出版者
慶應義塾大学出版会
巻号頁・発行日
2006
著者
平野 隆
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.6, pp.173-189, 2008-02

本稿は,戦前期の日本におけるチェーンストアの出現と初期の発展過程を概観し,同時期の米欧との差異を生んだ要因について考察する。 1910年代から,民間の商店経営コンサルタントによって,当時の米欧で発達していたチェーンストアの実態が紹介され,1930年前後ころからは,アカデミックな商業学の研究者がチェーンストアの原理などを論じる文献を発表するようになった。これらに加えて,企業の経営幹部らの海外留学や商業視察旅行などによってチェーンストアの知識が直接取り入れられたケースもあった。 以上のような情報移入を受けて,1910年代から30年代にかけて日本にチェーンストアが相次いで出現した。1910~20年代には,主に製造業企業(メーカー)の前方統合としての直営支店の展開やフランチャイズ・チェーンの創設が見られた。1930年ころからは,独立の中小小売店による不況対策としてボランタリー・チェーンが登場した。一方,高島屋均一店チェーンが1931年から急速な展開を見せ,戦前期における日本最大のチェーン組織に成長した。 しかし,戦前期日本のチェーンストアは,米欧と比較して,未成熟な発展段階にとどまっていた。それは,以下の諸点から明らかである。①全小売業売上に占めるシェアが小さい,②大規模小売企業によるコーポレート・チェーンが未発達,③第2 次世界大戦後に連続する企業がほとんどない,④アメリカで見られた独立小売店による激しい反チェーンストア運動もなかった。 本稿は,戦前期日本におけるチェーンストア未発達の要因として,①チェーンストアのコアな顧客層となる大衆(労働者階層と新中間層)が未成熟であった,②戦間期における百貨店の「大衆化」戦略によって萌芽的な大衆市場をめぐってチェーンストアと百貨店が競合した,という2点を指摘する。商学部創立50周年記念 = Commemorating the fiftieth anniversary of the faculty50周年記念論文
著者
伊藤 眞
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.61, no.3, pp.53-84, 2018-08

トリンプ・インターナショナル・ジャパンの吉越浩一郎は, 1992年社長に就任後, 「残業ゼロ」を柱とする生産性向上により19期連続増収増益を達成。「残業ゼロ」導入時の抵抗は徹底的に除去した。伊藤忠商事は, 2013年から夜8時以降の残業を禁止, 午前5時から始業時間の9時までは深夜と同じ割増賃金を払い, 朝食も用意, 朝会議等朝方勤務へ移行させた。第二次世界大戦の負け戦に表出した日本軍の失敗の要因は, 目的が不明確, 戦争に勝つ見通しが持てなかった故に短期決戦を目指し, 戦略策定にグランド・デザインが欠如していたため, 帰納的, 即ち, 行き当たりばったり, 戦略オプションが狭く硬直的, 統合戦略の欠如が致命的であったことにあった。技術体系も一点豪華主義で, 装備も古く, 組織的にも集団主義による人的ネットワーク偏重であり, 人間関係で統合されていた。学習はシングル・ループであった。作戦実行の結果で評価せず, 動機・プロセスがよければ評価されたため, 失敗に失敗を重ねて壊滅的打撃を受けた。日本軍の失敗の過程は, 主観と独善から希望的観測に依存する戦略目的が, 戦争の現実と合理的論理によって漸次破壊されたプロセスであった。日本の軍隊において兵士は「消耗品」であった。日本軍では, 捕虜は本来ありえないもの, あってはならないものであった。だから, 捕虜になった場合の心構えなど, いっさい教育しなかった。それにしても, 日本の軍隊は人間の命を軽視し過ぎた。日本の軍隊には, 重大な決定をなすにあたって, 確たる根拠も責任の所在を明らかにするルールもなく, ただその場の空気に流され, 強い勢いに引きずられて事が運ばれてゆく通弊があった。すでに開戦を決定するときに, そうであった。その傾向は戦後も引き継がれている。社会的弱者とその家族が気楽に相談したり, 寛ぐカフェとして「認知症カフェ」があり, 健康の思わしくない近親者を抱える人や死について関心のある老若男女が語り合う場として「デスカフェ」がある。これらは常設ではないが, 社会的に機能している。2013年の調査結果によれば, フランスにレストラン(総菜屋を含む)は13万5千店あるが, その85%が冷凍食品やレトルトを使っていた。お店が素材から料理していることを表すマークとして"Fait Maison"(自家製)が2014年7月より導入され, 半年の試験期間を経て2015年から義務化された。新しい法律では「自家製」料理は, その場所で, 事前に「重要な変更」が行われていない「原材料」から作られなければならないと規定。しかし, 凍結食品業界のロビー活動は強力で多くの食品が認められた。2015年5月に一部改正, 「『自家製』とは, 生の製品を現場で処理したもの, すなわち, 事前に, どのプロセスでも調理されていないか, または未変性のものを指す」とされた。このような状況で, 調理時間を削減し, 効率的なレストラン経営を行う手段として, シェフの開発したブイヨンを分析し, まったく同じブイヨンを作って供給するARIAKE JAPANおよびレストラン内で作られた場合には自家製と表記できる真空調理法による料理と保存について概観する。さらに, 東京における料理の一端をかい間見る。日本の国際観光客到着数の増加率は, 2012年から2017年に3倍以上になった。これはアジアが経済成長したのに加え, 観光客にとって, 日本は「安くておいしい国」になったためである。海外の軽食・ランチ千円に対し東京では, その3分の1で牛丼が食べられる。「安くておいしい店」は, 千客万来で忙しいが, 利益や賃金は上がらない。日本には, 20代, 30代で高度な知識・能力を有する若者が, 高賃金で働く職場が少ない。稼げないから, 食べ物も安くなる。一方で, 留学生も増えた。日本では就労ビザのない留学生でも週に28時間まで働けるため, 彼らが, コンビニや配送, 建設, 農業など, 低賃金で日本人が働きたがらない業種を支えている。 小熊英二は, もう「安くておいしい日本」はやめるべきだと言う。サービスには適正価格をつけた方が, 観光業はもっと成長できる。牛丼も千円, 最低賃金は時給1500円以上に。さもないと, 低賃金の長時間労働で「安くて良質な」サービスを提供させるブラック企業の問題も, 外国人の人権侵害も解決しない。