秋庭 (@truetrueno111)

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堺の解説にあった「大内氏の滅亡により、遣明船貿易が断絶する」 大内氏と遣明船…こんな研究が。勘合の意味が良くわかります。遣明船と言えば一条氏も。 CiNii 論文 -  「堺渡唐船」と戦国期の遣明船派遣 https://t.co/5ebu1ktuwg #CiNii
https://t.co/QcIo5mJnBY 愛妻の日という事で山名豊国夫婦のエピソードを。

11 0 0 0 IR 自牧宗湛(上)

RT @holy_sengoku: 浦上則宗が有馬温泉での湯治中に鼓ヶ滝で叫んだ話、『蔭涼軒日録』文正元年閏二月八日条からのようです。こちらの論文『自牧宗湛(上)』史料85にて該当箇所が読めました。「俗曰鼓瀑高声叫。即瀑水急落云。仍浦上美作守往于瀑而再三叫。人皆笑之。」休暇中の…
CiNii 論文 -  女房詞の研究:『御湯殿上日記』を中心として https://t.co/tZvcDbRwoF #CiNii

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牧谷峠直下南側の岩石は、白亜紀流紋岩類(日野山流紋岩類)らしいです。 マグマが地表で急に冷えると出来る流紋岩。水に染みにくく、侵食されにくい性質。確かに角がはっきり残り、ゴツゴツしていました。 https://t.co/EuNrOPGu2e https://t.co/wAqAsWSzKD
洞松院に関する論文、野田泰三『戦国期播磨における大名家妻室について― 赤松政則後室洞松院を中心に―』には印判状8点を掲載。洞松院が義村の裁許に従わなかった事例として、得平氏の所領を押領していた件を挙げつつも、その執政は「義村成人までの中継ぎ」と慎重な評価。 https://t.co/M083xV5tXB
宇津が山国荘民の生活安定のためにがんばってるとこ見てて… J-STAGE Articles - 中近世移行期における村落と領主の関係https://t.co/sCd9D1VBPD
徳丸盛長の父親は成長かもしれなくて、成長は山名家の連歌書の伝来に関わっているそうな
嘉吉の乱から応仁・文明の乱終結に至るまでの幕府からの軍勢催促状については、吉田賢司先生の論文にリストがあります。年月日と宛所だけでなく、宛所の地位、動員地域、攻撃対象(発向地域)、特記指示事項(副状の内容)、難渋しているかどうかと、分類項目も興味深いです。 https://t.co/asBaNDYrKs
PDF公開。渡邉俊「中世前期の流刑と在京武士」(『文芸と思想 = Studies in the humanities : 福岡女子大学国際文理学部紀要』80、2016年)※同大学機関リポジトリは今年3月に開設。https://t.co/E0CZBdviNy #こんな論文がありました https://t.co/BV20KT8xVi
完全に乗り遅れてますが、朝倉氏が「名門」なのかどうかという話。まず、室町幕府創設期以来の大名の家格ではないのは周知の通りですが、英林孝景の下剋上で越前一国を支配する守護大名(戦国大名?)になったという認識も、たぶん誤り。こちらの論文が参考になります。 https://t.co/sy7kxDjxmy
将軍義稙贔屓な僕としては、細川澄賢といえば、永正18年4月3日に藤林氏に宛てた軍勢催促状が熱いです。淡路出奔中の将軍義稙が聡明殿(晴元)の供奉で近いうちに上洛するぞって内容で、当時の澄賢の地位が窺えるもの。こちらの論文史料9に、画像と翻刻が掲載されています。 https://t.co/LOLcBIzP6N
出奔した前将軍義稙と大内義興の連携を見出すとともに、永正13年とされてきた島津氏による三宅国秀の殺害事件を義稙vs義晴の構図で捉え、義稙政権が崩壊した永正18年から、大内義隆と義晴政権の和睦が成立する享禄3年までの間に起きた事件と推測されている方もいます。 https://t.co/iRrL8WsPTW

16 0 0 0 OA 戸田茂睡全集

実際のところは、「だい」と「ぢゃあ」の中間のような音で読むものらしい(戸田茂睡『百人一首雑談』)。https://t.co/HarCJ8Cdx7 なるほど、滑舌悪い感じと言われたらそうかも。 この現象の位置づけは、遠藤邦基「中間音的な発音注記」(『国語表現と音韻現象』)あたりに詳しい。 https://t.co/TWS2l33CKl

5 0 0 0 OA 続群書類従

「むらさきしりかい」(紫尻繋?)に関する覚書で、大永元年3月5日の犬追物の際、細川高国へ「公方様よりならの御ひたゝれとむらさきのそめわけの御しりかいを拝領候て」云々とあるけど、改元前なので大永ではなく永正18年、そしてこの日付は義稙出奔の2日前。事実かな? https://t.co/X99CmGGA2h

