著者
間中 光
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.4, no.1, pp.19-32, 2016 (Released:2020-01-13)

近年、日本社会及び国際社会にとって重要な課題となっている災害復興では、その優良事例や復興支援に関わるノウハウの蓄積が大きな課題となっている。この課題性は観光にとっても無縁ではなく、2015年4月に発生したネパール地震など、「観光を通じた災害復興」に関する知見が強く求められる事例も多い。そこで本稿では、被災地で行われる観光の現状について2004年のインド洋大津波、2011年の東日本大震災の事例を中心に整理し、災害復興における観光の可能性と課題について考察する。そして、明らかになった可能性と課題を分析する枠組みとして、ダークツーリズム論を中心に既存研究を批判的に検討し、その限界性を指摘する。その上で、「騒乱・擾乱などのショックに対し、システムが同一の機能・構成・フィードバック機能を維持するために変化し、騒乱・擾乱を吸収して再構築するシステムの能力」と定義されるレジリエンス(Resilience)概念を援用した新たな分析枠組みを提示する。
著者
新田 康博
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.35-46, 2018

都市近郊の中山間地域における自転車アクティビティ(とりわけヒルクライム)を取り上げ、既存の場所がその意識的な働きかけによっていかに捉えられているかという問いに答えつつ、モビリティ(移動性)の身体的な経験や空間性について考察する。人と自転車の組み合わせによって生み出されるサイクリングの経験は、物質的な景観のみならず、その時どきの身体の状態とともに場所の印象が構成され、身体的な動きと場所を通した感覚的な経験により、場所に関する具体的な地理感覚が認識されている。身体が経験する異なる感覚によって呼び起される場所という視点は、空間・場所・景観を研究し、解釈する方法を考えるうえで重要な意味を持つ。静的に「存在する」だけでなく、積極的に参加するなかで様ざまに変化し、様ざまな経験により内在的に構成されるものなのである。
著者
大橋 昭一
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.5-17, 2013

In recent years, a methodological problem in tourism studies is the lack of a shared paradigm, that is, a framework underlying most theories and a methodology accepted by the majority of researchers (Aramberri, 2010). This paper argues that tourism originates with human beings who traveled with basic necessities and subsequently brought about extensive development in tourism as a result of their mobility. It addresses afresh certain key issues in tourism studies from a theoretical and systematic viewpoint. While the new era in tourism studies began with "hopeful tourism" advocated by Pritchard et al., a new version of "alternative tourism" presented by Wearing et al. may provide a new category of tourism, enabling the transformation of tourism studies because it is rooted in human nature.In recent years, a methodological problem in tourism studies is the lack of a shared paradigm, that is, a framework underlying most theories and a methodology accepted by the majority of researchers (Aramberri, 2010). This paper argues that tourism originates with human beings who traveled with basic necessities and subsequently brought about extensive development in tourism as a result of their mobility. It addresses afresh certain key issues in tourism studies from a theoretical and systematic viewpoint. While the new era in tourism studies began with "hopeful tourism" advocated by Pritchard et al., a new version of "alternative tourism" presented by Wearing et al. may provide a new category of tourism, enabling the transformation of tourism studies because it is rooted in human nature.In recent years, a methodological problem in tourism studies is the lack of a shared paradigm, that is, a framework underlying most theories and a methodology accepted by the majority of researchers (Aramberri, 2010). This paper argues that tourism originates with human beings who traveled with basic necessities and subsequently brought about extensive development in tourism as a result of their mobility. It addresses afresh certain key issues in tourism studies from a theoretical and systematic viewpoint. While the new era in tourism studies began with "hopeful tourism" advocated by Pritchard et al., a new version of "alternative tourism" presented by Wearing et al. may provide a new category of tourism, enabling the transformation of tourism studies because it is rooted in human nature.
著者
韓 準祐
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.91-106, 2016 (Released:2020-01-13)

本稿では、まず、観光まちづくり研究が成功事例の紹介と実践的なマニュアル化を意識した観光まちづくり擁護論に偏るなか、地域内外の多様なアクターの声と実践が捨象される課題を指摘した。次に、観光まちづくりの政策化に対する懐疑的視点からの考察、さらに観光まちづくり実践が行われる地域内における葛藤や対立に焦点を当てる研究など、観光まちづくり擁護研究に対する批判的考察をまとめた。その後、観光まちづくりの成功例でありながら、由布市への合併をめぐる地域内部の対立にも焦点が当てられてきた大分県由布院を事例として取り上げた。由布院内外の多様なアクター間で生じる軋轢や葛藤、対立の詳細について考察することで、観光まちづくり実践の成功物語及びその応用を視野に入れた観光まちづくり擁護論では掬い取られず、その批判論においても十分理解されないことが由布院の現在をかたちづくる上で重要な意味を有していることを明らかにした。
著者
井澤 友美
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.2, no.2, pp.143-154, 2014 (Released:2020-01-13)

