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江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑
RT @Kozikagami: PDFも解禁されたみたいですね 馬部隆弘「江口合戦への道程―三好長慶と細川晴元の思惑―」(『大阪大谷大学歴史文化研究』21号 2021年) https://t.co/0ij919GrAK
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戦国期摂津国における近衛家領
RT @holy_sengoku: あと、湯川敏治先生の論文はCiNiiでいくつか読めますが、細川氏一族と近衛家の交流について触れられているものとして、鶴崎裕雄先生と共著のこちらの論文があります。第二節「細川氏支配下の摂津」にて。 https://t.co/mPj5cK5FSD
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
RT @shima_126: 今日TLの一部で話題になっていた綿田氏の聚光院論文の注で宝鏡寺理源の三好義継との結婚を否定されていた話。私もこの件に関しては詳しく調べてはいないので、話半分に聞いてほしいが、私見としては注に述べられている内容は誤読だと思っているhttps://t.…
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
@pc18_ 私も教えていただいたばかりなんですが、この論文に書いてありまして・・・えええ?!ってなってるところです。 https://t.co/mG6YVZfrY2 2008年の論文なので、その後、新しい史料や論文があって、やっぱり妹になっているのかもですが・・・
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足利義稙にとっての笙と義満先例 : 将軍権威再建への試行錯誤
RT @washou3956: PDF公開。石原比伊呂「足利義稙にとっての笙と義満先例:将軍権威再建への試行錯誤」(『聖心女子大学論叢』136、2020年12月)足利将軍家の故実のひとつ「笙」(雅楽)と足利義稙との関係から、義稙の政治姿勢の変化を読み取ろうとする論文。https…
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波多野氏の丹波国支配をめぐって : 天文・永禄年間を中心に
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 波多野氏といえば、友人から教えてもらったこの論文が大変分かりやすくて勉強になりました。 ネットで閲覧できるのがありがたい 渡邊大門「波多野氏の丹波国支配をめぐって」(『鷹陵史学』37号 2011年) https://t.co/E08s…
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室町幕府の軍事親裁制度 : 義政期を中心に
RT @holy_sengoku: 嘉吉の乱から応仁・文明の乱終結に至るまでの幕府からの軍勢催促状については、吉田賢司先生の論文にリストがあります。年月日と宛所だけでなく、宛所の地位、動員地域、攻撃対象(発向地域)、特記指示事項(副状の内容)、難渋しているかどうかと、分類項目も…
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『桑実寺縁起絵巻』と慶寿院の結婚をめぐって(上)
RT @holy_sengoku: 「飯川山城守国資」で検索していて、小谷量子先生の慶寿院周辺についての新しい論文が公開されていたことに気付きました。上下二部になってますが、こちら上の第一節「桑実寺縁起絵巻』制作時の政治状況」では、大永6年からの情勢が分かりやすくまとめられてい…
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室町幕府外様衆の基礎的研究
RT @holy_sengoku: 細川駿河守家の系譜については、こちらの木下聡先生の論文で少し解説されています。尹賢の後、駿河守家は弟が継いだとのこと。この弟が、義稙期や義晴期の御供衆に見える「細川駿河守」、大永から享禄頃の「細川駿河入道宗寅」に当たるようです。 https:…
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足利義視と文正元年の政変
CiNii 論文 - 足利義視と文正元年の政変 https://t.co/5VgUtfFg1j #CiNii 文正元年の政変のきっかけとなる伊勢貞親が足利義視の処刑を訴えたという進言、いきなりだなと思っていたけど、貞親側からすれば、それなりの根拠があったんだな、と。
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緒方家の中世文書
RT @holy_sengoku: 将軍義稙贔屓な僕としては、細川澄賢といえば、永正18年4月3日に藤林氏に宛てた軍勢催促状が熱いです。淡路出奔中の将軍義稙が聡明殿(晴元)の供奉で近いうちに上洛するぞって内容で、当時の澄賢の地位が窺えるもの。こちらの論文史料9に、画像と翻刻が掲…