デフレからの脱却もできないし, 出生率も上がらない。したがって, 経済成長はもちろん維持さえできない。President Koichiro Yoshikoshi of Triumph International Japan achieved the 19 fiscal years consecutive increase in revenue and earnings due to productivity improvement based on "zero overtime" after he became the president in 1992. Resistance to the introduction of "overtime zero" policy was thoroughly eliminated by him. Since 2013, C. Ito prohibits overtime from 8 o'clock in the evening, pays the same extra wage as midnight from 5 am to 9 o'clock, also prepares breakfast for staffs and shifted to morning work including morning meeting. Factors of the Japanese military's failure to appear in a losing battle during the Second World War are as follows. Because the purpose was unclear, and it could not have the prospect of winning the war, it aimed for a short-term decisive battle. Because of the lack of ground design, strategy formulation was inductive, in other words, doing a thing without system, strategy options were narrow and rigid, the lack of integration strategy was fatal. The technical system was one point luxury, military equipment was old. It was a human network process by collectivism, it was integrated by special human relations. Learning was a single loop. Because officers were evaluated if the motivation and process was good, without evaluating them as a result of the execution of the strategy, the army failed and failed to catastrophically. The process of the failure of the Japanese army was the process of gradual destruction of the strategic purpose dependent on subjective observation and wishful observation from subjective self-righteousness, caused by the reality of war and rational logic. In Japanese army soldiers were "consumables". In the Japanese army, prisoners of war were things that were impossible, and should not exist. Therefore, soldiers were not educated at all, such as attitude when they became prisoners. Even so, the Japanese army disregarded human life too much. In making a material decision at Japanese army, there is no definite grounds and no rules to clarify the location of responsibility, just being carried by the air of the place, things will be carried by being dragged by strong momentum there. It was so already when the army decided to open the war. Such trend has been passed to even after the war. There is a "dementia cafe" as a cafe where socially vulnerable people and their families can consult comfortably, interact and relax. Also there is a "death cafe" as a place where young and old men and women who think about death and people who have unhealthy close relatives talk. These are not permanent but they are functioning socially. According to the findings of 2013, there are 13,500 restaurants in France, 85% of which used frozen foods and retort. "Fait Maison" (homemade) was introduced from