バリは、インドネシアを代表する国際観光地に発展した。しかし、その開発は、長年バリ島外部勢力が主導するものであり、地域住人の意向は反映されてこなかった。特にスハルト権威主義体制時代(1966-1998)における国際観光開発は、観光収益の島外への流出、地方行政府間における観光収入の格差、治安の悪化、環境の劣化などの弊害を伴った。1998年にスハルト政権が崩壊すると、インドネシアでは権威主義体制から民主化へ、中央集権から地方分権への移行が急速に進められた。では、民主化・地方分権化を経て、バリの観光開発はどのように変化したのか。また、観光による弊害の現状はどのようなものか。本稿では、これまで問題の原因の多くを外部の責任とみなしつつ議論されてきた観光開発とそれに伴う社会問題に対して、ポスト・スハルト時代に発言権を増した地元アクターに焦点を当てつつその実態を明らかにする。すなわち、体制移行を経てバリ社会は、地元アクター間における観光利潤の獲得競争という新時代に入ったのであり、それに伴ってスハルト時代に顕著となった社会問題がますます悪化せざるを得ないという皮肉な現状を議論する。
著者
鈴木 涼太郎
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.7, no.2, pp.141-154, 2019 (Released:2021-09-30)

本稿では、新潟県佐渡島の伝統芸能・鬼太鼓を事例に、民俗芸能を介した体験・交流プログラムにおける観光経験について考察する。佐渡島は全国的な知名度を誇る民謡・佐渡おけさや能、世界的太鼓集団「鼓童」の存在によって「芸能の島」とも称されている。そのなかで鬼太鼓は、全島の集落で広く伝承されている芸能であり、佐渡の観光宣伝の文脈では戦前から島を代表する伝統文化として位置づけられてきた。佐渡市高千地区では、毎年8月13日に「夏の彩典たかち芸能祭」というイベントが行われている。このイベントでは2009年より神奈川県の大学生が参加する芸能体験プログラムが行われており、学生たちは約1週間高千地区に滞在し、集落に伝わる鬼太鼓を学び芸能祭本番では伝承者とともに観衆に向けて披露する。このプログラムを対象に筆者が2009年以来行ってきたアクション・リサーチから明らかになったのは、民俗芸能という身体技法の習得をともなう交流プログラムにおいては、束の間の「師匠と弟子」の関係が構築されるということである。さらに参加学生が伝承者とともに鬼太鼓を披露して地域の人々や観光客に「観られる」側となる状況では、「地域文化観光」論で指摘されているような真摯な交流がもたらされ、観光者としての参加者が実存的真正性を経験することが可能になる。だが同時に重要なのは、そのような真正な経験が、このプログラムが管理された団体旅行であり、受け入れる地域と参加する学生にとって「一時的な楽しみ」であることによって支えられているという点である。
著者
鈴木 涼太郎
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.153-168, 2018

本稿は、ロシアを代表する民芸品として観光客に人気のおみやげマトリョーシカを事例に、観光みやげにかかわる人やモノの移動の連関について考察するものである。これまでの観光研究では、おみやげは当該の観光地で生産されていることが前提とされ、訪れた観光客が自らのホームへとそれを持ち帰る過程や、おみやげになることによって生じる意味や形態の変化に主たる焦点が当てられてきた。しかし実際に観光地で販売されているおみやげの多くは、必ずしも地域固有のものであるとは限らず、生産のプロセスにおいて時間的にも空間的にも様々な越境を経てその場所へとたどり着いた商品であることも少なくない。またおみやげをその「本来の姿」との対比で論じることで、観光という移動のために生産されたモノを規定する論理については十分な検討が行われてこなかった。その結果既存の研究では、おみやげをめぐる複数の移動の経路や、異なる社会的文脈においておみやげが経験する意味や価値の変化の在り方をとらえきれていなかったと考えられる。<br>それに対して本研究では、マトリョーシカというおみやげを観光客が持ち帰る前の「本来の姿」、いわばそのルーツとの対比で論じるのではなく、マトリョーシカが過去100年余りの時間の中で経験してきた、幕末の日本から20世紀初頭のロシアやフランス、さらに現代の中国やベトナム、マレーシア、そして再び日本へと至る世界規模での一連の移動のルートを素描することを試みた。そこから明らかになったのは、おみやげは観光客の移動のみに付随する現象ではなく、より広範な人やモノ、イメージの移動のネットワークにおける移動の途上で、絶えずその形態や意味を再構成させながら存在するモノだということである。そしておみやげが経験する一連の移動をめぐる考察は、真正なモノ/ニセモノ、ローカルなモノ/グローバルなモノ、商品/非商品といった区分がゆらぐ過程の分析となるのである。
著者
北川 眞也
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.69-86, 2018 (Released:2020-03-25)

