Yoshiteru Kawai (@yoshikun2009)

投稿一覧(最新100件)

19 0 0 0 相撲展望

RT @ksk18681912: (続く) 例えば雑誌『食道楽』に度々相撲と食に関する記事を書いていた歌人の伊藤忍々洞ですが、ここに各部屋の名物料理が書かれています(国会図書館へのログインが必要)。 https://t.co/OWReEb90gF この文章には「鯛ちり」「鳥鍋…
RT @Historian_nomad: まずそもそもどの地域の遊牧民の話をしてるか明確にしていただきたいですね(農耕も並行して可能な地域もあれば農耕したら土地が死ぬんじゃな地域もあるので「遊牧民」でくくれない(そもそもモンゴル草原でも匈奴のころから農業やっとる(吉田順一先生の…
RT @Florisbad: 佐藤洋一郎氏によるイネの遺伝子の多様性を比較したDNA研究(の誤解?)については、科学雑誌に技術的な詳細が発表されていないなど疑問が呈されており、専門家の間で水田稲作の朝鮮半島経由説の否定が確定したとはとても言えないようです。初期の古代DNA研究で…
RT @shinkai35: 00年代初頭くらいから、なぜか事実に反して、日本の治安はすごく悪くなったと認識する人が増えたんですよ。これを治安悪化神話といいます。それ以前は、日本は治安のいい国という認識が一般的でした。この論文が参考になります。/日本の治安悪化神話はいかに作られ…
RT @odawaranodoka: いままさに読みたいと思っていた「ジェンダー・オリエンタリズム」についての論文が全文無料で読める幸せをかみしめている。 嶺崎寛子「イスラームとジェンダーをめぐるアポリアの先へ」『宗教研究』93巻2号(通号:395)[特集:ジェンダーとセクシ…
RT @COM5THFLT: @ponatky @R103103 「近代国民国家は『国民皆兵』を原則として誕生したが」 アメリカは「近代国民国家」を経験していない、と攻撃したいならまだしも、そういう皮肉でもないみたいですからね。 https://t.co/2BhbTJDXmm
RT @COM5THFLT: @ponatky @R103103 佐藤フェミ香が『ジェンダー史学』に書いた米軍論文の参考文献を見ると、アメリカ史(あえて軍事史とは言わない)の柱を説明した基本文献を見ておらず、ジェンダー史その他、枝葉について書いた文献にしか目を通していないのが分…
RT @k_hisane: 【近世大名における養子相続と幕藩制社会--「他家」養子を中心として】 https://t.co/nYmurR5YDg この辺見ると、国持大名ですら後期になっていくと実子相続とそれ以外の相続がトントンくらいになってるので、そりゃ諸家譜に「實は○○が子」…
RT @k_hisane: 【大名の乳幼児死亡率1651~1850年 : 大名系譜の分析】 https://t.co/QLZ7nWjtwl 江戸時代の大名家の乳幼児死亡率について調べたら、乳児死亡率が19.3%、幼児死亡率が22.9%、合わせて42%越えててドン引きする。5人中…
RT @gishigaku: @hajime_kuri @the_thingX リンク貼りなおします https://t.co/VqAhO9Dwxe
RT @gishigaku: @hajime_kuri @the_thingX 1970年に長野県在住の在野の考古学者・藤森栄一が『縄文農耕』という本を著していますが、藤森先生は主に雑穀やイモ類を想定していたんですよね。その後、クリに注目する議論も出ていたんですが三内丸山遺跡は…
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RT @fushunia: 早 川 光 敬「古 代 セ メ ン ト ・コ ン ク リー ト(豆知識識)」に詳しい記述がありました。イフタフ遺跡のコンクリートは建物の床で、現在でも難しい「高品質の石灰コンク リート」だったということです。 https://t.co/UEtsr2B…
RT @opqr5: 「山の分校の記録」が良かったのでそのへんの文献をあさってみたら、すごく面白い論文が見つかった。太田美奈子氏の「青森県下北郡佐井村における初期テレビ受容」。1957年に函館の電波が入るようになって、村の学校にテレビが備え付けられ受容されていく様子を書いている…
RT @ROONAVY: https://t.co/4y8wF6yse9 より。 この間にいわゆる漢人は大幅に人口増加して草原世界に進出し、そこを開拓していくという流れなので、被害者意識が育つのは理解できる。 https://t.co/yrHv86MVQP

