著者
吉野 由美子
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.120-120, 2012

<B>【目的】</B><BR> 現在、デジタルカメラをはじめ、iPadなどのタブレット端末の性能の格段の進歩は、ロービジョン者の見る能力を助け、ロービジョン者のQOLの向上に役立つと期待されている。本稿は、筆者がスクーバダイビングツアーにおいて、実際に体験した事実を元に、iPadとデジタルカメラを組み合わせることによって、デジタル機器がロービジョン者の見る能力を格段に増すことができるという可能性を証明することを目的としている。<BR><BR><B>【方法】</B><BR> 筆者が参加した4泊5日のダイビングツアー中のブリーフィング場面、ダイビングガイドによる、筆者への小生物の説明場面や、その見せ方について観察し、撮影を行った。<BR><BR><B>【結論】</B><BR> デジタルカメラを使って、海の中の小生物を撮影し、あるいは動画に撮って、iPadに取り込み、拡大しながら細部にわたり説明するという手法は、障害のないダイバーにとっても、ロービジョン者にとっても非常に分かりやすく有効な手段である。<BR> また、ロービジョン者が自らデジタルカメラで撮影したものを、ダイビング終了後に、iPadに取り込み、拡大して細部を確認することは、その小生物を撮影できたという達成感と、その結果を自ら確認できるという点で大きな利点を持つ。<BR> このように、デジタル機器の進歩と、それらの機能を組み合わせて使用することによって、ロービジョン者が今まで見ることができないと思っていたものを見られるようになるという大きな可能性を持っている。それと同時に、その可能性を引き出すためには、見せようとするものに関する知識を持ち、ロービジョン者と共に見る楽しみを共有しようという熱意を持った支援者 (ダイビングガイド) の存在が不可欠である。<BR> また、この上記の手法は、教育現場やリハビリテーション過程に取り入れて有効に活用することが可能である。
著者
和田 浩一
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.18, pp.56, 2009

画面読み上げソフトを使用してパソコンを操作している視覚障害者の多くがタッチタイピングをマスターしてパソコンを操作している。ほとんどの場合、qwerty配列のキーボードを使用して、両手を使ったタイピングを行っている。視覚障害者は文字入力だけでなく、編集操作や様々なアプリケーションソフトの機能をキーボードの操作で行っている。 ところが、脳血管障害の後遺症など、上肢の運動機能が低下して、片手のみしか使えなくなった場合には、片手によるキーボードの入力をしなければならない。文字入力の速度や操作が困難となり、大きな不便を感じることとなる。 そこで、この問題を解決するための方法を検討した。片手で能率の良い操作をするためには、手の移動と正確な定位が重要である。定位を容易にするための触知マークの貼付やキーの配置の変更、組合せキーの設定によって、正確でスムーズな文字入力及びパソコン操作ができたので報告する。
著者
木村 仁美
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.83, 2012

ろうベースの盲ろう者であるAさんは、若い頃に手帳を取得していたが、社会との接点を持たず、社会資源も活用することなく在宅生活を送っていたようである。ところが、同居家族の逝去により、突然、独居となってしまった。<BR> 幸いにも、近隣の親戚から支援が得られ、福祉事務所につながることができたものの、もともと交流が乏しかったため、従前のAさんのライフスタイルを知る人は誰もいない。ホームヘルパーの導入などでライフラインを整えることはできたが、Aさんとのコミュニケーションが十分に取れない中で、何を望み、どういう生活を本人が目指しているのかはきちんと見えていない。<BR> まだ、本人の意向を十分に把握するには至っていないが、多職種、多事業所が関わり、情報交換をしながら、少しずつ本人への理解が進んできたと言えるところである。福祉事務所とヘルパー事業所の関わりだけでも、生活は維持でき、時間の経過とともに落ち着きを見せるようにはなってきたが、大きく流れが変化したのは、専門職が関わるようになってからである。自分の意思で行動する機会が持てるようになり、行動範囲を広げることができると在宅のストレスも緩和されてきた様子で、最近では表情も明るくなったと周囲から言われている。専門職集団である福祉センターの存在、および地域に視覚障害の専門職が配置されていることが大きく貢献していると言える。<BR> 現在も支援は進行形であり、試行錯誤を繰り返しながら、格闘してきた約1年間の関わりを報告する。
著者
小平 純子 前田 晃秀
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.100, 2012