イタリア最南端のランペドゥーザ島には、地中海を渡ってきた移民たちの船が置かれたままの「船の墓場」がある。そこには船のみならず、移民たちが有していた様々な所持品も残っている。これらのモノは、移民たちの移動を可能とした移動空間を構成していたものである。それらが移民たちの身体から切り離されるとき、これらのモノは別種の時間・空間の軌道を描いていくのではないだろうか。 本稿では、これらのモノの物質性とモビリティが、観光地でもあるランペドゥーザの島民、さらにはヨーロッパの人々を、どのように主体化させているのかを考察する。一方には、これらのモノを「境界スペクタクル」として客体化することで、移民たち自身をも客体化、犠牲者化し、かれらの移動性を取り締まる制度レヴェルでの主権的態度がある。他方には、たとえこれらのモノを「展示」するとしても、それらの物質性とモビリティの内側に留まりながら、モノ、そして移民たちとの関係性を内在的に模索する、一部の島民の脱主権的な態度がある。後者の態度には、移民たちの自律的な移動性、移動空間の形成に対して開かれた政治的過程を、この観光空間において引き起こす潜在性があろう。
著者
鈴木 涼太郎
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.6, no.2, pp.153-168, 2018 (Released:2020-09-30)

本稿は、ロシアを代表する民芸品として観光客に人気のおみやげマトリョーシカを事例に、観光みやげにかかわる人やモノの移動の連関について考察するものである。これまでの観光研究では、おみやげは当該の観光地で生産されていることが前提とされ、訪れた観光客が自らのホームへとそれを持ち帰る過程や、おみやげになることによって生じる意味や形態の変化に主たる焦点が当てられてきた。しかし実際に観光地で販売されているおみやげの多くは、必ずしも地域固有のものであるとは限らず、生産のプロセスにおいて時間的にも空間的にも様々な越境を経てその場所へとたどり着いた商品であることも少なくない。またおみやげをその「本来の姿」との対比で論じることで、観光という移動のために生産されたモノを規定する論理については十分な検討が行われてこなかった。その結果既存の研究では、おみやげをめぐる複数の移動の経路や、異なる社会的文脈においておみやげが経験する意味や価値の変化の在り方をとらえきれていなかったと考えられる。 それに対して本研究では、マトリョーシカというおみやげを観光客が持ち帰る前の「本来の姿」、いわばそのルーツとの対比で論じるのではなく、マトリョーシカが過去100年余りの時間の中で経験してきた、幕末の日本から20世紀初頭のロシアやフランス、さらに現代の中国やベトナム、マレーシア、そして再び日本へと至る世界規模での一連の移動のルートを素描することを試みた。そこから明らかになったのは、おみやげは観光客の移動のみに付随する現象ではなく、より広範な人やモノ、イメージの移動のネットワークにおける移動の途上で、絶えずその形態や意味を再構成させながら存在するモノだということである。そしておみやげが経験する一連の移動をめぐる考察は、真正なモノ/ニセモノ、ローカルなモノ/グローバルなモノ、商品/非商品といった区分がゆらぐ過程の分析となるのである。
著者
松本 健太郎
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.109-116, 2018

ポケモンGOはそのリリース直後、都市の意味空間を規定するレイヤーを多層化させ、われわれが認知するリアリティをより錯綜したものへと変質させた。実際それは物理空間と仮想空間の領域区分を越境しながら多くの社会問題を引き起こし、われわれが生きる意味世界に「分断」(それをプレイする人とそうでない人のあいだのそれ)をもたらす存在として報道されるに至った。本論考ではプレイヤー/非プレイヤーのあいだの「軋轢」、あるいは、そこから派生した社会的な「分断」を視野にいれつつ、複数の領域にまたがる理論的言説を参照しながら、また、それを前提に「ゲーミフィケーション」概念を再考するなどしながら、デジタル・テクノロジーが現代の記号世界にもたらしつつあるものを考察の俎上に載せてみたい。
著者
藤井 紘司
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.6, no.1, pp.3-17, 2018 (Released:2020-03-25)