5 0 0 0 OA 本朝通鑑

RT @YuudukiHigure: 尊氏田楽耽溺の件はここか。 ちょいと解読に自信はないけど、大雑把に記述眺めると太平記の影響がかなり色濃く出てそうな感じかね。 https://t.co/WrWQLZQJjk
RT @oyazame36: 上谷氏の研究論文ですが12〜14が興味深く、ガールスカウトのフィールドワーク記録からの派生で「写真が主体になりやすかった」と考えてます。 https://t.co/CXBMv7MhI9 私見ですが、「この延長上に(連帯としての)インスタ文化がある…
RT @noimago: 信長の父、信秀が孫呉の兵法に通じていたと主張するが、根拠は信秀の葬儀の際の法語なので…。法語を字面のまま解釈するという明智氏の斬新な発想。https://t.co/a2U3c0EeAN
RT @QmHSxpgqThzrxfk: 織田信長といえば、平井上総先生の「織田信長研究の現在」はとても勉強になりました。 信長を巡る研究史をサクッと概観できるので手元に置いています。 https://t.co/rUA6wDHWik

67 0 0 0 OA 関東震災画報

RT @rekishiclub: 写真は大阪毎日新聞社『関東震災画報』に掲載されたものです。 ツイートの写真は載っていませんが、国会図書館デジタルコレクションで『関東震災画報』第1輯、第2輯が閲覧できます。https://t.co/2TzyG32lTz

166 0 0 0 OA 農務統計表

RT @ksk18681912: 明治14年の『第二次農務統計表』(農務局)によると、明治12年に東京府で屠畜された牛は6963頭で全国の29%。 https://t.co/OeLmhdC4Lo 明治初期は、東京が屠牛=牛肉消費をリードしていたのです(冷蔵冷凍技術が未発達なの…

212 0 0 0 OA 農商工概況

RT @ksk18681912: 明治20年の『農商工概況』 (農商務省)における明治19年の県別屠牛数およびそれを一人あたりで割った牛肉量。 東京府が屠牛数第一位。 この頃の東京府の人口は少ないので(新潟が最も多かった)、人口当りで割ると、一人あたり牛肉量/年は約6斤でダ…
RT @moegi_hira: 羽賀祥二さんの「宝暦治水工事と〈聖地〉の誕生」もpdfがあった。宝暦四年の夏に熱病が流行して死者多数、平田靫負も病死だと史料にあることが述べられています。 https://t.co/zQCm6iQuRm
RT @nekonoizumi: 謎紀要論文 桜井芳生 「平和で王のいない時代」における 「<文化>の地政学的枠組み理論」 : バイオダーウィニズムにおけるミスマッチ論、的に修正された<合理>的選択 https://t.co/hIIiMZFFgh

31 0 0 0 OA 警視庁史稿

RT @yuukakubu: 洲崎遊廓の前身である根津遊廓が移転した理由は、東京帝国大学で学ぶ学生の環境に悪いため、と伝わるが、一次資料を見たことがなく、正直なところ怪しいと思っていた。が、予想に反して本当だった。「青年子弟の教育を害する為」とある。(警視庁『警視庁史稿 上巻』…
RT @Naga_Kyoto: 出典は『図説 城下町都市』の著者の一人である菅野氏の博士論文。webで全文読めます。 菅野圭祐「山当ての景観構造解析に基づく近世城下町の構成原理の解読」早稲田大学博士論文, 2017 https://t.co/9cieALEW5v https:/…
RT @machi82175302: 続き)近藤長次郎は坂本龍馬とこの時点では同格であり、薩長融和に果たした役割を看過すべきではない」として、近藤長次郎を高く評価している。拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」は、以下からダウンロードできます。https…
RT @machi82175302: 拙稿「慶応期政局における薩摩藩の動向―薩長同盟を中心として―」(『神田外語大学日本研究所紀要』9号、2017年)では、亀山社中について、「実態としては小松帯刀配下の土佐藩脱藩浪士を中心とする一団を指す。https://t.co/A65OnL…
RT @urakkun26: 〜この対立は、唯物史観全盛だった戦後歴史学、特に日本史学で優勢となった流れによる他の流れへの批判として把握できる。」 https://t.co/wF1y3UMhP2