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名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実
教えていただいて再発見しました!さすがという内容の論文です。 名物刀剣「義元(宗三)左文字」の虚実 https://t.co/QBEHrsRpwH
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
RT @holy_sengoku: 『麒麟がくる』で近衛前久に興味を持った方、ぜひその勢いでこちらの論文もどうぞ。前久が著した鷹書で歌書としても流布した『鷹百首』の鷹詞に関する注記において、最も多く引用されているのが、将軍義晴の管領を務めた細川高国による武家故実書『諸木抄』だそ…
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画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史
CiNii 論文 - 画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史 https://t.co/Ggy4cGXOys #CiNii 宇喜多能家の出自と戦功について、畿内の高国と赤松家・浦上家・宇喜多家の関係から論じている。宇喜多能家の同名異人?の三宅国秀に関する論述の中で、大内氏と義稙・高国の関係にも触れている。
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「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣
CiNii 論文 - 「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/PhWqOH9SQd #CiNii 寧波の乱後、大内氏と細川氏が次回の遣明船に向けて、畿内の動きと併せてどう立ち回っていたのかがすごく興味深い。あと、勘合符がどんなものでどう使われていたのかも初めてわかった。
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画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史
RT @holy_sengoku: 出奔した前将軍義稙と大内義興の連携を見出すとともに、永正13年とされてきた島津氏による三宅国秀の殺害事件を義稙vs義晴の構図で捉え、義稙政権が崩壊した永正18年から、大内義隆と義晴政権の和睦が成立する享禄3年までの間に起きた事件と推測されてい…
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「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣
RT @truetrueno111: 堺の解説にあった「大内氏の滅亡により、遣明船貿易が断絶する」 大内氏と遣明船…こんな研究が。勘合の意味が良くわかります。遣明船と言えば一条氏も。 CiNii 論文 - 「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/5ebu…
お気に入り一覧(最新100件)
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丹波山国荘の代官設置と三好長尚
馬部隆弘「丹波山国荘の代官設置と三好長尚」を遅ればせながら一読しました。すでに阿波勢は畿内から退去していたはずの永正10年4月から5月頃の広橋守光の日記に、京兆家領国・丹波山国荘の代官候補として、鳥居重清とともに「三好越後」の名が現れているという話。面白い! https://t.co/tAVXuAPmNE
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細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配
馬部隆弘「細川晴元内衆の内訌と山城下郡支配」『大坂大谷大学紀要』(56) #こんな論文がありました ブログ記事でも触れられているように早速PDF公開されていますね https://t.co/4vN41vBaDl
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武家故実の地方展開に関する一考察(1) : 小笠原家の豊後下向とその景気
武田信也「武家故実の地方展開に関する一考察(1) : 小笠原家の豊後下向とその景気」 大友氏に武家故実を伝授した刑部少輔家を中心に、京都小笠原氏の系譜やそれぞれの動向について検討されています。京都小笠原氏について知りたい方は必読の内容です。 https://t.co/bMhrxu4wKE
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
参考論文をいくつか挙げておきます。まずは、大坪舞「近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して」 細川高国が小笠原流弓馬故実および鷹狩の伝承に果たした役割の大きさがよく分かる内容です。 https://t.co/VH4IZ1uYJN
