著者
原田 信之
出版者
新見公立大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2011-04-28

本研究の目標は、南西諸島各地に伝承されてきた事物起源伝説を、南西諸島各地で直接聞き取り調査して記録するとともに総合的に比較研究し、民間伝承の世界における事物起源伝説の特徴や意味を明らかにすることにある。そのために、平成23年度から平成26年度にかけて、奄美諸島・沖縄諸島・宮古諸島・八重山諸島それぞれに伝承されている文化叙事伝説をゆかりの地に行き直接聞き取り調査した。
著者
原田 信之
出版者
新見公立大学
雑誌
新見公立大学紀要 (ISSN:21858489)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.187-201, 2016

『義経記』などに登場する金売吉次は、源義経の運命を左右したとされる伝説的人物である。吉次に関係するという伝説を伝えている地は全国にあり、金売吉次伝説をめぐる問題は金属文化の面からも注目される。岡山県新見市(旧備中国)にも吉次に関する伝説が存在しており、古くは『古戦場備中府志』(一七三五年成立)に記述がある。吉次生誕地伝説のある新見市哲西町八鳥地区は源頼朝の御家人市川別当行房により築城されたという伝承がある西山城の城下町として栄えた地域で、吉次の産湯の井戸や道明寺屋敷と称される居住地の伝説がある。吉次終焉地伝説のある新見市足立田曽地区には吉次の墓と伝えられる金石さんと呼ばれる墓石があり、周辺には多数の「たたら製鉄」の跡がある。新見市に金売吉次伝説が伝えられてきた背景には、中国地方各地で盛んであった「たたら製鉄」や「炭焼」「鋳物師」の存在等が関係していると推定され、生誕地伝説から終焉地伝説までそろった金売吉次伝説の一事例として注目される。
著者
狩俣 恵一 西岡 敏 小嶋 賀代子 真下 厚 又吉 光邦 照屋 誠 田場 裕規 浦本 寛史 原田 信之 又吉 光邦
出版者
沖縄国際大学
雑誌
基盤研究(A)
巻号頁・発行日
2012-10-31

昔話・伝説・歌謡・芸能は、言葉による伝達の他に、音声・表情・ゼスチャーなどが伴う。特に、口頭伝承が豊かな沖縄の伝統文化は、身体表現による伝達の割合が大きい。しかし、伝承の〈時〉と〈場〉の変化とともに、伝統的な〈様式〉と〈精神性〉は変容してきた。なかでも、古典音楽の琉歌や古典芸能は、近代演劇の影響を受けて、〈声〉〈音〉〈身体〉は大きく変容した。したがって、琉歌・組踊・古典舞踊の琉球王朝文化については、琉球士族の言葉と身体様式、その精神性に焦点をあてて研究を進めた。
著者
原田 信之
出版者
新見公立短期大学
雑誌
新見公立短期大学紀要 (ISSN:13453599)
巻号頁・発行日
vol.22, pp.171-155, 2001-12-25

岡山県には北部地方を中心に後醍醐天皇にまつわる伝説が非常に多く残っている。それらの伝説の成立には,後醍醐天皇隠岐遷幸という歴史的事実が関与している。後醍醐天皇(一二八八〜一三三九)は,元弘の変の失敗により隠岐に流されることになり,元弘二年(一三三二)三月七日京都を出発し,美作国院庄をへて,四月上旬頃隠岐に着いたという。『太平記』巻四,『増鏡』,『花園天皇宸記』等の記述から,後醍醐天皇が元弘二年三月七日に京都を出発し中国地方を通って四月上旬頃隠岐に着いたことは確かなようであるが,史実上の遷幸の道筋は不明と言わざるをえない。この,遷幸の道筋がよくわからないことが,中国地方における後醍醐天皇伝説の伝承状況を複雑にし,遷幸伝説の広範な分布をもたらす大きな役割を果たしたと推定される。本稿は岡山県新見市に伝承されている事例を中心として,唐松の「位田」「皆籠」「唐地屋敷」という地名と「鞍掛け岩」「馬蹄石」「こおもり穴」などの伝説,草間の「馬繋」という地名と「駒繋柿」の伝説,豊永の「赤馬」という地名,千屋の「実」「成地」「入野」「花見」「休石」「明地峠」という地名など,今でも土地に伝えられている地名由来説話や関連伝説の検討を通して,後醍醐天皇隠岐遷幸伝説の影響力と伝承の実態について考察した。