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「かな」「まな」と「和字」「漢字」 : 北条泰時書状を手掛かりに
RT @rokuhara12212: 中世前期における東国武士の教養に関する最新の研究。 杉橋 隆夫・上島 理恵子「「かな」「まな」と「和字」「漢字」―北条泰時書状を手掛かりに―」(『立命館白川靜記念東洋文字文化研究所紀要』14、2021-03) https://t.co/…
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戦国期における鷹狩 : 足利将軍家・細川京兆家・公家を中心として
RT @holy_sengoku: こちらはその続き(?)、義尚期から義輝期にかけての将軍家・京兆家・公家の鷹狩の事例や、鷹狩の獲物「鷹の鳥」の進上例から、その様相を考察された論文。長享元年12月に鈎の陣において細川政元が催した、鹿狩エピソードが興味深かったです。 https:…
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
RT @holy_sengoku: 興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実してい…
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國學院大學図書館所蔵「足利義昭御内書」
RT @shima_126: 内容としては「丹波に近衛前久が行ったようなので、申し合わせたように忠節をせよ」。天正元年(1573)義昭が追放される中かつて政敵であった近衛前久との連携を探った文書と推測されているhttps://t.co/hzPSvZFKOy
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御霊殿--室町・戦国期近衛家の邸宅と女性たち
近衛さんちのおうちについて調べてたら、永禄の変後の義輝様正室について書いてあってしんみりしてしまった… https://t.co/MNNKKhxM5i (p17 (E)稙家女にあたる御霊殿)
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近世近衛家の屋敷について ― 近世公家住宅の復古に関する研究 2 ―
この間ノッブと鼓ポンポン鳴らしてたさき様、秀吉と同居中だったの…(混乱) https://t.co/NfRtCAGcB3 (p1193の最後の行)
お気に入り一覧(最新100件)
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陽明文庫資料からの新発見
メモ。全部は確認できていないけど、末柄豊「天文七年飛鳥井家蹴鞠記」(pp.38-41)「近衛稙家書状案(香取民部丞宛):将軍直臣になった問丸」(pp.42-43)の二編を収録と云々。https://t.co/93qHPlpv4j #こんな論文が出ていたようです
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中世びとの月蝕観 : 『玉葉』と『吾妻鏡』の記事から見て
皆既月食にちなんで吾妻鏡の月食記事のことなど教えて下さっている方が多いので私も調べてみた。そうしたらちょっと面白い論文を見つけたのでご紹介。リンク先からダウンロードできます。 中世びとの月蝕観 : 『玉葉』と『吾妻鏡』の記事から見て https://t.co/HrGU4LDBHS
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戦後日本の公葬 国葬の変容を中心として
これネット公開されてたんですね… 「国葬ってどんなもんなんや」状態の私でも普通に読めて、本当に分かりやすかったので、改めてお勧めしておきますぞ。 前田修輔「戦後日本の公葬-国葬の変容を中心として」(『史学雑誌』130巻7号 2021年) https://t.co/FpvvumerPc
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モンタヌス日本誌
シャトラン「歴史地図帳」左下に複写された『モンタヌス日本誌』、タイトルは「クボー殺害の歴史」。内容は、1926年刊行版なので擬古文体で古い文章だが、モンタヌス日本誌「三好殿公方に代る 大虐殺」以下の話かと思われる。国会図書館のデジタルアーカイブで閲覧可能。 https://t.co/f6JOjiwq9s https://t.co/1bL8I13amQ
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戦国期における鷹狩 : 足利将軍家・細川京兆家・公家を中心として
こちらはその続き(?)、義尚期から義輝期にかけての将軍家・京兆家・公家の鷹狩の事例や、鷹狩の獲物「鷹の鳥」の進上例から、その様相を考察された論文。長享元年12月に鈎の陣において細川政元が催した、鹿狩エピソードが興味深かったです。 https://t.co/0xAhV5ipU5
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
細川高国と近衛前久は面識はないものの、高国が残した武家故実の聞書『諸木抄』や、高国が書写した天皇の鷹狩における故実『持明院宰相殿旧記』に学んでおり、書を介した師弟関係と言えそうです。詳しくはこちらの論文をご参照ください。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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日中古典詩歌における藤詠の変遷について
RT、素人考えしたことがあり、王朝時代から松にかかる藤=皇家と藤原氏の一心同体の喩えでもあるらしく、それも意識して義藤の名を与えた可能性は「あり」じゃなかろうかなって https://t.co/4IcMmLauXd あと日本と中国で詩歌に詠み込まれる藤のイメージが違っておもしろかったです。 https://t.co/nuKaKOkEOX
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戦国期足利将軍存続の諸要因 : 「利益」・「力」・「価値」
