著者
天貝 義教
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.44, no.4, pp.39-48, 1997-11-30 (Released:2017-07-25)
参考文献数
56

ブラック・マウンテン・カレッジは1933年から57年までアメリカ合衆国ノースカロライナ州に開設されていたリベラル・アーツの実験的大学である。その開校の年ベルリンにおいてバウハウスはナチズムの圧力のもとで閉校し, アルバースはニューヨーク近代美術館のP.ジョンソンの仲介によりブラック・マウンテン・カレッジに招聘されることとなった。アルバースは1949年までこの地に留まり, バウハウスの教育法とその理念を移植し, 自らの造形思考を発展させていった。その間アルバースは合衆国において抽象芸術家としての地位を固めるとともに最も影響力のある芸術教師となり, その学生にはR.ラウシェンバーグ.K.ノーランドらが含まれていた。アルバースとその学生たちの活動によってブラック・マウンテン・カレッジは40年代から50年代初頭にかけてモダン・アートとデザインの中心となったのである。本稿の目的はアルバースの造形思考を辿りながら, ブラック・マウンテン・カレッジにおけるバウハウスの影響とその発展を考察することにある。
著者
天貝 義教
出版者
一般社団法人 日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究 (ISSN:09108173)
巻号頁・発行日
vol.43, no.3, pp.31-40, 1996-09-10 (Released:2017-07-25)
参考文献数
38
被引用文献数
1

アルバースの用語法によれば、色彩は芸術において最も相対的な媒体となる。アルバースの色彩教育に対するアプローチと絵画制作の中心にはこうした概念があり、アルバースの教育と芸術との最も直接的な結び付きは、色彩の分野において認めることができる。アルバースの色彩教育は、1933年の合衆国への移住後、まずブラック・マウンテン・カレッジで始まり、後にイェール大学において行われた。また、アルバースはこの色彩教育に加えて、多数の抽象絵画の制作を試みており、1950年には『正方形讃歌』の連作が着手されることとなった。この連作はアルバースが1976年にその生涯を閉じるまで描き続けられたのである。本稿の目的は、アルバースの色彩教育の発展過程を跡づけるとともに、その色彩教育の内容とアルバースの代表作に位置づけられる『正方形讃歌』の連作との相互関係を検討することによって、アルバースの教育と芸術における色彩の意味を考察することにある。
著者
天貝 義教
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.85-96, 2012-06-30 (Released:2017-05-22)

In this paper I investigate the concepts of industrial design expressed by the Japanese term Kogyo-teki Isho which appeared in the Design Act of 1909, by focusing on the ideas of two representative industrial design educators Hirayama Eizo and Matsuoka Hisashi in the transition from the Meiji era to the Taisho era. In his articles published in the 1900s, Hirayama pointed out that by designing ornamentation, which was developed by the addition of elements derived from every part of the natural world, the industrial designer should elevate the aesthetic value of industrial products without interfering with their usefulness. In his articles published in the 1910s, criticizing Japanese designers for copying historical and Western style design, Matsuoka stressed that the industrial designer should display his own originality in designing industrial products for daily use, and defined that the aim of industrial design was to beautify all industrial products including daily necessities, common machines and the ditch covers. Their ideas on industrial design showed changes from the early idea of applying art to industry to the new idea of beautifying all industrial products for daily use, on which the establishment of a new institution for industrial design education was based.
著者
天貝 義教
出版者
美学会
雑誌
美学 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.58, no.3, pp.42-54, 2007-12-31 (Released:2017-05-22)

In 1888 the Japanese government promulgated regulations relating to designs (Isho-jorei) to promote native industry and encourage the development of the idea of applying art to industry. At this time members of the Dragon Pond Society ('Ryuchi-kai') emphasized the significance of the application of art to industry in their articles published in art journals, 'Dai-nippon Bijutsu-shinpo', 'Ryuchi-kai Hokoku' and 'Nihon Bijutsu-kyokai Hokoku'. In 1884 Hirayama Narinobu introduced C. Laboulaye's theory of industrial art and in 1885 Kawase Hideharu gave an explanation of applied art. From 1886 to 1888 Hirayama Eizo translated selected passages from J. Falke's book, F. Kanitz's book and G. Semper's book on the problems of relationships between form and ornament in industrial products, hi 1887 Yamaoka Jiro emphasized the needs for applying art to industrial products and in the same year, after the Tokyo Industrial Exhibition (Tokyo-fu Kogei-hin Kyosin-kai), Shioda Masashi strictly criticized many artists and manufacturers, who exhibited their industrial products in the exhibition, for designing products based on wrong applications of art. By stressing the idea of applying art to industry as design theory they intended to reform industrial art and to give aesthetic order to various technical developments in Japan.
著者
藤田 治彦 井口 壽乃 近藤 存志 川島 洋一 池上 英洋 加須屋 明子 井田 靖子 橋本 啓子 天貝 義教 高木 陽子 高安 啓介 加嶋 章博 朝倉 三枝 三木 順子 永田 靖 塚田 耕一
出版者
神戸芸術工科大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2015-04-01