東京都盲ろう者支援センターでは、盲ろう者を対象に(1)コミュニケーション訓練、(2)生活訓練、(3)パソコン等電子機器活用訓練等を提供している。本論では東京都盲ろう者支援センターで実施した訓練のうち、歩行訓練について、その実施状況や事例を分析し、盲ろう者に歩行訓練を提供する際の課題を検討した。<BR> 東京都盲ろう者支援センターが設立した2009年5月から2011年2月にかけて延べ97人に537回の訓練を実施した。そのうち、歩行訓練は7人に23回実施した。利用者を障害の状態・程度別に分けると、「全盲ろう」が2人、「弱視ろう」が3人、「弱視難聴」が2人であった。歩行訓練における目的は、「手引き時の白杖操作」が2人、「単独歩行時の白杖操作」が5人、「ルート歩行」が1人であった。<BR> 視覚活用が可能な盲ろう者4人(弱視難聴1人、弱視ろう3人)については、路面の外側線、道路標示等を視認することによって、単独歩行の技術を身につけることができた。視覚活用が困難な全盲ろうの盲ろう者からも単独歩行の訓練の希望があり、道路横断の場面では、コミュニケーションカードを提示して、援助依頼によって横断する方法を提示した。しかしながら、本人は援助依頼をすることを好まなかったため、安全性を考慮し、単独歩行の訓練を断念することになった。<BR> 盲ろう者は視覚に加え、聴覚にも障害があるため、環境音の把握が困難になり、単独歩行時に安全性が確保できなくなる。その一方で、限られた社会資源の中で、ある一定の場面や条件において、単独での歩行が実現できるよう支援していく必要がある。今後、障害の状態・程度や盲ろうになるまでの経緯、場面などの要因により、どのように単独歩行時の安全性が変化するかを検討していく必要があると考えられる。
著者
内野 大介 渡辺 文治
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.117, 2012

<B>【はじめに】</B><BR> 日本における視覚障害者の職業状況は厳しい。渡辺ら(1995)は、中途視覚障害者の職業問題で、比較的可能性の高いのが復職であり、あはき以外の新しい職業・職種に就くことは困難な状況にあると報告している。<BR> 七沢更生ライトホーム(以下ライトホーム)は、視覚障害者に自立訓練(感覚・歩行・コミュニケーション・日常生活技術)を中心とした総合的なサービスを提供する施設である。退所後の進路では、あはきを希望する利用者が多い。本報告では、あはきの資格取得のために、盲学校や養成施設(国立障害者リハビリテーションセンター、以下国リハ)に進んだ利用者の状況を分析し、必要な支援の内容を明らかにしたい。<BR><BR><B>【方法】</B><BR> 対象は、1999年4月から2009年3月末までのライトホーム入所利用者172名(男性122名、女性50名)である。様々な資料が集約されている各利用者のケースファイルをもとに調査した。利用者のプロフィールは、年齢、利用期間、障害等級、原因疾患、学歴、職歴、家族構成、経済基盤等である。支援状況は、学力テスト(中卒程度の教科テスト)、学習手段の検討、各訓練(歩行、点字、PC)の結果についてである。<BR><BR><B>【結果と考察】</B><BR> 盲学校や国リハに進んだ利用者は31名(男性26名、女性5名)であった。平均年齢は39.9歳(最小20、最大61)、利用期間の平均は12.4ヶ月(最小2、最大23)である。<BR> 学歴は、大卒が少なく、中卒・高卒が多い。職歴のある利用者の多くは、入所時に無職である。前職が現業職の者が多いことは、受障後に前職のキャリアを生かしにくく、新たな職業技術を身に付ける必要性を示している。これらの利用者は、訓練により新たなコミュニケーション手段と移動技術を習得しても事務職に就くことは困難である。彼らは職歴や年齢等を考慮し、あはきを選択することが多い。<BR><BR><B>【おわりに】</B><BR> あはきに対してネガティブなイメージを持つ利用者もいる。安易に「視覚障害者の職業=三療」とするのではなく、様々な選択肢を提示し、自らの意思で選んだ進路があはきとなるように支援をする必要がある。杉山和一をはじめ先人の努力の結果として現存する職業システムを有効に活用すべきである。また盲学校や国リハとの連携も欠かせない。
著者
矢嶋 良一
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.20, pp.2, 2011