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≪三条本洛中洛外図≫の人脈について
マッケルウェイ先生は、今の「歴博甲本」が「三条家本」と呼ばれていた頃から、「左大臣三条実香の娘と足利義晴との婚姻に何らかの関係があった」と推理されていました。こちらの論文で読めます。 https://t.co/vAZCtLpDDH
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書評 小島道裕『描かれた戦国の京都』
あと、歴博甲本の小島道裕先生の説については、美術史研究側からの批評として、マシュー・フィリップ・マッケルウェイ先生の書評がWebで読めます。歴博甲本に興味のある方は、こちらも要チェックです! https://t.co/BgTo4fbRUv
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丹波片山家文書と守護代内藤国貞
馬部隆弘「丹波片山家文書と守護代内藤国貞」、「拙著を踏まえて読み直す」と副題が付けられたこの論文では、『戦国期細川権力の研究』であえて「一言の概念で説明」することを避け「個別人物史の集合体として畿内政治史を描こうとした」馬部先生の思いが語られています。 https://t.co/0xhgZzeaXS
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『上杉本洛中洛外図屏風』の注文時期とその動機に関するノート ─近年の戦国期畿内政治史研究の成果に学ぶ─
ただ、フロイスは永禄5年時点、挙兵に至る前の伊勢貞孝を「公方様自身の後見人を務め、公方様から大いに畏敬され寵愛されている伊勢守殿」などと書き残しているらしいので、義輝と貞孝が一貫して険悪だったという説との整合性が気になるところです。※参考論文はこちら https://t.co/8jTRoXywTK
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戦国期における鷹狩 : 足利将軍家・細川京兆家・公家を中心として
こちらはその続き(?)、義尚期から義輝期にかけての将軍家・京兆家・公家の鷹狩の事例や、鷹狩の獲物「鷹の鳥」の進上例から、その様相を考察された論文。長享元年12月に鈎の陣において細川政元が催した、鹿狩エピソードが興味深かったです。 https://t.co/0xAhV5ipU5
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
細川高国と近衛前久は面識はないものの、高国が残した武家故実の聞書『諸木抄』や、高国が書写した天皇の鷹狩における故実『持明院宰相殿旧記』に学んでおり、書を介した師弟関係と言えそうです。詳しくはこちらの論文をご参照ください。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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花押譜 7巻
『花押譜』、三好宗渭の正体に普通に気付いてるやんけ!(改名順序を政生→政勝としてるのは間違っているが)https://t.co/T1y0abqAY7
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大阪大谷大学図書館所蔵史料の紹介
梯信暁・竹本晃・苫名悠・馬部隆弘「大阪大谷大学図書館所蔵史料の紹介」(『大阪大谷大学紀要』55、2021)https://t.co/ax59XS3tDT 醍醐寺地蔵院旧蔵文書や足利直義軍勢催促状、足利政氏書状などの文書、聖教、紹巴・毛利輝元・輝元正室清光院・秀元・秀就・元康ら参加の新出連歌懐紙など。
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奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢 : 勝元期から政元期にかけてを中心に
『奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢』は何度も読み返している好きな論文ですが、"幕府の裁定が覆りそうになって初めて受益者が京兆家に追認を求めている"と、まさにそういう内容です。 https://t.co/iFJxbePJft
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江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑
馬部隆弘『江口合戦への道程』河原林オタ(?)必読の内容でした!三好長慶が離反した理由の一つに挙げられる、牢人であった瓦林対馬守春信が細川晴元に起用された件が採り上げられ、天文の乱以前まで遡って一連の動向を追いつつ、対馬守正頼からの系譜も検討されています。 https://t.co/Ny5CkA5eHx
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江口合戦への道程 : 三好長慶と細川晴元の思惑
PDFも解禁されたみたいですね 馬部隆弘「江口合戦への道程―三好長慶と細川晴元の思惑―」(『大阪大谷大学歴史文化研究』21号 2021年) https://t.co/0ij919GrAK