5 0 0 0 OA 続群書類従

Twitter検索で、続群書類従武家部に収められている『伊勢貞助雑記』がNDLで読めることを知りました。「大唐の勘合はかり大内義興再興被申。其勘合ハ大内家に被預置訖。是は各別之儀候。」とか書いてる。礼法といっても、結構その時々の細々とした事を書き残してるんですね。 https://t.co/w1oBSbsIBn
詳しくはこちらの科研の報告書「越前朝倉氏」の項目で論じましたので、最寄りの図書館等でご覧になってください▼ https://t.co/VxjLBehLNg
岩永紘和「史料紹介 興禅寺蔵「南豊大和尚遷化之際書簡集」」(『飯田市美術博物館研究紀要』30、2020)。妙心寺派寺院所蔵文書の紹介で、戦国期の禅僧の書状が中心。美濃をはじめ広範な交流がうかがえるようだ。斎藤義龍や武田信玄・勝頼に関するものも。PDFも公開→https://t.co/qG2PKj2RF9

64 0 0 0 OA 師郷記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

64 0 0 0 OA [師守記] 64巻

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

67 0 0 0 OA 康富記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史

67 0 0 0 OA 満済准后日記

デジコレで原本が閲覧可能な南北朝室町期の日記としては、 師守記https://t.co/XCe1GUj998 満済准后日記(応永18~29年)https://t.co/XLKKMIfE5F 師郷記https://t.co/1dqfOYOyz1 康富記https://t.co/BJmJVosAtk あたりでしょうか。#在宅研究 #デジコレで中世史
犬追物の実際は、こちらの論文に詳しく解説されていました。数日に渡る催行には河原者が多数動員され、犬の調達も大変だったようですが、桟敷を設けて見物料を徴収し、経費を回収できたそうで。最終日には参加者が蔭凉軒に集まって、余った犬を食べたという話も興味深いです。 https://t.co/gK0DtYeaic
近衛前久は織田信長と鷹狩を通じて交流したことで有名ですが、こちらの論文によると、前久が著した鷹書でたびたび引用されている『諸木抄』は、細川高国が著した武家故実書だそうです。高国は幼少の頃より将軍の弓馬師範を務めていた小笠原政清・尚清父子に師事。 https://t.co/VH4IZ1MzBl
それにしても聚光院論文の註、論旨の補足だけでなく様々な推測や疑問がそのまま書かれていて面白い。普通は省略されるような情報かもしれませんが、素人としては学びが多くて嬉しい。綿田稔先生、美術史専門だからこそ想定読者に向けて丁寧に説明されているのかな? https://t.co/5MNmrZZkEi
CiNii 論文 -  14) 足利尊氏の歯(日本歯科医史学会第27回(平成11年度)学術大会講演事後抄録) https://t.co/fWUmS38Q3t #CiNii
嘉吉の乱から赤松家再興の流れを改めて追って今更ながら知りましたが、管領執政から将軍義政親政に移行し、伊勢守の権限拡大と反比例して管領の役割が形骸化したとの見方があるんですね。そこに文正の政変で伊勢貞親が失脚、応仁の大乱で義政は傍観者の立場に追い込まれたと。 https://t.co/asBaNDYrKs

5 0 0 0 IR 自牧宗湛(中)

続いて『自牧宗湛(中)』で解説も読めましたが…「翌七日、またしても江見河原入道が太平記を読み始めた」「宗湛を含む南辺の面々はよほど退屈だったのであろう、結託して座を逃れた(季瓊のところへ避難した)」『蔭涼軒日録』面白い。ちなみに江見河原も季瓊も赤松関係者。 https://t.co/wbMjz81Ke6

11 0 0 0 IR 自牧宗湛(上)

浦上則宗が有馬温泉での湯治中に鼓ヶ滝で叫んだ話、『蔭涼軒日録』文正元年閏二月八日条からのようです。こちらの論文『自牧宗湛(上)』史料85にて該当箇所が読めました。「俗曰鼓瀑高声叫。即瀑水急落云。仍浦上美作守往于瀑而再三叫。人皆笑之。」休暇中の微笑ましい一場面 https://t.co/G2QrBbMq2p
【メモ】安藤弥「戦国期本願寺家臣団の基礎研究」(東海印度学仏教学会『東海仏教』63、2018年3月)https://t.co/83t7EzIjnv

51 0 0 0 OA 史籍集覧

多分この15代のデータはWikiから持ってきたんだと思う 因幡山名氏の側室がいた(+懐妊してた)のは事実だろうけど https://t.co/yvM5ZNOLzB 、成之娘が室だったのって史料上から確認できるのかな
川岡勉先生の「戦国期の室町幕府と尼子氏」はこちらに収録されてるみたいですね。大学図書館とか行ったことないけど、素人のおっさんでも読ませてもらえるのか…。 / “CiNii 図書 - 尼子氏の特質と興亡史に関わる比較研究” https://t.co/lUz1nIBQtk
高橋遼「戦国期大和国における松永久秀の正当性」(『目白大学短期大学部研究紀要』52、2016)小沢長政や松永久秀といった外部勢力の大和国侵入によって、戦国期大和国内の権力関係がどのように変動したのか、特に興福寺との関係から検討。https://t.co/z7HwT35we8
花園天皇日記研究会「『花園天皇日記(花園院宸記)』正和二年六月記ー訓読と注釈ー」(『京都大学國文學論叢』35、2016年3月)『花園天皇日記』正和2年(1313)6月1日条から29日条の本文について、訓読・註釈を加えたもの。https://t.co/J4QKcWcmwH

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