著者
住家 正芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.1-25, 2013-06-30

ナショナリズムはなぜ宗教を必要とするのか。本稿は、その答えの一つを十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて世界的に流行した社会進化論の論理に求めるものである。社会進化論の発想からは、社会および国家どうしの関係が社会有機体間の生存競争として捉えられた。その競争を生き残る「強い」国家をつくるためには、国民の強固な統合が不可欠とされ、それを実現し得るものとして宗教が要請された。社会や国家の統合のためには、何らかの価値体系の共有が必要とされ、それを実現することが宗教に求められたのである。本稿はまず、国家神道概念の淵源とされる加藤玄智の宗教論に以上の論理を見出すことができることを示したうえで、同様の論理が清末から民国初期にかけての中国できわめて大きな影響力を持った梁啓超の宗教理解にも見出されることを確認する。
著者
池澤 優 近藤 光博 藤原 聖子 島薗 進 市川 裕 矢野 秀武 川瀬 貴也 高橋 原 塩尻 和子 大久保 教宏 鈴木 健郎 鶴岡 賀雄 久保田 浩 林 淳 伊達 聖伸 奥山 倫明 江川 純一 星野 靖二 住家 正芳 井上 まどか 冨澤 かな
出版者
東京大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

本研究は、欧米において成立した近代的宗教概念とそれに基づく宗教研究が、世界各地、特に非欧米社会においてそのまま受容されたのか、それとも各地域独自の宗教伝統に基づく宗教概念と宗教研究が存在しているのかをサーヴェイし、従来宗教学の名で呼ばれてきた普遍的視座とは異なる形態の知が可能であるかどうかを考察した。対象国・地域は日本、中国、韓国、インド、東南アジア、中東イスラーム圏、イスラエル、北米、中南米、ヨーロッパである。
著者
住家 正芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.91, no.2, pp.125-151, 2017-09-30 (Released:2017-12-30)

宗教経済学は宗教の合理的選択理論を理論的核とし、個々人は合理的に行為するものであり、取り得る行為のコストと利益をはかりにかけ、自分にとっての純利益を最大化してくれる行為を選択する、という人間観を起点とする。そして、こうした合理的選択という観点から宗教を捉えることの利点は、宗教行為の多くが合理的であり、単なる無知や迷信、手前勝手な願望からのものではないことを示すことであるという。本稿は宗教経済学のこうした主張を、伊藤邦武による「パスカルの賭け」の議論と論争の整理を参照しながら検討することによって、宗教と合理性についての理論上の位置づけについて試論的な考察を加える。そのうえで、宗教経済学は外部の観察者の視点から見出される論理としての合理性を仮説的に提示する点において意義を有するが、そのことをもって宗教行為は合理的であるとする点において間違っていると結論する。
著者
住家 正芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.87, no.1, pp.1-25, 2013-06-30 (Released:2017-07-14)

ナショナリズムはなぜ宗教を必要とするのか。本稿は、その答えの一つを十九世紀後半から二十世紀初頭にかけて世界的に流行した社会進化論の論理に求めるものである。社会進化論の発想からは、社会および国家どうしの関係が社会有機体間の生存競争として捉えられた。その競争を生き残る「強い」国家をつくるためには、国民の強固な統合が不可欠とされ、それを実現し得るものとして宗教が要請された。社会や国家の統合のためには、何らかの価値体系の共有が必要とされ、それを実現することが宗教に求められたのである。本稿はまず、国家神道概念の淵源とされる加藤玄智の宗教論に以上の論理を見出すことができることを示したうえで、同様の論理が清末から民国初期にかけての中国できわめて大きな影響力を持った梁啓超の宗教理解にも見出されることを確認する。
著者
住家 正芳
出版者
日本宗教学会
雑誌
宗教研究 (ISSN:03873293)
巻号頁・発行日
vol.79, no.3, pp.677-699, 2005-12

本稿は、宗教の合理的選択理論と、その仮想敵とされたP・バーガーの初期の論考とを対比させることによって、二つのことを明らかにする。一つは、宗教の合理的選択理論は必ずしも「新しい」理論ではないということであり、二つ目は、市場原理は必ずしも自動的に宗教の多元性や多様性をもたらすものではなく、多元性・多様性を安易に市場とのアナロジーで捉えるべきではないことである。一九九〇年代以降台頭した宗教の合理的選択理論は自らを世俗化論にとって代わるものとして位置付けてきたが、議論の内容自体はかなり類似しており、その点において宗教の合理的選択理論は決して新しいものではない。また、宗教の合理的選択理論はきわめて楽観的な市場観を前提としているが、そのような前提は無批判に許容されるべきものではない。