著者
加嶋 章博
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.39.3, pp.859-864, 2004-10-25 (Released:2017-08-02)
参考文献数
20

本考察はスペイン・ルネサンス期の都市計画思潮に関する研究の一環である。1573年に公布された「探索,新入植,平定に関する勅令」(以下「フェリーペ2世の勅令」という)は植民地の都市計画に対する考え方を示した代表的なスペイン植民地法である。同勅令については、その思想を特に『建築十書』に示されたウィトルーウィウスの考え方に強く依拠している点がこれまでも指摘されているが、共通点にのみ重点をおいた概括的な比較考察という既往研究の偏りがその背景にある。これには「フェリーペ2世の勅令」がもつ特異性を却って不透明にしてきた側面があると考えられる。本稿ではこの点に留意し、広く都市計画の考え方において、両者の相違に留意した相対的な比較検討を行い、「フェリーペ2世の勅令」の位置付けに役立てたい。結果として、勅令は『建築十書』に示されたウィトルーウィウスの都市計画に対する考え方を継承する部分が多い点は確認されたが、その一方で、特に都市形態、都市計画手順、都市核の計画手法といった都市計画の根幹部分に明らかな差異が認められた。
著者
藤田 治彦 井口 壽乃 近藤 存志 川島 洋一 池上 英洋 加須屋 明子 井田 靖子 橋本 啓子 天貝 義教 高木 陽子 高安 啓介 加嶋 章博 朝倉 三枝 三木 順子 永田 靖 塚田 耕一
出版者
神戸芸術工科大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2015-04-01

美術、建築も含めた広い意味でのデザイン教育の歴史をおもなテーマにした国際会議、第1回ACDHT(Asian Conference of Design History and Theory)を本研究開始の平成27年10月に大阪大学で開催、平成29年9月には第2回ACDHTを東京の津田塾大学で開催した。その研究内容は同国際会議での発表論文を査読して掲載する ACDHT Journal の”Design Education beyond Boundaries”に掲載され、同国際会議ウェブサイトでも閲覧可能にしている。研究代表者と13名の研究分担者は、全員、積極的に調査研究を進めている。平成29年度は、特にインド、スペイン、ドイツ、中欧、イギリス(スコットランド)の研究成果が注目された。第2回ACDHTでは、第1回ACDHT以上に、本科研プロジェクト以外の研究発表者も国内外から参加し、このデザイン教育史研究を通じての国際交流を高めている。本研究は、各国のデザイン史、美術史、建築史等を専門とする日本の代表的研究者が研究分担者となり関連国、関連地域の独自の調査研究を進め、国際会議での発表でも高く評価されているているが、全世界を視野に入れれば専門の研究分担者のいない国や地域も多く、それが「デザイン教育史の国際的比較研究」の目的を達成するには唯一の欠点でもあった。研究代表者は、その欠点を十分に補って研究を総括する立場にあり、第1、第2年度には、担当する研究分担者のいない中国、東南アジア、インド等の調査を行い、平成29年度にはオランダと北米(アメリカ東部とカナダ)および南米(アルゼンチンとチリ)等で調査研究を行った。調査のために訪問した各国の主要教育機関からは多くの場合、重要な関連資料を提供され、旅費は必要だが、図書購入費は節約可能で、順調に調査研究を進めている。
著者
加嶋 章博
出版者
公益社団法人 日本都市計画学会
雑誌
都市計画論文集 (ISSN:09160647)
巻号頁・発行日
vol.48, no.3, pp.219-224, 2013-10-25 (Released:2013-10-25)
参考文献数
14

スペイン植民都市の空間構成には強い共通性が指摘されるが、スペイン植民地法であるインディアス法には、都市の具体的な計画尺度に関する法規範は意外に数少ない。しかし「都市計画」に言及した1573年の「フェリーペ2世の勅令」のように、都市核となる広場の計画に関して具体的な尺度を示した計画規範も見られる。本稿は、都市計画という用語が用いられることがなかったスペイン植民初期(16世紀)において、土地区画に関する植民地の規範に着目し、土地の区画に対する考え方がどのように規範化され、どのような尺度で都市計画が捉えられて行ったのかを明らかにしようとするものである。結果として、スペイン国家は都市の全体像を誘導することはなかったが、「整然とした(orden)」都市空間の秩序ある計画を早期から強く主張したことや土地区画の単位の統一化といった規範の整備がなされたことが読み取れた。また、140~150バラ程度の街区の区画が都市計画の具体的な尺度であった傾向が窺えた。こうしたことが、本国とは異なるスケールによるグリッド・パターンという植民都市の共通性を創出する要因となったことが示唆された。