著者
冨岡 典子 太田 暁子 志垣 瞳 福本 タミ子 藤田 賞子 水谷 令子
出版者
一般社団法人 日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.120-130, 2010 (Released:2014-10-24)
参考文献数
60
被引用文献数
2

日本においてエイの食習慣が形成された背景および地域性を明らかにすることを目的に,「平成15・16年度日本調理科学会特別研究―魚介類の調理」および『日本の食生活全集』を主な資料として検討した結果,以下のことが明らかになった。エイは,東北,近畿,中国地方の海から遠い内陸部や山間部地域の晴れ食には欠くことのできない食べ物として供されていた。エイの魚肉は尿素含量が高く,魚類としては腐敗しにくい特性を持ち,日持ちのする無塩もの(鮮魚)として調理できること,また,乾物にして保存し,利用できることなど,海から遠い地域でも利用できる条件を満たす海魚であった。エイは,肉,ひれ,骨のすべてが食用になり,軟骨特有のコリコリとした歯ごたえおよび煮もの調理によって形成されるゼラチン質の煮こごりなどの食感は,日本人の嗜好に合い,本草書に記されたエイの食品価値は,民間に伝わったアカエイの肝の薬効とともに高く評価されてエイの食習慣が定着した。
著者
冨岡 典子
出版者
The Japan Society of Home Economics
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.52, no.6, pp.511-521, 2001-06-15 (Released:2010-03-10)
参考文献数
28

The following are the results of a study of the introduction and the spread of edible burdock into Japan as a food material for Japanese cooking.The edible burdock was first used for medicinal purpose, but in the Heian Period, “nisime-gobou” and “tataki-gobou” appeared. In modern times, “nisime-gobou” becomes popular as a nationwide dish prepared for New Year's, whereas “kinpira-gobou” is popular in the northern part of Kantou, and “tataki-gobou” in the Kinki area. These dishes are thought to have originated from “nanukadaki-gobou, ” “kara-gonbo” and “denbugobou” which had been handed down throughout Japan. The edible burdock was used in folk remedies and was highly evaluated for nutritious and medicinal food.From the facts combined with previous reserch, it is inferred that the edible burdock which formed an indispensable part of New Year's festivals in ancient times becomes an important food of the Japanese New Year's as one of “osechi ryouri (special dishes with simbolic meanings of longevity and good fortune).” Also, the eating of the edible burdock in Japan was influenced by the eating of the foreign edible burdock which was similar to Japanese wild thistles generally eaten at that time.
著者
冨岡 典子 太田 暁子 志垣 瞳 福本 タミ子 藤田 賞子 水谷 令子
出版者
一般社団法人日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会誌 (ISSN:13411535)
巻号頁・発行日
vol.43, no.2, pp.120-130, 2010-04-05

日本においてエイの食習慣が形成された背景および地域性を明らかにすることを目的に,「平成15・16年度日本調理科学会特別研究-魚介類の調理」および『日本の食生活全集』を主な資料として検討した結果,以下のことが明らかになった。エイは,東北,近畿,中国地方の海から遠い内陸部や山間部地域の晴れ食には欠くことのできない食べ物として供されていた。エイの魚肉は尿素含量が高く,魚類としては腐敗しにくい特性を持ち,日持ちのする無塩もの(鮮魚)として調理できること,また,乾物にして保存し,利用できることなど,海から遠い地域でも利用できる条件を満たす海魚であった。エイは,肉,ひれ,骨のすべてが食用になり,軟骨特有のコリコリとした歯ごたえおよび煮もの調理によって形成されるゼラチン質の煮こごりなどの食感は,日本人の嗜好に合い,本草書に記されたエイの食品価値は,民間に伝わったアカエイの肝の薬効とともに高く評価されてエイの食習慣が定着した。
著者
冨岡 典子 柳 進 穴沢 達彦 木根 正一 久保 由香子 中川 忠彦
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.18, pp.152, 2006

[目的]前報で、『万葉集』に「水葱乃煮物」と詠われたミズアオイは宮廷直轄の園圃で植栽されるなど、古代においては食材としてかなり利用されていたことを資史料より報告した。本報では、ミズアオイ・コナギの食味評価からその植物の特性を検討した。<br>[方法] 奈良県宇陀市榛原町の休耕田を利用して、ミズアオイ・コナギを栽培・増殖(2004年3月から2006年現在まで)し、以下の方法でその植物の食味評価を行った。(1) ミズアオイ(塩ゆで)の 食味評価:実施時期は2004年11月、被験者(10歳代後半から20歳代前半の本学学生および教職員)26名を対象とし、無記名自記式質問紙法により実施した。評価項目は植物の周知度、食体験の有無、外観、食味、類似の野菜などであり、結果については単純集計を行った。(2) ミズアオイ・コナギの調理法別による食味評価(ほうれん草と比較して):実施時期は2005年9月、被験者(20歳代前半の本学学生および教職員)5名を対象とし、ミズアオイ(茹で水にA.0.5%重曹添加、B.2%食塩添加、C.4.5%米酢添加、D.無添加)およびコナギ(茹で水に0.5%重曹添加)について、評点法による評価を実施した。<br>[結果](1)ミズアオイの周知度は「知っている」(26.9%)、「知らない」(69.2%)であり、被験者の70%はこの植物を知らなかった。その食味は「舌がピリッとする・ピリピリする」(57.7%)、「苦い」(19.2%)、「えぐ味」(15.4%)などの評価であり、類似の野菜として「ほうれん草」(38.5%)、「青ねぎ・わけぎなど」(19.2%)、「きく菜」(11.5%)などがあげられた。(2)(1)の結果をもとに、ほうれん草と比較した食味評価においては、ミズアオイ・コナギともに茹で水に0.5%重曹添加のものがほうれん草とほぼ同じ食味の評価を得た。
著者
冨岡 典子 太田 暁子 志垣 瞳 福本 タミ子 山下 英代
出版者
一般社団法人 日本家政学会
雑誌
一般社団法人日本家政学会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.57, pp.6, 2005