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続群書類従
ちなみに伊勢貞助は永禄の変の際、足利将軍家重代の鎧・御小袖の唐櫃を将軍御所から禁中に運び出した人です。右京亮→加賀守を名乗った伊勢貞遠や伊勢貞満の後継者に当たり、伊勢一門の中では結構なベテランで、『伊勢貞助雑記』の著者。ここで読めます。 https://t.co/3qo7ucEEF3
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戦国期本願寺「教団」の形成(研究ノート) (中村薫先生退職記念)
安藤 弥『戦国期本願寺「教団」の形成(研究ノート)』蓮如から実如期にかけての本願寺の動向について、入門となりそうな内容。 https://t.co/ZeG9NUMGIN
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洛中洛外図屏風歴博甲本の成立と初期洛中洛外図屏風諸本
政元さんの配信で洛中洛外図についてコメントした件なのですが、洛中洛外図諸本に誰が描かれているのかはこの論文に色々書かれていて勉強になりました。ネットでPDF閲覧できます。 小島道裕「洛中洛外図屏風歴博甲本の成立と初期洛中洛外図屏風諸本」 https://t.co/uEXlG8AD0f
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国訳禅宗叢書
管領といえば、そろそろ大河ドラマ化も噂されている、細川高国! ぜひ読んでいただきたいのが、『見桃録』に収録されている「三友院殿前右京桓松岳桓公大居士賛」です。あのキュートな肖像画の後ろに書いてあるやつですね。こちらに読み下し文あり。 #室町幕府管領総選挙 https://t.co/54UHGY7pXA
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戦国期京都の町組「六町」の構成と沿革
ふと「松田豊前守」で本文検索してみたら、少々古いですが面白そうな論文がありました。治安悪化に伴い大炊御門家や転法輪三条家、中御門家といった公卿が移住していたという「橘辻子」にて、永正3年7月、侍所開闔・松田豊前守頼亮による焼討未遂事件(?)があったそうで。 https://t.co/Ynuo0krhHU
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中世における誕生日
天皇誕生日にかこつけて再宣伝ですが、この論文はとても面白かったです 室町時代の武家や公家、天皇が誕生日をどう意識していたのか、という点に目を向けた木下聡先生の論文。 推しの誕生日祝いをしたい方はどうぞ https://t.co/UUnQhprkH5
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戦国期摂津国における近衛家領
あと、湯川敏治先生の論文はCiNiiでいくつか読めますが、細川氏一族と近衛家の交流について触れられているものとして、鶴崎裕雄先生と共著のこちらの論文があります。第二節「細川氏支配下の摂津」にて。 https://t.co/mPj5cK5FSD
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中近世移行期における村落と領主の関係
宇津が山国荘民の生活安定のためにがんばってるとこ見てて… J-STAGE Articles - 中近世移行期における村落と領主の関係https://t.co/sCd9D1VBPD
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京都府北桑田郡誌
桑田郡の市原氏所蔵の「土岐一流一原氏本伝」に頼顕から頼重まで宇津4代の活躍書かれてるのが元らしい 無茶苦茶なんだけど史実に沿ってるとこもまぁまぁある… https://t.co/mKgABH6pLE
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戦国期・延徳年間における小畠氏の動向--『北野社家日記』を通じて
上記論文で参照されていた、中西裕樹先生の論文。延徳年間というと、小畠七郎貞明が丹波国人一揆で討死して以後の動向ということになるのでしょうか。新九郎光明に至るまでの系譜の手掛かりが得られそう?Webでは非公開ですが、気になります。 https://t.co/xHGGwlfmnW
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
今日TLの一部で話題になっていた綿田氏の聚光院論文の注で宝鏡寺理源の三好義継との結婚を否定されていた話。私もこの件に関しては詳しく調べてはいないので、話半分に聞いてほしいが、私見としては注に述べられている内容は誤読だと思っているhttps://t.co/rgrQlJgUda
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足利義稙にとっての笙と義満先例 : 将軍権威再建への試行錯誤
PDF公開。石原比伊呂「足利義稙にとっての笙と義満先例:将軍権威再建への試行錯誤」(『聖心女子大学論叢』136、2020年12月)足利将軍家の故実のひとつ「笙」(雅楽)と足利義稙との関係から、義稙の政治姿勢の変化を読み取ろうとする論文。https://t.co/7h97UTnRV9 #こんな論文がありました