美術、建築も含めた広い意味でのデザイン教育の歴史をおもなテーマにした国際会議、第1回ACDHT(Asian Conference of Design History and Theory)を本研究開始の平成27年10月に大阪大学で開催、平成29年9月には第2回ACDHTを東京の津田塾大学で開催した。その研究内容は同国際会議での発表論文を査読して掲載する ACDHT Journal の”Design Education beyond Boundaries”に掲載され、同国際会議ウェブサイトでも閲覧可能にしている。研究代表者と13名の研究分担者は、全員、積極的に調査研究を進めている。平成29年度は、特にインド、スペイン、ドイツ、中欧、イギリス(スコットランド)の研究成果が注目された。第2回ACDHTでは、第1回ACDHT以上に、本科研プロジェクト以外の研究発表者も国内外から参加し、このデザイン教育史研究を通じての国際交流を高めている。本研究は、各国のデザイン史、美術史、建築史等を専門とする日本の代表的研究者が研究分担者となり関連国、関連地域の独自の調査研究を進め、国際会議での発表でも高く評価されているているが、全世界を視野に入れれば専門の研究分担者のいない国や地域も多く、それが「デザイン教育史の国際的比較研究」の目的を達成するには唯一の欠点でもあった。研究代表者は、その欠点を十分に補って研究を総括する立場にあり、第1、第2年度には、担当する研究分担者のいない中国、東南アジア、インド等の調査を行い、平成29年度にはオランダと北米(アメリカ東部とカナダ)および南米(アルゼンチンとチリ)等で調査研究を行った。調査のために訪問した各国の主要教育機関からは多くの場合、重要な関連資料を提供され、旅費は必要だが、図書購入費は節約可能で、順調に調査研究を進めている。
著者
天貝 義教
出版者
日本デザイン学会
雑誌
デザイン学研究
巻号頁・発行日
vol.40, no.2, pp.25-32, 1993
被引用文献数
2

ヨーゼフ・アルバースにとって,素描とは,線から成立した視覚的形成を意味し,その主要な関心は,二次元的な手段によって三次元的な効果を呈示することにあった。それゆえ,アルバースの用語法に従うならば,我々は,素描において,線と線との間を我々に読み取らせるような線の観察と分節を学ぶこととなるのである。アルバースは自らの素描観を,バウハウス,ブラック・マウンテン・カレッジ,イェール大学デザイン学部における素描教育を通じて明確にしてゆくが,一方その教育活動と並行して多数の線の構成を試みており,1942年には『図的構築』の連作を完成させ,『構造の星座』の連作は1950年代初期にその制作が始められた。本稿の目的は,アルバースの素描教育の変遷過程を跡づけるとともに,その素描教育の内容とこれら線の構成による連作との関係を考察することにある。
著者
天貝 義教
出版者
美学会
雑誌
美學 (ISSN:05200962)
巻号頁・発行日
vol.63, no.1, pp.85-96, 2012-06-30

In this paper I investigate the concepts of industrial design expressed by the Japanese term Kogyo-teki Isho which appeared in the Design Act of 1909, by focusing on the ideas of two representative industrial design educators Hirayama Eizo and Matsuoka Hisashi in the transition from the Meiji era to the Taisho era. In his articles published in the 1900s, Hirayama pointed out that by designing ornamentation, which was developed by the addition of elements derived from every part of the natural world, the industrial designer should elevate the aesthetic value of industrial products without interfering with their usefulness. In his articles published in the 1910s, criticizing Japanese designers for copying historical and Western style design, Matsuoka stressed that the industrial designer should display his own originality in designing industrial products for daily use, and defined that the aim of industrial design was to beautify all industrial products including daily necessities, common machines and the ditch covers. Their ideas on industrial design showed changes from the early idea of applying art to industry to the new idea of beautifying all industrial products for daily use, on which the establishment of a new institution for industrial design education was based.
著者
天貝 義教
巻号頁・発行日
2006

筑波大学博士 (学術) 学位論文・平成18年3月24日授与 (乙第2209号)