[目的」日本調理科学会特別研究「調理文化の地域性と調理科学ー魚介類ー」調査の一環として、奈良県内における魚介類の利用状況について調査を行い、本報では、奈良県の伝統食にみる魚食文化と地域性を検討した。<br>[方法]調査地は奈良県北西部の平野部(奈良市4・生駒郡3・生駒市1・大和郡山1)、北東部の山間部(山辺郡6)、東南部の農山村部(磯城郡1・桜井市3・宇陀郡1)、西部の農山村部(葛城郡2・五条市5)、南部の山間部(吉野郡7)の34所帯(調査対象者20(1)、30(1)、40(13)、50(12)、60(5)、80(2)歳代・()は件数)を対象に2003年夏から冬にかけて聞き取り調査および質問紙調査を実施した。<br>[結果]奈良県の伝統食(祭り、行事、儀礼など)に利用された魚介類として、北東部の山間部はさけ、さば、たこの酢の物(酢作り)やさけのかす汁、ほたるいかの酢味噌あえ、にしんの煮物を葬式の時に、えいの煮物を正月に、さば、いわし、たい、かますの焼き物やとび魚を秋祭り、新嘗祭、神社行事、地鎮祭の供物に、かつおのたたきを祭りに、各種魚のすしやさけのきずしを春秋の彼岸に、あゆの塩焼きを祭り・祝い事に供し、山間部でも種々の魚介類が利用されていたが、これらの魚介類は隣接する三重県の魚食文化に類似のものであった。また、西部五条市や南部の吉野山間部ではさばやさけの柿の葉ずしを夏祭りや秋祭りに供し、和歌山県に隣接の十津川ではさんまずし(含なれずし)が祭りや正月に供されていた。県の大部分が山間部である奈良県の伝統食の魚介類利用の地域性をみると、海岸部を有する隣接県の魚食文化が大きく影響していることが明らかとなった。
著者
三浦 さつき 太田 暁子 喜多野 宣子 志垣 瞳 島村 知歩 冨岡 典子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.22, pp.199, 2010

【目的】近年、伝統的な行事食の伝承が少なくなっているといわれる。本報では、平成21、22年度の日本調理科学会特別研究として実施した「行事食調査」から、年末年始の行事食を中心に、奈良県の現状を把握し、世代間による認知度や喫食経験などの違いについて明らかにすることを目的とする。<BR>【方法】平成21年12月~平成22年3月、日本調理科学会「行事食調査」の全国統一様式による調査票により、大学生およびその家族にアンケート調査を実施した。そのうち、奈良県在住者251名(学生157名、家族94名)を対象にして、正月、人日・七草、大晦日の行事の認知度、行事食の喫食経験や調理状況について検討を行った。<BR>【結果】行事の認知・経験については、正月と大晦日は学生・家族ともほぼ100%であったが、人日・七草の認知は学生83%、家族90%であり、経験は学生57%、家族83%であった。年末年始の行事食においては、学生・家族とも喫食経験が90%以上と高かった料理は、雑煮、黒豆、かまぼこ、年越しそばであり、毎年食べている人がほとんどであった。正月の赤飯、大晦日の祝い料理やいわし料理は、喫食経験が低かった。雑煮、七草粥、年越しそばは、家庭で作って食べる割合が高かったが、昆布巻き、きんとん、だて巻き卵、かまぼこは、作って食べる割合よりも買って食べる割合のほうが高かった。学生と家族で比較すると、屠蘇、煮しめ、なます、七草粥の喫食経験に違いがみられ、家族よりも学生のほうが、年末年始の行事食の喫食経験や家庭で作って食べる人の割合が低い傾向がみられた。
著者
太田 暁子 志垣 瞳 冨岡 典子 福本 タミ子
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.22, pp.150, 2010