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波多野氏の丹波国支配をめぐって : 天文・永禄年間を中心に
波多野氏といえば、友人から教えてもらったこの論文が大変分かりやすくて勉強になりました。 ネットで閲覧できるのがありがたい 渡邊大門「波多野氏の丹波国支配をめぐって」(『鷹陵史学』37号 2011年) https://t.co/E08satYd59
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細川持賢と室町幕府 : 幕府-地域権力間交渉と在京活動の検討から
細川持賢が京兆家を主導した頃、嘉吉の乱後の幕府-地域権力間交渉って、若狭・安芸武田氏の動向を調べる中で、すごく気になったところなので、論文を読んだ方がいいかな。掲載誌の『ヒストリア』266号はバックナンバーがあるみたいだし。 https://t.co/U5Tj4Pj74Y
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室町幕府最末期の奉公衆三淵藤英
CiNii 論文 - 室町幕府最末期の奉公衆三淵藤英 https://t.co/egt5CO4ZMi DL出来てありがたいと思いながら5~6回繰り返し読んだんですけど、謎な部分がまだまだある人物という印象を受けました。
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寛正四年三月廿七日賦何船連歌と管領細川勝元
鶴崎裕雄『寛正四年三月廿七日賦何船連歌と管領細川勝元』自分は和歌の鑑賞力ゼロですが、鶴崎先生の「細川千句」関連論文は京兆家を学ぶ上で参考になることが多いです。 https://t.co/rzufSozUeY
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<論説> 十五~十六世紀前半における室町幕府祈祷体制 : 醍醐寺三宝院の動向を中心に
真言宗ですが、将軍家と醍醐寺三宝院の関係でも、こちらの論文に興味深い話がありました。明応の政で義材実弟の門主周台が京都から脱出するに及び、「門主不在となった三宝院には九条家出身で細川政元の猶子の入室が決定されたが実現せず」とのこと。これ後の澄之ですよね。 https://t.co/stFcnM0Yhh
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五山派禅宗寺院における喝食の編成と動向
こちらの論文には、延徳4年正月、室町殿に近侍する「御前給仕」の補任に際して、蔭凉軒主から披露された書立を見た将軍義材が、天龍寺御前給仕の喝食が細川被官の一族で占められることに不信感を抱いたとあります。義材は近江に在陣中、政元は畠山基家と接近していた時期。 https://t.co/zLKRe2XKMl
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禅林における艶詞文芸をめぐって:―研究の現状と現存作品集(群)
これは、相国寺をはじめとする禅院に一族や内衆から喝食を多く輩出していたことと併せて考察したいところです。こちらの論文では、梅雲承意が師僧として「相国寺の意を体し、横川などの助言を得ながら、政元の意に叶うべく、艶詞を製して喝食を厚遇した」と推測されています。 https://t.co/31slbVaoEg
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奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢 : 勝元期から政元期にかけてを中心に
京兆家当主が「管領」の職に依ることなく幕政に多大な影響を及ぼしたことは、その形骸化と裏表の関係と考えますが、京兆家側の変化の経緯については、馬部隆弘先生の『奉行人奉書にみる細川京兆家の政治姿勢 : 勝元期から政元期にかけてを中心に』が参考になります。 https://t.co/iFJxbePJft
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<論説> 十五~十六世紀前半における室町幕府祈祷体制 : 醍醐寺三宝院の動向を中心に
でも、この論文に出会えたので無駄じゃなかった。石田出『十五~十六世紀前半における室町幕府祈祷体制―醍醐寺三宝院の動向を中心に―』は、周台の三宝院門主への就任の経緯や明応の政変での影響について詳しく書かれています。註では『五八代記』が伝える周台の経歴も紹介。 https://t.co/stFcnM0Yhh
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室町幕府の軍事親裁制度 : 義政期を中心に
嘉吉の乱から応仁・文明の乱終結に至るまでの幕府からの軍勢催促状については、吉田賢司先生の論文にリストがあります。年月日と宛所だけでなく、宛所の地位、動員地域、攻撃対象(発向地域)、特記指示事項(副状の内容)、難渋しているかどうかと、分類項目も興味深いです。 https://t.co/asBaNDYrKs
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室町幕府奉公衆朝倉賢茂と蹴鞠会
