- 著者
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鶴岡 賀雄
- 出版者
- 東京大学文学部宗教学研究室
- 雑誌
- 東京大学宗教学年報 (ISSN:2896400)
- 巻号頁・発行日
- vol.1, pp.27-37, 1984-02-21
「暗夜noche oscura」という言葉ないしイメージは,十字架のヨハネ全テクストの中でもとりわけ重要な位置を占めている。"Eu una noche oscura / con ansias en amores inflamada / odichosa ventura / sali sin ser notada / estando ya mi casa sosegada (ある暗い夜/愛の思いに これが燃えて/ああ なんという幸せ/気づかれずに 脱れ出た/わが家はもう 静まっていた)",とはじまる,「暗夜」と通称される彼の最も有名な詩の冒頭は,ヨハネの神秘思想全休の出発点であり,またそれの展開する場を開いて行く言葉であると言える。現代的な十字架のヨハネ研究の嚆矢となった大著『十字架の聖ヨハネと神秘経験の問題』において,すでにジャン・バリュジは,この「夜」という言葉をヨハネの「ユニークな「象徴(シンポル)」」とよんで,そこに,彼の著作にふんだんに見られる他の諸々のイメージ,アレゴリー等と区別された特別な重要性を見ている。この「象徴」は,バリュジによれば,それ以外の一般的概念に翻訳不能な,ヨハネの神秘経験自体と不可分なまでに結びついた言葉である。「象徴」という語は,しかし,バリュジの,またその後の様々な言語学的・哲学的考察の努力にもかかわらず,その内容が余りに一般的ないし多義的であって,宗教思想研究のための有効な概念とは未だ十分になりえていないと考えるが,ここでの「夜」という言葉に対するバリュジの着目と評価自体はたしかに正当なものと思われる。そこで,以下小論では,バリュジが「象徴」という語で捉えようとした,「暗夜」という語,イメージがヨハネの著作全休において有する意義を,筆者なりに探ってみたいと思う。これはしたがって,「暗夜」ということに焦点を当てた-しかもとくに,ヨハネの神秘思想の根本構造のごときものが提示されていると考える『カルメル山登攀』および『霊魂の暗夜』のはじめの数章に主に基いた-,筆者なりのヨハネ解釈の試みであるが,それはまた,バリュジにおいてすでにそうであったように,すぐれた意味で「宗教的」ないし「神秘的」とよばれうる言葉の一つのあり方を,その具体的な姿において,捉えてみたいという関心を背景としたものである。そしてこの視点はさらに,神秘家であるとともに詩人でもあったヨハネの研究における大きなプロブレマティックとなっている詩的な言葉と神秘思想との関係の問題とも,必然的に関わって行くこととなる。