40 0 0 0 OA 鉄道技術発達史

RT @darbyz80: 1067mmゲージの単端、 車輌じゃなくて保線機械扱いだけど熊本のアレよりずっと体裁が良い。 https://t.co/IeSzFTJZct https://t.co/QqeC7TXX1f

14 0 0 0 OA 浮世の有様

RT @Naga_Kyoto: 、という話は本を読んでいて知ったのだけど、デジコレで確認してみたらちゃんとありました。どうも犯人は捕まったそうで。 「抜け参り善悪教訓鏡」 浮世の有様.  1(巻1−2) - 国立国会図書館デジタルコレクション https://t.co/5Pb0…
RT @Historian_nomad: いろいろ見ましたが、ネットで見れて胥吏というものがどうであるかという点については下記三論文が古いですがよさそうです。 ていうか私もこれから読む。 https://t.co/eZ1E49hVjE https://t.co/60p4spVg…
RT @Historian_nomad: いろいろ見ましたが、ネットで見れて胥吏というものがどうであるかという点については下記三論文が古いですがよさそうです。 ていうか私もこれから読む。 https://t.co/eZ1E49hVjE https://t.co/60p4spVg…
RT @Historian_nomad: いろいろ見ましたが、ネットで見れて胥吏というものがどうであるかという点については下記三論文が古いですがよさそうです。 ていうか私もこれから読む。 https://t.co/eZ1E49hVjE https://t.co/60p4spVg…
RT @Historian_nomad: 何でそういうことするの(ガンギレ つっても私も現場での害とかそういう方面は全く……古典的な宮崎先生の「清代の胥吏と幕友」くらいしか投げられませんけど https://t.co/A6qGaUM5a5 っていいながら胥吏でcinii見たら面…
RT @urakkun26: 狭義の「信玄堤」は治水システムの一部である様だ。 https://t.co/88u6WhEWBo
RT @betafujihara: 性教育を語る上で、秋田県の取り組みを知らない奴はザコでしかない。 https://t.co/QizyNtQNqR https://t.co/rcjCGNsWgW
RT @plagiarismfraud: その他の指摘。 書評 深井智朗著『ヴァイマールの聖なる政治的精神―ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、二〇一二年、三一二頁) - 小柳敦史 - 日本の神学 https://t.co/KAai1Dcz67 ht…
RT @plagiarismfraud: その他の指摘。 書評 深井智朗著『ヴァイマールの聖なる政治的精神―ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、二〇一二年、三一二頁) - 小柳敦史 - 日本の神学 https://t.co/KAai1Dcz67 ht…
RT @plagiarismfraud: その他の指摘。 書評 深井智朗著『ヴァイマールの聖なる政治的精神―ドイツ・ナショナリズムとプロテスタンティズム』(岩波書店、二〇一二年、三一二頁) - 小柳敦史 - 日本の神学 https://t.co/KAai1Dcz67 ht…
前から気になっていた金岡連隊基地(金岡キャンプ)への引込線が日本陸軍時代からあったかどうかだが、戦時中の米軍が撮影した空撮写真には写っていないので戦後作られた、で確定 https://t.co/zAF91R4nCe

お気に入り一覧(最新100件)

@yoshikun2009 @Rogue_Monk あくまで肌感覚ですが、早くても2000年代くらいまでは、図書館の資料保存的な価値を重視する一般の方は少なかったのではないかと思います また、2014年の調査↓でも、学生には「図書館は暗い」と思われるようなので、利用者増のために採光を取り入れたくなるのだと思います https://t.co/0MappLj1li

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