伊勢に所領を持つ奉公衆に朝倉賢茂という人がいるらしく、これも漠然と細川典厩家からの偏諱として挙げられています。Webで検索してこの論文がヒットしたけど、いつの時代の人かもよく分からない…。 https://t.co/sy0L6z62er
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伊地知鐵男文庫蔵『北野社松梅院引付』に見える、二、三の記事について
こちらも「飯川山城守国資」で検索して見つけた論文。CiNiiはリンクが誤っていたのでURLは大学のリポジトリの方で。20年以上前の論文ですが、明応9年2月10日、将軍義澄(当時は義高)とその側近たちの北野社での歌詠の記録について書かれています。 https://t.co/DnnQBc8ehj
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洛中洛外図屏風の研究 歴博甲本 上杉本
@mallioend 博士論文の要旨でしたらWebでも読めますので、そちらで概要をつかめます。素人的には概要だけでも十分お腹一杯になれる感じです。 https://t.co/tCjKgGErtC
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『桑実寺縁起絵巻』と慶寿院の結婚をめぐって(下)
下の要旨より「近衛尚通は、京都と近衛家を守るために慶寿院を桑実寺にいる将軍義晴に嫁がせ、義晴に早期京都帰還を促そうと考えた。」「この絵巻は、京都を守ろうとした義晴・慶寿院夫妻のスタートなのである。」 https://t.co/cFb62Z58BC
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『桑実寺縁起絵巻』と慶寿院の結婚をめぐって(上)
「飯川山城守国資」で検索していて、小谷量子先生の慶寿院周辺についての新しい論文が公開されていたことに気付きました。上下二部になってますが、こちら上の第一節「桑実寺縁起絵巻』制作時の政治状況」では、大永6年からの情勢が分かりやすくまとめられていました。 https://t.co/Akv98PIQ8E
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戦国期の守護権をめぐって--越前朝倉氏の場合
完全に乗り遅れてますが、朝倉氏が「名門」なのかどうかという話。まず、室町幕府創設期以来の大名の家格ではないのは周知の通りですが、英林孝景の下剋上で越前一国を支配する守護大名(戦国大名?)になったという認識も、たぶん誤り。こちらの論文が参考になります。 https://t.co/sy7kxDjxmy
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耳比磨利帖
今日ぼけーっとしてたらたぶんこれまでの三好氏研究では触れられたことがない(戦国遺文でも自治体史でもたぶん未収)文書を見つけたんですけど、これですhttps://t.co/MPXIBjpRIw
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室町幕府外様衆の基礎的研究
細川駿河守家の系譜については、こちらの木下聡先生の論文で少し解説されています。尹賢の後、駿河守家は弟が継いだとのこと。この弟が、義稙期や義晴期の御供衆に見える「細川駿河守」、大永から享禄頃の「細川駿河入道宗寅」に当たるようです。 https://t.co/u0aCtGcZlK
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今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝
今回の動画は主に村岡幹生先生の見解に従って話を進めましたが、谷口克広氏からは反論も出されています。 村岡氏の論文はPDFが公開されているので宜しければご覧ください 村岡幹生「今川氏の尾張進出と弘治年間前後の織田信長・織田信勝」 https://t.co/AMcyRHI3BH https://t.co/YfPBWVJEtw
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緒方家の中世文書
将軍義稙贔屓な僕としては、細川澄賢といえば、永正18年4月3日に藤林氏に宛てた軍勢催促状が熱いです。淡路出奔中の将軍義稙が聡明殿(晴元)の供奉で近いうちに上洛するぞって内容で、当時の澄賢の地位が窺えるもの。こちらの論文史料9に、画像と翻刻が掲載されています。 https://t.co/LOLcBIzP6N
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
『麒麟がくる』で近衛前久に興味を持った方、ぜひその勢いでこちらの論文もどうぞ。前久が著した鷹書で歌書としても流布した『鷹百首』の鷹詞に関する注記において、最も多く引用されているのが、将軍義晴の管領を務めた細川高国による武家故実書『諸木抄』だそうです。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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近衞前久が継承した鷹の言説 : 『鷹百首』と『皇鷹記』の引用書目の検討を通して