<B>1 無謀な戦争の帰結は原爆投下</B><BR>(1) 米軍の原爆投下で廃墟と化した長崎(1945年8月9日)<BR>(2) 生き残った人々も原爆後障害によって肉体的、精神的、社会的にも筆舌に尽くしがたい苦しみを味わう<BR><B>2 核大国の米ソ(ロシア)へ「長崎の鐘」を贈ろう</B><BR>(1) 米ソの核軍拡競争に警鐘を乱打、核戦争阻止<BR>(2)「平和の鐘」は日本、米国、ロシア、中国で、今も鳴り響く<BR><B>3 非暴力による「反核9の日座り込み行動」</B><BR>(1) 欠陥原子力船「むつ」廃船、核兵器をなくすまで「座り込み行動」を展開(強い意思)<BR>(2) 32年間継続、市民の広場(被爆者、被爆体験者、勤労者、市民、高校生)実現<BR><B>4 「核のない世界」をめざして</B><BR>(1) 核軍拡競争から核軍縮、核のない世界へ<BR>(2) 2010年5月、核拡散防止条約(NPT)再検討会議で一歩前進<BR><B>5 核と人類は共存できない</B><BR>(1) 地震王国日本、原子力発電所54基、活断層の上に原子力発電所<BR>(2) 地震や津波は天災だが、東京電力福島第一発電所の重大事故は人災(安全神話の完全な崩壊)<BR><B>6 平和な社会とは(戦争がないと言うだけでは不充分)</B><BR>(1) 暴力、差別、貧困などがなく、命を大切にする社会<BR>(2) 相手のことも考え、共に生き共に助け合う社会<BR><B>7 終わりに</B><BR> かつて私は、坂田少年と出会って心を打たれ、高校球児の選手宣誓に感動した。未曾有の巨大地震と原発震災で被災された人々の姿を、新聞、テレビで見る時、自分に何ができるのかと問う。自然にあの詩が浮かんでくる。
著者
吉野 由美子 加藤 俊和 原田 敦史
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.20, pp.5, 2011

東日本大震災が起こり、その規模の大きさに呆然としていた時に、ある会員の方から「協会としても何か支援活動をしないのですか」「何か役に立てませんか」と言う問い合わせをいただいたが、会員400人の協会で、財政的にも行き詰まり状態である中「何ができるのか」と考えあぐねていた時に、日盲委を中心として「対策本部」を作るので視覚リハ協会も視覚障害の専門家集団として協力して欲しいと言う申し出を受けた。<BR> この動きの中心となった加藤さんは、阪神淡路大震災の時に、被災した視覚障害者の支援にあたった経験があり、その経験から、「連携の大切さ」と「初期戦略として何をなすべきか」の見極めができているのだと言うことを知った。また、阪神淡路大震災の体験などの重要な先人の知恵が、私たち専門家に共有の財産となっていないことも分かってきた。<BR> 本シンポジュームでは、東日本大震災で被災した視覚障害者に対する支援の初期戦略と今後の見通しについてを対策本部の指揮を取っている加藤さんから伺い、また現地で実際に被災した視覚障害当事者の方に会って、その現状をつぶさに見ている原田さんからその状況を伺い、視覚障害リハビリテーションの専門家として、次にこのような災害が起こったとき「何をなすべきか」「どのような備えをしておくべきか」の知識を共有する事を第一の目的としている。<BR> また、大震災からの復興過程の中で必要とされる長期的な支援についても問題を提起することができればと考えている。
著者
大内 誠 菊地 拓也 尾崎 千尋 関 喜一 岩谷 幸雄
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.95, 2012

<B>【研究の背景と目的】</B><BR> 白杖を持って歩道を歩いているとき、視覚障害者が最も危険を感じるのは、近づいてくる自転車であると言われている。事実、視覚障害者が自転車と衝突したり、接触して白杖を折られたりする事故が多発している。このような事故から自分自身を守るためには、自転車などの移動障害物がどの方向からどれくらいのスピードでこちらに近づいてくるのかを認識し、とっさに回避する能力を身につける必要があるが、そのような訓練手段はほとんど存在しない。そこで、私たちは、仮想聴覚ディスプレイの技術を応用し、移動物体の位置や移動方向を音像だけで表現するゲームを開発した。これを用いて訓練することにより、移動障害物の回避能力を安全に効率的に向上させることが本研究の目的である。<BR><BR><B>【開発ゲーム概要】</B><BR> プレーヤはWiiリモコンを搭載したヘッドホンを装着し、手にもWiiリモコンを持つ。プレーヤは向かってくる移動物体の音像を聞き分け、自動車(今回は自転車ではなく認識し易い自動車の音を用いた)ならば回避行動を取り、アイテムならば腕を振ってそれを取得する。アイテムを取得できると得点が加算され、自動車に当たると減点される。移動速度は自動車もアイテムも時速25キロメートルである。<BR><BR><B>【訓練効果の検証と結果】</B><BR> 訓練効果を検証するため22名の晴眼者に対して実験を行った。この内半数の11名に対して7日間~10日間の訓練を実施した。訓練は1日当たり3ゲーム(1ゲーム当たり60秒のプレイ時間)連続で行った。また、22名全員に対して訓練の初日と最終日に、転がってくるボールを目隠しした状態で回避する実験を行った。その結果、訓練を行ったグループの衝突回避猶予時間が有意に短縮され、移動障害物が近づいて来た際にとっさに回避行動に移れるようになったことが証明された。なお、訓練を行っていない残りの11名のグループでは衝突回避猶予時間に変化はなかった。以上の点から、本ゲームは移動障害物を認知回避する能力を向上させるために有効であることが明らかとなった。
著者
中西 勉 松崎 純子
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.18, pp.55, 2009

