著者
和田 浩一郎
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.60, no.2, pp.141-156, 2018-03-31 (Released:2021-04-01)
参考文献数
48

Settlement burials existed in dynastic Egypt, like in other agricultural societies throughout the world. Since the ancient Egyptians thought that the dead should be separated from the living, it is important to consider the meaning of this. This paper carries out a comprehensive study of settlement burials in dynastic Egypt. Although both children and adults were buried within settlements, the interments of the latter always pre- or post-date the period of occupancy of the settlement. It is therefore possible to say that the separation of the dead and the living was carried out for adult burials. For analysis in this study, settlement burials are divided into three types based on the age of the deceased and the simultaneity of burial and settlement: (Type 1) child burials contemporary with a settlement, (Type 2) pre- or post-dated settlement burials only children were interred, and (Type 3) pre- or post-dated settlement burials where children and adults were mixed. The age distributions for Type 1 and 2 are somewhat different: the former type is exclusively of children under six months old, while the latter also includes children of up to two years. This tendency suggests that “true” settlement burial in dynastic Egypt may have been a burial custom only for fetuses and very young infants, and that nursing children were at least buried in settlements, even if in houses already abandoned. Except for the age distribution, the difference between Type 1 and 2 is obscure. Since some Type 2 burials were found in the same space as Type 1, these might share the perceptions of the place as a burial site. Other Type 2 burials seem to follow the idea of separation of the dead from the living. The variety of child settlement burials suggests that the ancient Egyptians treated the young dead as having a different kind of existence from the adult dead.
著者
和田 浩一
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.18, pp.56, 2009

画面読み上げソフトを使用してパソコンを操作している視覚障害者の多くがタッチタイピングをマスターしてパソコンを操作している。ほとんどの場合、qwerty配列のキーボードを使用して、両手を使ったタイピングを行っている。視覚障害者は文字入力だけでなく、編集操作や様々なアプリケーションソフトの機能をキーボードの操作で行っている。 ところが、脳血管障害の後遺症など、上肢の運動機能が低下して、片手のみしか使えなくなった場合には、片手によるキーボードの入力をしなければならない。文字入力の速度や操作が困難となり、大きな不便を感じることとなる。 そこで、この問題を解決するための方法を検討した。片手で能率の良い操作をするためには、手の移動と正確な定位が重要である。定位を容易にするための触知マークの貼付やキーの配置の変更、組合せキーの設定によって、正確でスムーズな文字入力及びパソコン操作ができたので報告する。
著者
和田 浩一郎
出版者
一般社団法人 日本オリエント学会
雑誌
オリエント (ISSN:00305219)
巻号頁・発行日
vol.51, no.1, pp.87-109, 2008-09-30 (Released:2014-03-30)
参考文献数
35
被引用文献数
1 1

It is generally stated that in the Egyptian New Kingdom burials the bodies were placed with their heads pointing toward the West because of the Egyptians’ funerary belief that the deceased needed to face the rising sun for their resurrection. However, this statement does not fully reflect the actual archaeological data. A survey of the plans of New Kingdom royal tombs shows that some changes in the head orientation took place during this period. Before the New Kingdom Period, bodies were normally placed with their heads pointed to the north. However, the tombs of the 20th Dynasty have a symbolic east-west axis that causes the westward head orientation of royal mummies, whereas in the 18th Dynasty tombs some of the decoration scheme and sarcophagus placements show compromising orientations between the north and west. Non-elite burials in the Memphite and Heracleopolitan regions show a tendency different from the royal tombs in that there is more diversity of head orientation. Although about fifty percent of the burials in a given cemetery have the western head orientation, the considerable number of bodies are directed to the north, east and south. Since the burials of the previous periods in these regions do not show such diversity, it seems to be a noticeable feature of non-elite burial customs in the New Kingdom Period. A seriation analysis shows that the diversity of head orientation in non-elite tombs is not the result of a historical transition as seen in the royal tombs since it is found among burials of the same period. B. J. Kemp suggests that lower-class people did not ignore the formal concepts of funerary belief, even though they often chose “unsuitable” head orientations. Instead they followed their own sense to decide what was appropriate for them. It might be fair to assume that the diverse head orientations in the New Kingdom burials reflect the ancient Egyptians’ trait of accepting the existence of alternative concepts.
著者
和田 浩一
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.68, pp.67_2, 2017

<p> 本研究の目的は、国際オリンピック委員会(IOC)会長を辞任した直後に立ち上げた万国教育連盟における教育改革の中で、オリンピック・ムーブメントの一要素として位置づけた芸術と美を、ピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)がどのように展開していったのかを、連盟の具体的な活動内容とそこでの彼の問題意識とから明らかにすることである。芸術と美に関するクーベルタンの行動と問題意識の一端を明らかにすることは、2020年東京大会に向けて進められている文化プログラムの根源的な意味の問い直しにつなげられよう。本研究で用いた主な史料は、万国教育連盟が4年間に渡って発行した計4冊の機関誌『万国教育連盟報』(1926-1929)である。クーベルタンは「現代都市の教育学的役割」をテーマに開いた1926年の会議(ローザンヌ)では、民衆芸術をトピックの一つとして取り上げ、1928年には美を全体テーマにした会議をエクス・アン・プロヴァンスで開催した。『万国教育連盟報』ではこれらの会議の予告・報告がなされるとともに、ユーリトミー(eurythmie、調和・均衡)をキーワードとした芸術論・美学論が展開されていた。</p>
著者
和田 浩一
出版者
一般社団法人 日本体育学会
雑誌
日本体育学会大会予稿集
巻号頁・発行日
vol.67, pp.86_3, 2016

