著者
小島 康敬
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
Cairo Conference on Japanese Studies
巻号頁・発行日
pp.157-172, 2007-12-20

Cairo Conference on Japanese Studies, カイロ大学, 2006年11月5日-6日
著者
瀧井 一博 大久保 健晴 勝部 眞人 植村 和秀 永井 史男 谷川 穣 前田 勉 國分 典子 五百籏頭 薫 小川原 正道 松田 宏一郎 島田 幸典 佐野 真由子 塩出 浩之 福岡 万里子 中村 尚史 牛村 圭 今野 元 山田 央子 清水 唯一朗 岩谷 十郎 奈良岡 聰智 Breen John
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2016-04-01

明治維新から150年が経過した。日本は今、明治日本という西洋近代に対する稀有なキャッチアップを遂げた自らの歴史的経験を振り返り、その経験を学術的に分析して、その功罪を人類の歴史的遺産として今後似たような歩みをするかもしれない世界中の他の国々や地域に対して提供する使命を有しているといえる。本研究課題においては、明治日本の世界史的意義を学際的かつ内在的に把握するための研究ネットワークを構築することが掲げられた。そのために、海外の研究者とも積極的に連携して、明治史のグローバルな関心と日本の学界を接合することを促進した。
著者
李 杰玲
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
世界の日本研究 = JAPANESE STUDIES AROUND THE WORLD (ISSN:24361771)
巻号頁・発行日
no.2020, pp.48-59, 2021-03-31

本稿は、中国学術界における江戸時代の怪異小説に関する研究の現状と、その展望を述べたものである。怪異小説の研究は「迷信を排除し、科学を提唱する」という国のモットーにそぐわず、研究に必要な資料も十分ではない。まして、中国人の研究者にとって、江戸時代のくずし字は読みづらい。ゆえに、中国では大学院生の学位論文以外の江戸怪異小説の研究が少なく、大学院生が研究の主力になっている。彼らの研究の多くは、江戸怪異小説を日中比較文学論上に載せて考察している。
著者
安井 眞奈美 中本 剛二 遠藤 誠之 倉田 誠 松岡 悦子 澤野 美智子 伏見 裕子 木村 正
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2019-04-01

本研究の概要は、現代の妊娠・出産・産後を危機的状況にあると捉え、医療、女性の身体、子供の命といったさまざまな切り口から、妊娠・出産・産後の現状を総合的に解明することである。現状を変えていくための処方箋を提示する、緊急を要した実践・応用人類学の研究と位置づけられる。現代の妊娠・出産・産後の現状をインタビューも含めた文化人類学の参与観察によって解明し、エスノグラフィーを作成する点に特徴がある。
著者
王 秀文
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 : 国際日本文化研究センター紀要 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.69-109, 2000-10-31

桃は強い生命力を持つ仙果、陰や死に対して不思議な呪力をもつ陽木として、当然ながら長生の神仙の世界や不死の楽園に結びつけられる。伝承上では、神仙の住む世界は東の大海原にある蓬莱山で、桃の巨大な樹のある度朔山または桃都山でもあり、仙木である扶桑は桃と同じ陽性の植物である。また信仰上では、不死の薬の持ち主として人間の福寿を操る女神である西王母は、桃をシンボルとし、死を再生に転換させる生命の象徴である。
著者
山本 美紀
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.30, pp.283-294, 2005-03

ジョージ・オルチン(George Allchin 1852-1935)による幻燈伝道は、彼の日本での宣教師としての仕事において、賛美歌の仕事と並ぶ大きな活動である。彼の伝道旅行は地方にも及び、多くの人々にとって福音のみならず賛美歌や聖歌といった西洋文化に初めて生でふれる機会となっていた。本論文は、時に一〇〇〇人以上という動員数を誇った彼の「幻燈伝道集会 Lantern Lecture」に焦点を当て、特に彼のオリジナル作品「ほととぎす」「世は情け」を中心にとりあげる。この二つの作品は聖書のたとえ話「放蕩息子」「善きサマリア人」の翻案である。本論では、オルチンの幻燈伝道を追うことにより、彼独自の宣教観や興行的センスと同時に、一般社会のレヴェルにおける実質的な文化反応の諸相を明らかにする。
著者
亀山 光明
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:24343110)
巻号頁・発行日
vol.62, pp.93-110, 2021-03-31