【目的】:網膜色素変性患者が歩行する際に、何を見ているのかを言語報告してもらった。何を見ながら歩行をしているのか、そして目的物を発見する際のストラテジー検討した。<br>【被験者】:網膜色素変性患者8人(平均49.5歳)であった。両眼視による視力(logMAR)は0.5 logMARから1.4 logMAR、視野(左右眼それぞれ8方向の平均)は20.5°から3.0°であった。<br>【方法】:網膜色素変性の患者の歩行状況をアイマークレコーダーやビデオカメラで撮影し、どこを見ているのかについて言語報告してもらった。<br> 被験者は、近隣の小学校横の歩道を歩いた。交差点の右折、歩道橋の上り下り、交差点の横断を含む約250mのルートで、車道側は主に植え込み、学校側はフェンスや植え込みとなっていた。二つ目の交差点にある押しボタンを発見するまでの約110m部分を主な分析対象とした。<br> 言語報告のうち被験者が見た物や方向を抽出し、KJ法を用いて分類した。分析者は、歩行指導歴20年以上の2名であった。結果:被験者が見ているもには、ある程度の傾向があった。車道と逆側のフェンス、車道側の植え込みなどを見ており、それは進行方向を保つためと考えられた。しかし、その多くはフェンスなどであった。前方を見ているとの報告も多く、安全を確認するためと考えられた。また、目的物の信号機のボタンがある交差点を探すために、その方向を意識していることが伺えた。交差点のゼブラゾーンを見ていると報告する被験者もおり、数十メートル先から見ていた。交差点に接近してから信号機の柱あるいはボタンを探していた。<br>【結論】:フェンスなどを見ることで進行方向を保っていると考えられた。押しボタンのある交差点を比較的遠方から確認していることもわかった。 行くべき方向をおおざっぱに定め、そこに到着後、目的の物を探していると考えられた。
著者
高柳 泰世
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.19, pp.1, 2010

【弱視者の現状と課題】私は数年前に或る弱視者団体代表から「弱視として50余年の生活の中で、全盲の人と晴眼者の間で、そのどちらでもない立場がなかなか理解されず、福祉施策や街づくりの中で、存在感を高めていくよう運動しているが、愛視援理事長・眼科医として弱視者の諸問題と今後の展望について」講演するようにと依頼された。ローヴィジョンの呼称を最初に提唱した私としては、確かにローヴィジョン者は晴眼者と全盲者の狭間で対応を忘れられてきた期間が長かったと感じてきた。ここ数年で大幅によい方向に転回していると考えられる。「平成22年度 全国拡大教材製作協議会総会及び拡大写本のつどいin名古屋」を5月16日名古屋市総合福祉会館で開催した。全国から写本ボランティア他165名の参加者であった。一昨年「障害のある児童及び生徒のための教科用特定図書等の普及の促進等に関する法律」(通称:教科書バリアフリー法)が公布され、拡大教科書作成はその教科書出版社に製作義務が課され、そこで出来ない場合はボランティアに依頼することになった。拡大写本のつどいにおいて関係者からの積極的な発言で、これからの進展に期待できると感じたので、その会についての情報を提供する。【石原表誤読者の就労と人権】一方視力も視野も正常な色覚特性を持つ者が警察官の身体要件にあわないと判定されてきた。昨年まで『正常なこと』は10都県警であったが、近年大幅に改善されてきているので現状を示す。以前は『色盲・色弱』と言う表現で一冊の色覚異常検査表が読めないだけで、多くの大学が入学制限をし、多くの公務員、個人企業が入社制限をしてきた。私が名古屋市教育委員会の理解と協力を得て、石原表誤読者の色彩識別能力の調査研究を継続してきた結果、石原表は職業適性検査表ではないことを証明できたので、労働安全衛生法、学校保健法、船舶職員法が改正され、色覚検査は削除された。その経緯と今後の展望について述べる。
著者
原田 敦史 内田 まり子
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.86, 2012

