- 著者
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小玉 重夫
- 出版者
- 教育思想史学会
- 雑誌
- 近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
- 巻号頁・発行日
- vol.15, pp.89-102, 2006-09-17 (Released:2017-08-10)
グローバリゼーションが国民国家にかわる新たな政治社会の構成原理をもたらすのかどうか、もしそうだとすればその条件は何なのか。本稿では、アンソニー・ギデンズ、ハート=ネグリ、ジョルジョ・アガンベンの3者の思想に注目し、この問題を検討した。まず、ギデンズは、「第三の道」において旧式の福祉国家とは異なる包含のシナリオに定位した議論を提起した。だが、それは包含と排除のアポリアを顕在化させるものであった。これに対して、ハート=ネグリとアガンベンは、包含と排除の機制を見据え、マルチチュードとホモ・サケルという、対照的な議論を展開した。ハート=ネグリの場合は、マルチチュードの構成的権力によって包含/排除の境界線を反転させる構想を提起した。それに対してアガンベンは、構成的権力と主権権力の間の危うい偶然的な関係に依拠した政治を構想することによって、包含/排除の境界線それ自体を無化しようとした。アガンベンの議論は、潜勢力(可能性)と現勢力(現実)との間の必然的なつながりを否定する労働価値説批判としての側面をもつており、この方向で政治教育の復権を模索することが、グローバリゼーション下における新しいシティズンシップを探求するうえでの一つの鍵となることを明らかにした。