、アルメニア語に翻訳された文学作品を紹介し、アルメニアにおける日本研究の現状や課題について述べる。