July 2014 as a mark indicating that the restaurants and shops are cooking from the raw materials, it was compulsory from 2015 after a half-year examination period. The new law stipulates that "homemade" cuisine must be made from "raw materials" beforehand in which "important changes" have not been made. However, lobbying activities in the frozen food industry were powerful and many foods were accepted. Partially revised in May 2015, "Homemade" means that raw products is processed at the site, that is, it is not cooked in any process in advance, or it is undenatured. Under such circumstances, as a means to reduce cooking time and efficient restaurant management, ARIAKE JAPAN analyzes bouillon developed by chef's, make exactly the same bouillon and supply it to the chefs, and when cuisine is made at the restaurant and preserved by vacuum cooking method which can be written as homemade, are reviewed. Furthermore, review a part of cooking in Tokyo. The increase rate in the number of arrivals of international tourists in Japan has more than tripled from 2012 to 2017, which comes from, in addition to the economic growth of Asia, especially China, Japan became "cheap and delicious country" for such tourists. Snacks and lunch overseas cost 1,000 yen is normal. But in Tokyo, tourists can eat a beef bowl one third of them. Delicious, the shop is clean and the service is good. "Cheap and delicious store" is busy with a lot of customers, but profits and wages do not rise. In Japan, young people with advanced knowledge and ability in their twenties and thirties have fewer workplaces that work at high wages. Because they cannot earn money, food is also cheap. On the other hand, foreign students also increased. In Japan, international students who do not have a work visa can work up to 28 hours a week, so they support industries that Japanese do not want to work with low wages such as convenience stores, delivery, construction and agriculture. Mr. Eiji Oguma says that it should stop now "cheap and delicious Japan". Putting a reasonable price on the service, the tourism industry can grow more. Beef bowl shall be 1,000yen, minimum wage to over ¥ 1500 / hour. Otherwise, the problems of black companies that will provide "cheap and good quality" services with long hours of low wages, and even human rights violations of foreigners will not be resolved. We cannot even escape from deflation and claim that the birthrate will not rise.論文
著者
赤川 元章
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.50, no.2, pp.157-180, 2007-06

本稿は中国において活動したドイツ海外銀行,ドイツ・アジア銀行の発展を創業時の1889年から1913年に限定してその事業活動の側面について取り上げる。 まず,ロンドン金融市場と結合したドイツ・中国間の貿易金融システムを前提とし,銀本位制下の未発達な特殊な商業機構に根ざした中国の輸出入業務と銀行の貿易金融業務・外国為替業務・貸付業務との関連を考察する。次に,中国地域において行われた本支店5 営業店の銀行券発行業務を対象とし,その実態について固有の諸規定とそれらの特徴,および具体的な展開,さらに辛亥革命などによる影響などを分析する。また,国際銀行業の重要な収益源でもあった有価証券業務および借款業務を検討する。この業務はドイツ銀行界全体のシンジケートとして組織されたものであり,その主幹事として活動したドイツ・アジア銀行の保有証券および借款の内容を明らかにする。最後に,ドイツ・アジア銀行の主要資産5 項目,総資産利益率と配当率の推移を時系列的に追究し,同行の発展プロセスを数的に分析・確認する。商学部創立50周年記念 = Commemorating the fiftieth anniversary of the faculty論文