本稿の目的は、マスツーリズムの弊害に対処しつつ、ながらく外発的な開発を拒否し、歴史的環境を軸とした観光まちづくりに取り組んできたむらが、なにゆえに大規模リゾートの誘致を許容したのかをあきらかにすることにある。本稿でとりあげる沖縄県竹富島は、伝統文化の保全と観光とを両立させた自治的なまちづくり先進地であるものの、大規模リゾートの誘致により、一見、地域社会の「内発性」が揺らいでいるようにもみえる。 本稿では、半世紀以上にわたる観光まちづくりの経緯をふまえ、その都度その都度の限られた選択肢のなかで、暮らしの問題を解決するために、地域内の各組織や個人がさまざまな外部アクターと離合集散しつつも、連帯する外部アクターを取捨選択していることをあきらかにした。本稿は、大規模リゾートの誘致もまた外部アクターとの連帯の一種ととらえつつ、パートナーシップ的発展論の視点から地域社会の内発性と外部アクターとのかかわりについて考察するものであり、地域社会による取捨選択の基準といったものをより積極的に論じる必要があることを指摘した。
著者
神田 孝治
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.93-110, 2017 (Released:2020-01-13)

本研究では、2000年代以降の社会科学において注目されている「移動論的転回」にかかる議論を参照しながら、観光のための場所が、多様な移動が関係するなかでどのようにして創り出されているのか、そしてその場所自体がいかに移動しているのか、といった点について考察した。こうした動的な様相を明らかにするにあたり、対象とする場所に意味の競合が見られる傾向にあるダークツーリズムに注目した。事例として、沖縄本島における墓地を対象とした観光について検討した。 まずⅡ章では、戦前期における沖縄本島において、様々な移動を通じて墓地を対象とする観光がいかに生じたのかについて、大阪商船の役割や辻原墓地の観光地化に焦点をあてて考察した。続くⅢ章では、観光対象としての墓地の移動について、関連する諸移動や社会・政治的状況の変化に注目しながら、戦後における辻原墓地の整理や南部戦跡観光に焦点をあてて検討した。そしてⅣ章では、ダークツーリズムという概念そのものの移動をふまえ、沖縄本島における墓地を対象とした観光の新しい変化について論じた。

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著者
高岡 文章
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.1, no.2, pp.231-233, 2013 (Released:2020-01-13)
著者
権 赫麟
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.4, no.2, pp.121-133, 2016 (Released:2020-01-13)

本研究は、ポピュラーカルチャーの観光対象化を文化構築主義の観点から分析するものである。本稿が事例として取りあげる鳥取県境港市と長野県上田市は、マンガと歴史という対照的な二つの文化要素を対象とする観光地である。しかしながら、本研究の考察は表面的な様相とは違い、実際これらの地域で観光される文化はポピュラーカルチャーと伝統文化という規範的な範疇に収まるものではないことをみせてくれる。伝統文化とポピュラーカルチャーが「観光されるために」相互浸透的に脱文脈化するという事実は、現代観光が既存の二分法では説明できない新たな文化的価値を構築していることを示している。
著者
アンドレア デ・アントーニ
出版者
観光学術学会
雑誌
観光学評論 (ISSN:21876649)
巻号頁・発行日
vol.1, no.1, pp.81-93, 2013

本論文は相互作用に着目しながら、「ダークツーリズム」を検討する。フィールドワークによって収集したデータに基づき、供給と需要間の相互作用を検討し、現代京都でダークツーリズムが構築されていく過程を支えるさまざまな関係性を明らかにする。このとき、幽霊が出現するとされる場所(心霊スポット)を訪れる「京都怪談夜バス」ツアー、および「花山洞」という心霊スポットを検証する。まず事例をダークツーリズムの分野の中で位置づけ、アクターネットワーク論を参照しながら、ツアーとそこに関わる人間やモノ(=アクター)の間で相互的に構築されるネットワークを分析する。このネットワークによって、歴史における人間の死についての記憶も、観光客の体験を方向付けるアクターとして構築されると論じる。特に、その記憶と、ツアーで訪れる場所との関係が戦略的であり、語りをつうじて構築されていることに着目する。これはツアーの成功の理由になるが、同じメカニズムがツアーを中止させてしまったことを明確にする。このとき、死についての記憶と場所との間の「距離」(Latour, 2005)という概念を参照することによって、ダークツーリズムの再考をめざす。