細川高国と小笠原稙盛の関係のソースはこちらの論文。高国が小笠原流弓馬故実および鷹狩の伝承に果たした役割の大きさがよく分かる内容です。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
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「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣
論文はこちらを紙に印刷して再読中です。やっぱり印刷して枕元に置かないと、頭に入ってきませんよね。(スマホがあればそうでもないのかな?) https://t.co/cEPkruBPB3
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画像賛の語る宇喜多能家と戦国政治史
出奔した前将軍義稙と大内義興の連携を見出すとともに、永正13年とされてきた島津氏による三宅国秀の殺害事件を義稙vs義晴の構図で捉え、義稙政権が崩壊した永正18年から、大内義隆と義晴政権の和睦が成立する享禄3年までの間に起きた事件と推測されている方もいます。 https://t.co/iRrL8WsPTW
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「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣
堺の解説にあった「大内氏の滅亡により、遣明船貿易が断絶する」 大内氏と遣明船…こんな研究が。勘合の意味が良くわかります。遣明船と言えば一条氏も。 CiNii 論文 - 「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/5ebu1ktuwg #CiNii
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中世における和歌と蹴鞠:―伝授書と作法―
こちらも義稙関連情報を含む論文。飛鳥井家からの『和歌条々』と『蹴鞠条々』の武家への伝授者リスト、飛鳥井雅俊から永正8年2月の義稙に次いで、永正12年2月には畠山順光に『和歌条々』が伝授されているのが個人的ポイント。 https://t.co/BCm3Mfn62p
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将軍足利義稙期の幕府訴訟制度について
最近、こんな論文が公開されているのに気付きました。義晴期の内談衆などはよく知られてますが、その前提となる義稙期の幕府の法と訴訟制度を考察されています。素人には難解な内容ですが、義稙前期と後期、そして義晴期の審理手続きの違いにも注目されていて、興味深いです。 https://t.co/JQcbHkeCuT
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足利一門再考 : 「足利的秩序」とその崩壊
TLでも何度か話題に上っていた論文ですが、室町期から戦国期にかけての家格意識を考える上で必読の内容でした。戦国期に至ってもなお足利一門と非足利一門間の格差が認識されていた事実を提示されています。それが、将軍自身の実力者優遇によって結果的に壊されたという流れ。 https://t.co/a4rDexOnrd
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室町幕府最末期の奉公衆三淵藤英
三淵藤英、金子拓先生の研究によって伊勢貞孝の反乱に加担してることが明らかにされているので、扱いようによっては面白いことになりそうな感じがしますね (なお扱いが難しすぎる模様) 参考:https://t.co/jAT9Vtn5XP https://t.co/8vkdXuMXnS
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中近世移行期における村落と領主の関係
『農業史研究』52号が公開されてるよ!!熱田先生の「中近世移行期における村落と領主の関係 丹波国山国荘を事例に」が読めるよ!!!!https://t.co/NavViZPAvN
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聚光院の成立時期についての一仮説―障壁画作期議論の前提として―
興味深い論文。三好長慶の菩提所である大徳寺聚光院の成立経緯を考察されていますが、永禄の変前後の三好家の状況を把握して丁寧に書かれています。三好家について先行研究だけでなく東大史料編纂所のDBで独自に調査されたとのことで、註での考察も充実していて学びが多い。 https://t.co/5MNmrZZkEi
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自牧宗湛(上)
浦上則宗が有馬温泉での湯治中に鼓ヶ滝で叫んだ話、『蔭涼軒日録』文正元年閏二月八日条からのようです。こちらの論文『自牧宗湛(上)』史料85にて該当箇所が読めました。「俗曰鼓瀑高声叫。即瀑水急落云。仍浦上美作守往于瀑而再三叫。人皆笑之。」休暇中の微笑ましい一場面 https://t.co/G2QrBbMq2p
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