著者
西﨑 賢治
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.61, no.1, pp.135-161, 2018-04

習近平政権は, 反腐敗運動を展開し, 多数の政府要人が逮捕される事態となっている。彼らの多くが経済犯罪の嫌疑で摘発され, それらの資金の源泉には国有企業も含まれる。故に, 反腐敗運動の動きに対して, 国有企業の監査・監督主体である審計署監査の動きに変化があるか, 国有資産監督管理委員会と会計師事務所の動向と併せて検討した。その結果は, 国有企業の監査・監督について, 次第に強化され厳格化されているものの, 習政権で急展開したわけではなく, 胡錦濤政権末期からの動きが連続して現在に至っていることが確認された。国有企業の監査・監督の観点からは, 習政権は, 胡錦濤政権の方針を活かして動いているものと判断される。今後, 2期目を迎える習政権であるが, 当路線を継続するか, 新機軸を打ち出すかは, ここ最近の動向を注視する必要があるだろう。黒川行治教授退任記念号#論文挿表
著者
保田 明子
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 = Mita business review (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.63, no.2, pp.49-72, 2020-06

1947 (昭和22) 年に貿易に関する総合経済団体として設立された日本貿易会は,1986 (昭和61)年に貿易商社の業界団体へと改組を行い,その事業目的を大きく変更した経済団体として例のない存在である。改組を行った背景には,貿易振興という共通課題を有しながらも,貿易商社とそれ以外の利害が複雑化し,収斂していくことが困難となったことがある。貿易振興団体における利害の対立はいつ頃より生じたものであったか。 日本貿易会の前身団体である1885 (明治18) 年設立の日本貿易協会に注目し,戦前・戦時期経済団体における同種の衝突の存在について検討した結果,その設立初期より目的実現に向けた視点として,貿易業者を中心とする純貿易主義とそれ以外の産業振興主義という二面性が存在し,内外環境の変化に応じて両者のバランスを模索し,戦間期に双方の課題を取り扱う組織を形成していくプロセスが明らかになった。トップの変遷からも,明治期の産業振興主義から戦間期に純貿易主義へと軸が移行し,設立時の貿易業者の自立促進を目指す組織の変化を確認することができた。しかし,戦時期の貿易統制という特殊な環境下では,産業界をまとめる産業振興主義が台頭し,終戦を迎えることになった。 また,日本貿易会との比較では,日本貿易協会においても組織が成熟していくにつれて講演会事業や委員会活動などの情報サービス活動が多様化・多角化し,現在の日本貿易会とほぼ同様の活動がみられるようになり,貿易振興の実現に向けて組織的な意思を政策に反映させていこうとする過程が明らかになった。The Japan Foreign Trade Council, Inc.(JFTC, Nihon Boeki Kai)established in 1947 as a general economic organization for trade, was reorganized into an industry organization for trading companies in 1986. Why they reorganized?This paper is focusing on the Japan Trade Association(Nihon Boeki Kyokai) established in 1885, the predecessor organization of the JFTC and examined the root from the very beginning of the organization, and revealed that there were two aspects of pure trade promotion principle, and other industrial promotion principle, but the Japan Trade Association had managed to handle the two principles.論文
著者
赤川 元章
出版者
慶應義塾大学出版会
雑誌
三田商学研究 (ISSN:0544571X)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.19-41, 2008-04

ドイツの中国近代化への嚆矢は,清朝政府によって北京天文台長官に任命されたシャル・フォン・ベルによるヨーロッパ暦導入の17世紀中期にさかのぼる。だが,ドイツ・中国間の経済関係が本格的に開始されたのは19世紀の中期以降であり,ハンブルクやブレーメンの商人が広東を出発点とし,やがて上海・香港・漢口・天津・青島など交通要所と沿海部の大商業都市に営業基盤を築いて活動した。 中国を中心とするアジアへのドイツの経済進出はまたドイツ帝国主義の対外政策の中に位置づけられて展開された。本稿は,この経緯を実証的に確認する作業から始め,次に銀本位制下の中国経済社会の未発達な金融・商業機構,その中で「外国資本の活動を補助する土着中間商人」としての買弁および伝統的な金融業者,銭荘について考察する。いわば,国際銀行が活動する歴史的・社会的背景について解明するのである。 そのうえで,1875年,ドイツ銀行の東アジアからの撤退以降,次第に増大するドイツと東アジア間での商業取引と同地域における信用供与の必要性から,ドイツ政府は「海外ライヒスバンク」の設立を発案する。この構想は挫折したが,1889年,ディスコント- ゲゼルシャフトが幹事銀行となり,紆余曲折を経てドイツ主要銀行の大半の参加によってドイツ・アジア銀行が設立された。この設立のプロセスについて最近の研究成果を踏まえて追究する。論文