(@halcyon_humming)

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そしてまたいつものように差別を受けては法律(ストーカー規制法)に詳しくなるという人生。 四條北斗 2019 ストーカー規制法2条1項柱書の「恋愛感情等充足目的」の犯罪構成要件としての明確性 https://t.co/snABwOmj9m
和泉悠氏の「総称文とセクシャルハラスメント」でその意味論的仕組みが説明されている。 https://t.co/JIpzvpAOF9 で、川原さんに悪意があるのか素朴な誤解なのかは分からないけど、こういう言葉の切り取り方や不合理な解釈をして非難する行為は、
暴行と言うと傷害未遂のような暴力を思うかもしれないがドイツのゲバルト概念に影響を受けた日本の暴行罪が適用される範囲はもっと広い。 参考: https://t.co/saDGP6JMJq https://t.co/pMKBurD8YY
暴行と言うと傷害未遂のような暴力を思うかもしれないがドイツのゲバルト概念に影響を受けた日本の暴行罪が適用される範囲はもっと広い。 参考: https://t.co/saDGP6JMJq https://t.co/pMKBurD8YY
ところが柊木はハラウェイの言うような「全てを見通す事ができる」的フェミニストの幻想的視座から年上の男性を勝手に理解して贖罪後の生き方を上から強く要望してしまったのですね。清少納言なら「分からないけど願っています」という弁えた物言いに留まったでしょう。 cf. https://t.co/YNtOOEKxsy
初めて西田幾多郎の考え方について知ったが一言一句が染みわたる。美学論でこんなにするすると解った様な気持ちになれるのは初めて。こういう時は大部分本当に分かってる事が多い。 大熊治生 2009 『芸術と道徳』に於ける西田幾多郎の美学思想と「行為的直観」について https://t.co/DDP6u7tdP4
※玉田敦子のツイートが妄想的である理由は、1. TL上でフランスと対比する文脈で語られているが、フランスの強制猥褻罪の量刑は5年以下の懲役に過ぎない( https://t.co/3RnO9xAjOH p.55参照の事)が日本は半年~10年以下の懲役であること、
角田の発言の講演録は下記のp.189 より https://t.co/PRpqpgRXjy 無論、非難されてるから非難される理由があるなんて理屈は通るはずもなく、デマで中傷してる人がいるなら駄目なんだが。本当にいるのか?と思ってしまう。
@maito1212 私は弱者男性が加害者として責められることの不正義を問う考え方がネット右派特有だという見立てに問題を感じました。 角田由紀子氏講演録「フェミニズムが見えない時代に」p.189にも、 https://t.co/PRpqpgAUhy
RT @ksasao: ディズニーでも違法サイトでもOKなのつよい 上野, 情報解析と著作権──「機械学習パラダイス」としての日本, 人工知能 36巻 6 号(2021 年 11 月) https://t.co/xKeQv4PUqF https://t.co/QocVPg8C…
ちなみに、分析的美学ではないかもだが、青山の研究するブリヤ=サラヴァンの『味覚の生理学』は、少なからず食の営みを愛するものとして、大変説得的で直観的に納得しやすい論考になっている。 https://t.co/SINi38Jgkf
ちなみにここで「行為タイプ&トークン」の概念は私独自のものなのだけれど、利光によるGカリーの紹介文を見る限り、近しい発想なのではないかと思っている。 https://t.co/BNMoByh1eJ
加藤直克 1983 「ソクラテスの無知の知と,他者への熱心」 基礎科学論集 : 教養課程紀要 https://t.co/DUMtHG1gMG
こういうのとか。特徴がABCDとあってABCのものとかBCDのものとかACDを備えたものがありますよ的な定義の仕方って現実にはないんじゃいかと思ってたけど、カツレツのカツの外延はそんな感じかも知れない。 リチャード・カンバー : 芸術作品を定義するための控え目な提案 https://t.co/5BROdVD6z9
家族的類似ってクラスター理論みたいな説明だけ聞いてなんかモヤモヤしていたけど、これめっちゃ腑に落ちた。 家族的類似性についての予備的考察 https://t.co/Q50jEPvCMp 分析美学はモリス・ヴァイツの後、なんでクラスター→芸術は無理だから諸芸術の分析みたいな流れなのか。
00年以降の重要な論考とされる内藤朝雄の嗜虐性を強調した言説も01年以降のものであること(下記 p.123) https://t.co/mx6gbFjs4o
こうした既存研究は、いじめられていた側の者にさえ「嗜虐性」があるのだとする村上清の言説とは相いれないだろう。そして「いじめ紀行」(1995)の後、 伊藤隆二が1996年に「<論文>子どもの「嗜虐性」とその発生機序 : 「いじめ」現象の本質を探る」を発表し、 https://t.co/jgiOecR3hr