<B>【はじめに】</B><BR> 日本盲人委員会が立ち上げた東日本大震災視覚障害者対策本部の現地の支援員として、1年間活動をしてきた。災害規模が大きくその支援は困難を極め、中でも支援を行うための準備は急を要したが、残念ながらすぐに活用できるものは多くはなかった。我々は第一次から第三次の支援に際して、当てのないまま支援物資の準備と資料の作成を行った。今回の報告では、災害時にはどんな物資が必要で、どのような情報があったのか、それを活用するためにどんなマニュアルを作成したのか、今後も活用できる部分を中心に紹介する。<BR><B>【現地の支援活動】</B><BR> 対策本部では、岩手県と宮城県の避難所を中心に約750か所を訪問し視覚障害者を探して支援を実施した。また安否の確認ができなかった方、支援の要望があった方の自宅を訪問し支援を実施した。その数は300件近くとなった。<BR> これら支援の交通手段は車で、その際には支援グッズを積んで回った。<BR><B>【準備をしたもの】</B><BR>○物資について<BR> 最初はラジオや、携帯の充電器、白杖、音声時計、乾電池を準備した。その後は支援団体から届いた物資を加えながら増やしていった。<BR>○情報について<BR> スーパー開店状況等の食料事情や医療機関の情報は多くの被災者が必要とした。また視覚障害者支援団体や業者より様々な支援策が実施されていた。それらをまとめて一つの情報にして資料を作成した。これには随時新しいものを加えていった。<BR>○マニュアル・個別表について<BR> 第一次の避難所中心の訪問から第三次の個人宅中心の訪問まで、マニュアルは三回とも更新した。また対応したことが分かりやすいように個別対応表も作成し、これも更新をしていった。その場でメモを取らなくてはいけないことは何か、今後必要になってくる情報はなにか模索しながら資料を更新していった。<BR><B>【まとめ】</B><BR> 阪神大震災でも視覚障害者支援は実施されたが、役に立った物資等については、報告内に少しはでてくるものの、細かい資料等は残っておらず、一から資料作成をした状態であった。また何を聞くべきか、何を残すべきか、どんな支援物資を届けるべきか、常に考えているものの、答えが出ないものでもあった。ただし、被災地支援に関わったものとして、一つのまとめを残す必要があるかと考え、また、実際の支援にも役に立った部分もあるので、今後の支援準備の参考になればと思う。
著者
畑野 容子 中口 潤一 原田 敦史 内田 まり子
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.19, pp.42, 2010

【はじめに】 2009年度から日本盲導犬協会 島根あさひ訓練センター(以下、当協会)では、中四国地方在住の視覚障がい者を対象に1週間の入所生活訓練を行う「視覚障がい短期リハビリテーション」(以下、短期リハ)を開始した。事業を利用したAさんの支援を香川県視覚障害者福祉センター(以下、福祉センター)と連携して行い、生活に変化をもたらすこととなった。その経過を報告する。【ケース】ケース:Aさん、右)0 左)光覚、30代女性、未婚、6人家族、自宅は中山間地域。生活状況:中学から盲学校に入学し、保健理療科へ進学したが免許取得はならず就職できなかった。卒後、現在に至るまで外出の機会は少なく、昼夜逆転の生活となり、一日の大半は自宅で録音図書を聞いて過ごしていた。障害基礎年金受給中。家計に余裕はない。【経過】・数年前に家族の意向で免許取得に向け福祉センターの在宅訓練を受けたが、モチベーションが保てず中断となった。・昨秋、福祉センターの訓練士が短期リハを勧めたことで参加。その後は、生活改善の意欲が高まり、更生施設への入所希望が聞かれるようになった。・当協会と福祉センターが自宅を訪問し、家族を含め希望・目標を確認。現在は福祉センターで歩行・点字の通所訓練を行い、秋には施設見学に行く調整を行っている。【考察】 Aさんの訓練を行ったことで10年間の引きこもり生活の要因が浮かび上がってきた。第1に地域的な要因である。10年前は福祉センターの在宅訓練はなかった。盲学校卒業後、近隣に相談できる場所がなく、適切な支援が受けられるような環境になかった。このためAさんの積極性が徐々に低下したと推測できる。第2に、Aさんの障害年金が家計の一部を補っているという要因である。就職して家計を助けたいという気持ちはあるが、自宅を出ることで家族に負担がかかると心配する面もあり、なかなか具体的な動きを取らなかった。第3に家族関係の要因である。Aさんの自立を応援する意思を示してきたが、経済的なことを懸念しているためか、現実的な話になるとあまり積極的ではない印象を受ける。現在はAさんの歩行・点字技術の向上とモチベーションの維持を目的に相談支援専門員にも経過を報告し、連携して継続的な支援を行っている。居住地域・生活状況によって本人の意向を汲み取るような適切なサービスが受けられない視覚障がい者の存在を改めて感じたケースとなった。
著者
吉野 由美子 別府 あかね 前川 賢一 古橋 友則
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.18, pp.3, 2009