【目的】近年、食生活の変化から野菜の摂取不足が指摘されている。日本調理科学会近畿支部食文化分科会では近畿2府4県の家庭における野菜の利用について調査を実施した。奈良県では前報(20年・21年度大会)に続き、本報では行事食における野菜の利用について報告する。【方法】調査時期は2007年10月~2008年1月。奈良県在住の家庭の調理担当者を対象に、留め置き又は聞き取り調査を実施した。奈良市(以下、都市部)73件、奈良市周辺・山間部(以下、農村部)57件の回答から行事における野菜の利用について、地域別、年齢別に検討した。【結果】行事で利用する野菜は55種類あった。行事別に野菜の利用をみると、正月ではにんじんが22.6%と最も多く、次いで、ごぼう、れんこん、だいこんの根菜類が上位にあがり、この4種で正月に利用する野菜の69.2%を占め、煮しめ・なます・たたきごぼう・雑煮に利用された。七草では七草パックを使った七草粥、節分では巻きずしに三つ葉・かんぴょう、ひな祭りではちらしずしににんじん・れんこん、盆には供物になす、冬至では煮物にかぼちゃ、クリスマスではサラダや付け合せににんじん、大晦日では年越しそばに青ねぎの出現頻度が高かった。地域別で比較すると、都市部では正月・ひな祭りに野菜の利用が多かったが、一方、農村部では正月・端午の節供・春祭り・秋祭り・七夕・盆・祝い事など種々の行事に野菜が利用され、供物に不可欠なものとしても野菜は多く用いられたことから、都市部とは異なった食習慣の地域性が示唆された。年齢別にみる野菜の利用は、調理担当者が50歳以上の家庭では、正月・七草・盆の行事に野菜を多く利用し、50歳以下ではクリスマスにおける利用が多かった。また、冬至にかぼちゃを食べる習慣は地域・年齢・就業の違いに関わらず健康を願って食べられていた。
著者
島村 知歩 太田 暁子 喜多野 宣子 志垣 瞳 冨岡 典子 三浦 さつき
出版者
日本調理科学会
雑誌
日本調理科学会大会研究発表要旨集
巻号頁・発行日
vol.26, 2014

【目的】近年、伝統的な行事食が親から子へ伝承されない傾向にあるといわれる中、奈良県における年中行事の認知と経験、それに関連する行事食の状況について、学生世代、親世代、祖父母世代の三世代間で比較を行い、世代間での伝承状況についての現状を把握することを目的とした。 <br>【方法】平成21~23年度日本調理科学会特別研究で実施した「調理文化の地域性と調理科学:行事食と儀礼食」の全国統一様式の調査票により、大学生およびその家族にアンケート調査を実施した。そのうち、奈良県内で10年以上居住経験のある子世代(10・20歳代)150名と親世代(40・50歳代)114名、祖父母世代(60歳以上)32名について、調査項目17行事の年中行事の認知度、経験、行事食の経験、調理状況について検討を行った。<br> 【結果】17行事中、11行事はいずれの世代も認知度85%以上と高かったが、春分・秋分の日、春・秋祭り、重陽の節句の認知度は低く、世代間で違いがあった。80%以上が経験している行事は、祖父母10行事、親9行事、子は正月、クリスマス、大晦日、節分、上巳の5行事と少なかった。祖父母と親の行事の経験率は似ているが、重陽の節句と春祭りの経験は祖父母(21.9%・37.5%)親(9.6%・14.9%)子(5.3%・15.3%)と親は子に近かった。行事食では3世代共に90%以上が経験している料理は正月の雑煮・黒豆・かまぼこ、クリスマスケーキと年越しそばであった。行事食も祖父母と親の喫食経験は似ているが節分の炒り豆、月見だんご、冬至の南瓜は世代間に差がみられた。春祭り・秋祭りの行事食は祖父母でも約30%と経験は低く、親・子は約10%とさらに低かった。
著者
冨岡 典子
出版者
社団法人日本家政学会
雑誌
日本家政学会誌 (ISSN:09135227)
巻号頁・発行日
vol.52, no.6, pp.511-521, 2001-06-15
被引用文献数
1

The following are the results of a study of the introduction and the spread of edible burdock into Japan as a food material for Japanese cooking. The edible burdock was first used for medicinal purpose, but in the Heian Period, "nisime-gobou" and "tataki-gobou" appeared. In modern times, "nisime-gobou" becomes popular as a nationwide dish prepared for New Year's, whereas "kinpira-gobou" is popular in the northern part of Kantou, and "tataki-gobou" in the Kinki area. These dishes are thought to have originated from "nanukadaki-gobou, " "kara-gonbo" and "denbugobou" which had been handed down throughout Japan. The edible burdock was used in folk remedies and was highly evaluated for nutritious and medicinal food. From the facts combined with previous reserch, it is inferred that the edible burdock which formed an indispensable part of New Year's festivals in ancient times becomes an important food of the Japanese New Year's as one of "osechi ryouri(special dishes with simbolic meanings of longevity and good fortune)." Also, the eating of the edible burdock in Japan was influenced by the eating of the foreign edible burdock which was similar to Japanese wild thistles generally eaten at that time.