戸苅正人は「人格の対人的診断法の研究-7」(1993)でいじめの嗜虐性に触れるが、これは一部の人のサディスティックな特徴として分析されている。 https://t.co/rdva2la2gl
例えば奥山隆夫は「いじめの構造」(1987)の中で「いためつけ」に「嗜虐的傾向を少し感じさせられる」とした上で「いじめにも若干嗜虐性が感じられるが、いためつけよりは弱い」としている。※ただし社会問題としてのいじめは嗜虐性が目に余るようになったものとしている。 https://t.co/DRSDA6sS6b
@ma_me_mi_tu_o もちろん感性的、直観的にはいじめと認識出来るでしょうが、稲村博らをはじめとした教育理想論やそれに沿う形の文部省定義により、いじめと判断出来ないバイアスが強かった時代だったことを主張しています。 下記、文部省定義の変遷が載ってます。 https://t.co/URLByctUu2
@punkuboizz その当時のはまた、国連による1971年の「精神遅滞者の人権宣言」以降、過度に区別しない対応(ノーマライゼーション)が進められていた時代の為、精神薄弱というだけで発達に必要な経験をさせないことこそが差別になったはずです。下記p.16 参照のこと https://t.co/eViNnlKi9j
@torakare いじめが4者関係で「構造化される」というのが「いじめの四層構造論」だというのは誤解を招くのでは。 いじめは四層の役割構造のうちに把握でき、4者の役割は生徒個人に固定されておらず(社会構造化されておらず)、教師に学級構築の責任がある。が適切な要約では。 cf. https://t.co/n89pysTjwJ
山岸(2019)は荻上が「最もメジャーな理論」と評する森田の四層構造論について、教師の位置づけが説明づかないとして、現実社会との乖離を疑問視し、そのルーツが1984年の茨城県学校長会という教師の側にある事により教師を無罪化する構造図になっている可能性を示唆している。 https://t.co/qzMqgJVxeM
また神田(1994, pdf-p.3 右側)も「森田は~中略~傍観者には,いじめを批判 し阻止し得る仲裁者に転化し得る可能性があることを重視して いる」と紹介しており、加害関与だとか仲裁義務があるとは主張していない。 https://t.co/qF7fSdZCiu
という、教師の為の実態把握ツールとして提案され、教師に集団を変える責任を求める指摘だったのではないか。少なくともこの鈴木(1996)の引用紹介ではその主旨だ。 https://t.co/n89pysTjwJ
@SBrain356 @walknpaddyshore sleepyさんのご意見はご意見で、客観的資料を基にしてまた別の議論が可能だと思います。私としては https://t.co/URLByctUu2 この論考にも見られるような「擁護型言説」によって70年代80年代初期までは今の様なイジメ現象の存在自体を否定する意見が主流だったと認識しています。
@walknpaddyshore https://t.co/URLByctUu2 この八ツ塚さんの試論が分かりやすいですが、社会問題化された後でも「いじめ容認型言説」は根強くあったというのが事実です。それは一部の人々が主張していた言説だったわけではなく、
cf.「いじめ」に対する社会的な(常識的な)認知が、70年代から現在に至るまで変遷してきている経緯のうかがい知れる論文。 https://t.co/URLByctUu2
だからこそ本来は、差別のない世界へ社会を導く人物として、まさに五輪にふさわしいアーティストだったと思っている。 cf.稲村博氏や当時の言説の一端は、例えばこの論文などからもうかがい知れる。 https://t.co/gX3a7FFX4f
III 法益の主観化と名誉感情 あたりまで読んで、やっぱり、概念が全体的に曖昧なことによる苦しさみたいなものが枠組み全体から漂う気が…。難しい。 https://t.co/W8h1yGbCTr
「最も重要なことは、独身男性同士が相互にケアするよう促し、それを社会的に支援するということである」 …ひでぇ。 気をつけたい #フェミニズム 非モテ独身男性をめぐる言説史とその社会的包摂 大場博幸 2021 ※内容は独身男性差別言論です。閲覧注意。 https://t.co/0oOzqtSXPZ
"人の身体"に対する"不法な""有形力"の行使(暴行概念)についての実践的判断として、美学・哲学的に興味深い。 心と体と倫理に対する判断の難しさ。 https://t.co/quYPaCSUkw
資料 #メモ 〈論説〉刑法における「出生」とその前後におけるヒトに対する危害行為に関する一考察 岡崎 頌平 2014 https://t.co/Rq79u0Jign
・全体主義のように上からの「神の目」を主張すること(は駄目) ・具体的な物事における具体的な関係性を見るための知(であれ) とか大きく頷いてしまう。 下の鈴木和歌奈さんの論文のサブタイトル:ポスト‐アクターネットワーク理論の展開とダナ・ハラウェイに注目して https://t.co/YNtOOEsoeq