2000 年代以降の近代日本宗教史研究において、「宗教 religion」なる概念が新たに西洋からもたらされることで、この列島土着の信念体系が再編成されていったことはもはや共通理解となっている。とくにこの方面の学説を日本に紹介し、リードしてきたのが宗教学者の磯前順一である。人類学者のタラル・アサドの議論を踏まえた磯前によると、近代日本の宗教概念では、「ビリーフ(教義等の言語化した信念体系)」と「プラクティス(儀礼的実践等の非言語的慣習行為)」の分断が生じ、前者がその中核となることで、後者は排除されていったという。そして近代日本仏教研究でも、いわゆるプロテスタント仏教概念と親和性を有するものとして磯前説は広く取り入れられてきたが、近年ではその見直しが唱えられている。 こうした研究史の動向を踏まえ、本稿は明治期を代表する持戒僧・釈雲照(1827 ~ 1909)の十善戒論を考察する。歴代の戒律復興運動の「残照」とも称される雲照は近代日本社会において戒律の定着を目指した幅広い活動を展開し、その営為は明治中期に全盛期を迎える。さらに本論では従来の「持戒―破戒」という従来の二元的構図に対し、在家教化のために戒律実践がいかに語られたのかに着目する。ここで雲照は儀礼や日々の勤行などの枠組みで「心」や「信」などの内面的領域を強調しながら、その実践の体系化に努めている。さらにその語りは、伝統的に非僧非俗を貫き易行としての「念仏」を唱えてきた浄土系教団に対抗しながら、十善戒こそが真の「易行」であり、文明の道徳社会に相応しい実践とするものであった。本稿はこの雲照の戒律言説の意義を近代日本宗教史に位置付けることを試みるものである。
著者
梁 嶸
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 = NIHON KENKYŪ (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.53, pp.231-252, 2016-06-30

中国の古代の正常な舌象に関する認識は二段階に分けられる。第一段階は傷寒病の患者を観察の対象とする段階であり、第二段階は正常な人を対象とする段階である。
著者
康 志賢
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
vol.43, pp.101-114, 2011-03

本稿は翻刻と解題を通して『色男大安売』を考察する筆者の五番目の論文である。草双紙の翻刻作業に取り組むことによって、以下のことが新しくわかった。(1)図のみ見ると御飯のおかずのように色を売り歩く滑稽な設定のように見えるが、続く地の文を読むと結局そこまで非現実的な行動はしないことが初めてわかり、荒唐無稽な黄表紙との差が理解できる。(2)駆け落ちの相手を間違えるという事件が、状況的に荒唐無稽ではなく、起こり得る話として写実的に描写されている。これも地の文を丹念に読むことでわかる合巻の特色である。(3)艶二郎に対して「幸福者なり」という表現が度々使われるが、これは彼を揶揄する意味を含む。(4)本文では語られない場面が画像として描かれている、即ち本文では省略された後の事件を想定して絵として補充して見せていることがわかる。(5)オチョンの服装が先学の言及とは異なる服装であることがわかるのは、本注釈作業のように文字と絵を細々と読んで、見て、初めて得られる成果であろう。

1 0 0 0 IR 黥と渡来人

著者
張 従軍 岡部 孝道
出版者
国際日本文化研究センター
雑誌
日本研究 (ISSN:09150900)
巻号頁・発行日
no.20, pp.31-67, 2000-02

渡来人の問題は、日本歴史の文化を研究する上で重要な課題である。一般には、渡来人は稲作とともに日本列島に入ってきたとされている。しかし、考古学の資料を見ると、古くは稲作が渡来した以前の縄文時代前・中期には、日本列島において、大陸文化に極めて類例した新しい文化要素が、すでに出現していたことが判明する。特に、顔に刻まれた入れ墨を特徴とする土偶などは、大陸の黄河流域における新石器文化に見られる入れ墨の形象と、ほぼ完全に一致している。入れ墨は、古代中国においては刑罰の一種であり、その起源も大変古い。入れ墨の刑を受けた者は、ただちに辺境の寒冷な北方地区に追放されるのが常で、二度と故郷に戻ることはなかった。このため、受刑者が追放された地方もまた、「鬼」の国と呼ばれていた。アジア東北地域に広く存在していた「鬼」の信仰など、この地域一帯で古くから密接な交流があったことを物語っている。初期に日本に上陸してきた「渡来人」とは、入れ墨の刑を受けた大陸からの流刑囚であった可能性を提起したい。彼らの影響によって日本列島では「紋身黥面」という風習が起こったのではなかろうか。