<p> オリンピズムへの無理解に危機意識を募らせつつ1925年にIOC会長を辞任したピエール・ド・クーベルタン(1863-1937)は、その直後に万国教育連盟を創設した。本研究では、4年間に渡って発行された計4冊の連盟報のうち、連盟の活動が総括されている第4号(1928-1929)を取り上げ、IOC会長辞任後にクーベルタンが示した問題意識を明らかにし、オリンピズムの内実を再検討する。連盟報第4号によれば、万国教育連盟の活動には2つの目的があった。1)中等教育や成人教育に対して、従来とは異なる原理に基づいた新しい教育改革プログラムを示すことと、2)「現代都市」が未来の教育学の中枢機関として機能するよう、特定の仕組みや取り組みを示唆することである。オリンピズムとの関連で特に注目すべきは、(1)一般教養はすべての人間が学べるように、そして人生を通した学びとなるようにしなければならない、(2)早期からの専門教育をやめ、「全体を考慮しながら学ぶ」必要がある、という2つの指摘である。IOC会長辞任後に示されたこれらの指摘は、当時のオリンピック・ムーブメントにおいて理解に至らなかったオリンピズムの内実を描くものであると解釈できる。</p>
著者
高橋 信行 松田 美代子 井上 たかみ 井川 剛 井川 緑 和田 浩一 松友 博史 村上 博 大西 キミ 鎌村 千秋 小田 由美 佐々木 美津代 中田 ひとみ 黒田 かつ子
出版者
日本ロービジョン学会
雑誌
日本ロービジョン学会学術総会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.6, pp.60, 2005

視覚障害と知的障害を併せ持つ盲学校の生徒について、1 保護者、2 教師、3 寄宿舎指導員がインターネットの掲示板システムを利用し生徒に関する情報を共有しようという取り組みをおこなった。我々は、これを「電子連絡帳」と呼んでいる。電子連絡帳により保護者、教師、寄宿舎指導員の連携が強化され、保護者に対するアカウンタビリティーの向上や生徒に対する教育サービスの向上が期待できると考えている。電子連絡帳の仕組みや実施方法、利点、今後改善すべき点などについて報告する。
著者
清水 昌 森川 忠則 新田 一誠 坂本 恵司 和田 浩一
出版者
公益社団法人 日本化学会
雑誌
日本化学会誌(化学と工業化学) (ISSN:03694577)
巻号頁・発行日
vol.2002, no.1, pp.1-9, 2002 (Released:2004-03-03)
参考文献数
34
被引用文献数
1

D-パントラクトン(D-PL)は,B群ビタミンのD-パントテン酸やD-パンテノール,D-パンテテイン,コエンザイムAの合成に重要なキラルビルディングブロックである.D-PLの製造は,これまで,化学的合成法により得たラセミ体混合物をキラルアミンによるジアステレオマー塩生成を含む複雑な光学分割法により行われてきた.D-パントテン酸製造におけるこの光学分割プロセスを回避あるいは改良するため,立体選択的な酵素反応の導入を検討した.すなわち,この目的に利用できる幾つかの反応を微生物に探索し,ラクトン環の2位OH基の立体を認識して分子内エステル結合を不斉加水分解し,DL-PLをD-パント酸とL-PLに分割できる反応がFusarium属および類縁糸状菌に広く分布することを発見した.本反応に関与する新規酵素“ラクトナーゼ”の諸性質を解明するとともに,本酵素を高活性で含むFusarium oxysporumの菌体をアルギン酸カルシウムで包括固定化することによって酵素の安定化と再利用を図り,180回以上の繰り返し使用を可能にした.これにより,常温,中性付近の温和な条件下に,副生物をほとんど伴わず,30–35%のDL-PLをほぼ定量的に分割できる実用的方法が確立された.本酵素的光学分割法は,1999年より3000 t/y規模(D-パントテン酸カルシウム換算)で工業化され,従来法に比し,経済性のみならず環境調和型の点でも優れた生産法であることが明らかとなっている.
著者
和田 浩一 松田 謙次郎
出版者
フェリス女学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2010

本研究はコーパス言語学的なアプローチによって、近代オリンピック参加以前の日本におけるオリンピズムの受容に直結する雑誌記事の著者を推定した。主な成果として、1)ピエール・ド・クーベルタンの筆による著書6冊および雑誌記事49本分のコーパスを作成したこと、2)著者推定の分析に必要なデータ形式へのコーパスからの整形方法を確立したこと、3)文長とK特性値とから上記文献の著者がクーベルタンであったとの仮説を検証したこと、が挙げられる。
著者
和田 浩一 田端 真弓 都筑 真 永木 耕介 藤坂 由美子
出版者
フェリス女学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

本研究は明治前期に刊行された歴史書を分析し、日本が古代オリンピックをいかに受容・解釈したのかに焦点を合わせる。主な成果として、1)ギリシャ史・西洋史・世界史に関する歴史書116冊のうち、73冊に古代オリンピックに関する記述が含まれていたこと、2)古代オリンピックは中等・高等教育における学習課題だったこと、3)当時の知識人たちは古代オリンピックの社会的な機能を日本のスポーツ文化の説明に援用していたこと、が挙げられる。
著者
和田 浩一
出版者
神戸松蔭女子学院大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2007

本研究は、西洋中心の文明史観から生まれたオリンピズムの日本的な解釈を、その源流に焦点を当てて論じる。主な成果として、1)オリンピズムの日本的受容を書誌学的に整理したこと、2)ピエール・ド・クーベルタンの日本に関する言説のオリンピズムへの影響について検討したこと、3)IOC委員として嘉納治五郎をクーベルタンに推薦したオーギュスト・ジェラールのオリンピズム理解について考察したこと、が挙げられる。