源河亨2017「音楽は悲しみをもたらすか?」 改めて読んだけれど、最大の問題は「悲しみとは何か」を定義しないまま「悲しい何某」を検討している所だろう。 所感要約:1.悲しみの定義が曖昧、2.音楽作品の定義が曖昧、3.喪失対象が無いなら錯誤や錯覚の原因が不明。 https://t.co/THyXLR6EJW
妊娠した女性が難しい選択を迫られる時、その選択の自由は完全でない。避妊や子育て環境という他者要員による困難な事態は社会の責任であり、選択は社会から委託された権利と言うべきではないだろうか。命を絶つという重い決断を女性の権利/責任に帰すべきとは思えない。 https://t.co/R143zGJXwP
不登校はスパルタで治るとして傷害致死を起こしたり、不登校を精神疾患とみなして閉鎖病棟へ強制入院させる事が終わったのが1985年。文部省が初めていじめを定義した年。 #小山田圭吾 が16歳の時。 #擁護 論が間違ってもいじめ被害者が許さないのが悪い、となりませんように。 https://t.co/gX3a7FX06f
流木を作品と呼ぶ作家の活動に同じ。自分の解釈それ自体が自分の意図を焦点にして自分の解釈作品として自分に認識されるという矛盾を生む。 これを読んでみたけど、その最新バージョンがこれみたいな感がある。 https://t.co/zrWk9Atnqx 主観によることを自覚した客観的分析であれば共有可能性もある
最近の森喜朗非難や、美術館女子での男性非難など男性憎悪の例を挙げればきりがないが、この講演録では既にそうした憎悪が社会制度に組み込まれて構造化されていっている様子が伺える。 https://t.co/5fKQ1vhXD7 急進的フェミニスト団体に関わる角田は講演の中でDV被害の1/3が男性であり、
いじめが社会に認識されだした最初期の定義からの変遷が紹介されている。小山田さん、東浩紀さん、太田さんとかの時代はこの最初期の認識でさえほぼ間に合ってない。 彼らが「いじめ容認型言説」の類型をとってしまう背景には、やはりこの少年期の体験は大きいと思う。 https://t.co/URLBycbLfU
ということでデンベレの失態のお陰でデリダと仏教を解説してくれる有難い論文を見つけた。有難うデンベレ。 https://t.co/YXOtuerI1x しかしフランス人デリダの脱構築の思想を階級構造の内部にいるフランス人が活用する為にはアニメとかプレステとかのアート的言語で伝達されないと無理なのよね。
#夫婦別姓 阪井さんの論文は広い視点で整理されてて必読。姓概念を絶対不変の本質的存在と捉えると誤謬に陥る指摘も鋭い。ただ結論は相対化し過ぎた飛躍にも思う。言語や制度の営みを拠り所に社会通念という共有概念として分析的に論じた方が法理にも馴染みそう。 https://t.co/maTG4MWZBy
藤井樹也 2020「イニシアティヴによる州憲法修正と人種的優遇の禁止」https://t.co/V9W4CelMnJ 承前)Schutte判決で白人が8割近いミシガンで4割以上優遇に賛成してる事実ひとつ見ても、藤井が批判する「同じ人種の人は同じ考えをもつという想定」を導入したアンダーソンの義務論は受け入れがたい。
2015 久米依子 『赤毛のアン』をめぐる言説配置─90年代フェミニズム批評とバックラッシュ─ https://t.co/cFF26xXYqd 各論への評価は共感できたり出来なかったり。でも『アンという名の少女』がどうしてこのような翻案になったのか、その背景を推察する上でのフェミ的評論がよく概観できる。
「話し手の意味の透明性が疑い難い前提であるならば、問題はむしろ表象主義にあるのであり、そして意図の無限後退問題は接続問題に関して表象主義を採用することから生じているのだ」 …名探偵!前半くじけそうになったが5節からの説得力が凄い。 https://t.co/qaOnjAqW3z https://t.co/ToCNZqKwDk
..φ(..)メモ@myEN RT @kakentter: こんな研究ありました:多様な価値が共存する社会システムにおける合意形成技術の検討(藤井 聡) http://kaken.nii.ac.jp/ja/p/14208041

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ディズニーでも違法サイトでもOKなのつよい 上野, 情報解析と著作権──「機械学習パラダイス」としての日本, 人工知能 36巻 6 号(2021 年 11 月) https://t.co/xKeQv4PUqF https://t.co/QocVPg8CZu
【宣伝】 私の初めての論文が『科学哲学』54巻1号に掲載されました。いわゆる規則のパラドックスに対してクリプキが与えた懐疑論的解決を再構成し、その整合性を擁護しています。 https://t.co/7VrdIkY4uR
ちなみに,少なくとも戦前(1931年)に東京市から発行された『婦人職業戦線の展望』では,事務員は知能的業務,タイピストは技術的業務と分類されています. 国会図書館のデジタルコレクションから読めます. https://t.co/ERv1UbylfP

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