CiNii 論文 - 戦国期足利将軍存続の諸要因 : 「利益」・「力」・「価値」 https://t.co/EcI0TB17Du これの脚注で、そもそも現時点では将軍殺害にまで至った経緯が判然としないし、せいぜい義栄あたりを擁立して義輝の方は幽閉からの遠方に追いやる明応の政変パターンぐらいの想定だったのでは(要約)
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戦国期摂津国における近衛家領
あと、湯川敏治先生の論文はCiNiiでいくつか読めますが、細川氏一族と近衛家の交流について触れられているものとして、鶴崎裕雄先生と共著のこちらの論文があります。第二節「細川氏支配下の摂津」にて。 https://t.co/mPj5cK5FSD
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
今日TLの一部で話題になっていた綿田氏の聚光院論文の注で宝鏡寺理源の三好義継との結婚を否定されていた話。私もこの件に関しては詳しく調べてはいないので、話半分に聞いてほしいが、私見としては注に述べられている内容は誤読だと思っているhttps://t.co/rgrQlJgUda
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
@pc18_ 私も教えていただいたばかりなんですが、この論文に書いてありまして・・・えええ?!ってなってるところです。 https://t.co/mG6YVZfrY2 2008年の論文なので、その後、新しい史料や論文があって、やっぱり妹になっているのかもですが・・・
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足利義稙にとっての笙と義満先例 : 将軍権威再建への試行錯誤
PDF公開。石原比伊呂「足利義稙にとっての笙と義満先例:将軍権威再建への試行錯誤」(『聖心女子大学論叢』136、2020年12月)足利将軍家の故実のひとつ「笙」(雅楽)と足利義稙との関係から、義稙の政治姿勢の変化を読み取ろうとする論文。https://t.co/7h97UTnRV9 #こんな論文がありました
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足利義材の笙始儀と豊原統秋
将軍の笙始に着座公卿もない尊氏さんTT 尊氏さんの師範として笙を教えていた豊原龍秋さんも、公宴では地下楽人として堂上楽人を支える立場だったとか 足利将軍家の繁栄と共に公家との関係も変わりますが、尊氏さんが雅楽を始めた頃は認められるまで大変だったと思います… https://t.co/TcphsbMYPA https://t.co/XqcNTjnuOE https://t.co/iynWZ0L5rr
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室町幕府の軍事親裁制度 : 義政期を中心に
嘉吉の乱から応仁・文明の乱終結に至るまでの幕府からの軍勢催促状については、吉田賢司先生の論文にリストがあります。年月日と宛所だけでなく、宛所の地位、動員地域、攻撃対象(発向地域)、特記指示事項(副状の内容)、難渋しているかどうかと、分類項目も興味深いです。 https://t.co/asBaNDYrKs
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伊地知鐵男文庫蔵『北野社松梅院引付』に見える、二、三の記事について
こちらも「飯川山城守国資」で検索して見つけた論文。CiNiiはリンクが誤っていたのでURLは大学のリポジトリの方で。20年以上前の論文ですが、明応9年2月10日、将軍義澄(当時は義高)とその側近たちの北野社での歌詠の記録について書かれています。 https://t.co/DnnQBc8ehj
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『桑実寺縁起絵巻』と慶寿院の結婚をめぐって(下)
下の要旨より「近衛尚通は、京都と近衛家を守るために慶寿院を桑実寺にいる将軍義晴に嫁がせ、義晴に早期京都帰還を促そうと考えた。」「この絵巻は、京都を守ろうとした義晴・慶寿院夫妻のスタートなのである。」 https://t.co/cFb62Z58BC
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『桑実寺縁起絵巻』と慶寿院の結婚をめぐって(上)
「飯川山城守国資」で検索していて、小谷量子先生の慶寿院周辺についての新しい論文が公開されていたことに気付きました。上下二部になってますが、こちら上の第一節「桑実寺縁起絵巻』制作時の政治状況」では、大永6年からの情勢が分かりやすくまとめられていました。 https://t.co/Akv98PIQ8E
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
『麒麟がくる』で近衛前久に興味を持った方、ぜひその勢いでこちらの論文もどうぞ。前久が著した鷹書で歌書としても流布した『鷹百首』の鷹詞に関する注記において、最も多く引用されているのが、将軍義晴の管領を務めた細川高国による武家故実書『諸木抄』だそうです。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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続史籍集覧
「日向守がうつふきて罷あるほそ首にあてかひ、「いかにきんかあたま何とてさしきをたちやふるそ」」--『義残後覚』の一節ですね。 https://t.co/S55EhMH1lK https://t.co/Kk1HwmJXkC
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國學院大學図書館所蔵「足利義昭御内書」
内容としては「丹波に近衛前久が行ったようなので、申し合わせたように忠節をせよ」。天正元年(1573)義昭が追放される中かつて政敵であった近衛前久との連携を探った文書と推測されているhttps://t.co/hzPSvZFKOy
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