著者
宮宅 潔 佐川 英治 丸橋 充拓 佐藤 達郎 鷹取 祐司 藤井 律之 陳 偉 金 秉駿 ギーレ エノ
出版者
京都大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究はまず(1)中国古代史における民族の問題-「漢民族」はいかにして形成されたのか、中国王朝はさまざまな帰属意識を持つ人間集団をいかにして統合したのか、新たな民族集団の流入が王朝にいかなる影響を与えたのか、など-について共同研究者間で討議したうえで、それら民族問題と軍事の相関関係について各自の研究課題を設定し、定期的に研究発表を行った。その過程で(2)中間年度に韓国・ソウル大学で国際シンポジウムを共催した。そこでの討議をふまえてさらに議論を重ね、(3)参加者全員の寄稿を得て成果報告書『多民族社会の軍事統治 出土史料が語る中国古代』を京都大学学術出版会から刊行するに至った。
著者
佐藤 達郎
出版者
京都大学 (Kyoto University)
巻号頁・発行日
1998-03-23

本文データは平成22年度国立国会図書館の学位論文(博士)のデジタル化実施により作成された画像ファイルを基にpdf変換したものである
著者
佐藤 達郎
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 = THE SHIRIN or the JOURNAL OF HISTORY (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.79, no.6, pp.852-880, 1996-11-01

個人情報保護のため削除部分あり
著者
佐藤 達郎
出版者
史学研究会 (京都大学文学部内)
雑誌
史林 (ISSN:03869369)
巻号頁・発行日
vol.78, no.4, pp.p557-585, 1995-07

個人情報保護のため削除部分あり従来、漢代の人事制度については察挙制度に研究が集中してきた。しかし、それとは別に勤務日数を積むことにより自動的に昇進していく制度のあったこと、通常大半の官吏はこのような制度により昇進を遂げていたのであろうことが大庭修氏によって指摘されている。従来、このような日常の人事と察挙との区別が明らかにされないまま、漠然と「選挙」なる呼称のもとに漢代の人事制度が論ぜられてきた。本稿はこの両者の区別を明らかにするとともに、察挙に非ざる日常の人事の制が後世の尚書による人事―「銓衡」―の起源をなす事を論ずるものである。 まず漢代における察挙によらぬ日常的人事の存在とその際の手続きについて、続いてそれを掌る担当官庁が前漢末頃三公より尚書へ移行したこと、後漢の文献に見える三公による「選挙」とは非常の察挙を指していたこと、従って日常的人事は依然尚書により行われていたこと、後漢末期になるとこのような尚書による人事が後世のように「銓衡」の語で呼ばれるようになったこと、を順次論述する。Previous studies of the Han system for the promotion of officials focused primarily on the recommendation system 察挙制度. As Professor Oba has pointed out, however, there was another promotion system, through which officials could be promoted routinely by serving a certain term ; most officials obtained their promotions through this system. Most previous studies do not distinguish this system from the recommendation system, and refer to both systems as the election system 選挙. This article clarifies the differences between the recommendation system and the routine promotion system. There was a routine promotion system in the Han period, managed according to documents on the administration of officials and rules for their promotion. At the end of the Western Han, the office charged with the management of this system was shifted from the purview of the Three Dukes 三公 to that of the Imperial Secretary 尚書. In some records from the Eastern Han, it appears that the Three Dukes still managed this system, but the system referred to in these records by the term "election" was in fact the recommendation system and not the routine promotion system. Though the routine promotion system was also referred to as "election " in some contemporary records, it remained under the control of the Imperial Secretary. Toward the end of the Eastern Han, the routine promotion system began to be called quqn heng 銓衡 ; it can be regarded as the origin of the evaluation-election system (quan xuan 銓選)managed by the Ministry of Personal 吏部尚書 in the later periods.

1 0 0 0 IR 保塞蛮夷小考

著者
佐藤 達郎 Tatsuro Sato
出版者
関西学院大学史学会
雑誌
関西学院史学 (ISSN:04511263)
巻号頁・発行日
no.44, pp.29-47, 2017-03
著者
佐藤 達郎
出版者
大阪樟蔭女子大学
雑誌
大阪樟蔭女子大学学芸学部論集
巻号頁・発行日
vol.41, pp.199-212, 2004-03-06

今回は、揚雄に続いて後漢の崔[エン]・胡広の官箴を主に扱う。それら後漢の官箴は、揚雄の創始したスタイルを基本的に踏襲しながら、内容・表現の上でいくつかの変化が見られる。晦渋な揚雄官箴に比べ、後漢の官箴は比較的平明で、具体的史実をふまえた表現の多いことが特徴としてまず挙げられる。中でも、漢代の事跡・制度が引き合いに出されることが多いのは、時代の上で当然としても興味深い点である。さらに漢代の制度を取り上げつつ、それを周制になぞらえようとする志向の間々見られることにも注意される。また典故について見れば、今文から古文への転換の見られつつあること、讖緯の影響の見られることなどが、やはり後漢の学術・思想界の動向を反映した点として、指摘できるであろう。これらの点は改めて論考篇で考察することとし、本訳注はこれを以て終了する。