視覚障害者に対する相談窓口や歩行・日常生活訓練、便利グッズの普及などのシステムづくりを行おうとする時、県や市町村の担当者との相互理解なしでは、システムづくりは難航し、また頓挫してしまうのは明らかな事である。しかし、視覚障害者は身体障害者手帳所持者全体の約1割と数が少なく、視覚障害リハビリテーションとは何かと言うことや、どんな専門家がいるのかと言うことも、一般の人だけでなく、福祉・教育などの行政担当者にもほとんど知られていないのが現状である。<br> このシンポジウムでは、県の費用を使って研修に行き、視覚障害者生活訓練指導員の認定資格を得て高知に戻って来たが、「ニーズがない」と言う理由で、仕事に就けなかった別府さんが、どのように働きかけて行政担当者の理解を得られたか。三重県で、盲学校や市町村に職員を派遣し、視覚リハを展開している前川さんに、どのようにして盲学校や市町村と契約を結んで来たか、そして、県費で15人の視覚障害者生活訓練指導員をつくる計画を承認させた静岡の古橋さんに、なぜそのようなことが出来、現状はどうなっているのかを語っていただく事を通して、視覚障害リハビリテーションの必要性とその効果について、どのようにして行政担当者の理解を得、公的な予算を引き出すことが出来るかについて、地域のそれぞれの条件を超えた共通点を見いだし、これから地域で視覚障害リハビリテーションシステムを構築し、また専門家としてやりがいのある職場をつくって行こうとしている人達に、その方法論を学んでいただくと共に、共に共感し、相談できるつながりをつくって行くことを狙いとしている。
著者
新井 千賀子 山中 幸宏 尾形 真樹 稲見 達也
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.126, 2012

<B>【はじめに】</B><BR> 緑内障など中心視力が高く保たれ視野障害が主な問題となる場合、老視になると遠近両用眼鏡を希望する場合がある。視野の状態によっては加入部分に活用できる視野を合わせる事が困難になる。本症例は、眼鏡のデザインを工夫する事で遠方視と近方視の両立と近方視での拡大効果を得たので報告する。<BR><BR><B>【症例】</B><BR> 疾患:緑内障、年齢:50代後半、視力:右眼(0.03×-5.5D)左眼(1.0×-5.5D)、中心視野:右眼は中心部に暗点が有り、左眼は中心部周辺に比較暗点が有るが中心部は直径10&deg;程度の視野が読書に活用できる。ニーズ:遠方(2~3m)の画面を見ながら台本を読みアフレコをする職業。遠方視と近方視の繰り返しをスムーズに行いたい。<BR><BR><B>【補助具の検討】</B><BR> 読書評価(MNREAD-J)より臨界文字サイズ0.29logMAR 最大読書速度:269文字/分が得られ、近方視は年齢に対応した加入で十分であった。累進レンズの試用では近方視部分を左眼の視野で使用する事が困難であった。二重焦点レンズでは、1)加入部分のレンズの面積が小さく台本が十分に読めない、2)遠方視の後に瞬時に近方の読む場所を見つけにくいという問題点が分った。近視が-5.5Dあるので近方視は裸眼で拡大効果が得られる為、遠方は矯正、近方は裸眼で見るデザインの眼鏡を検討し、レンズの下部を切り取り上部のみに矯正レンズを入れる眼鏡を作成した。その結果、下方の視野が広がり拡大効果も得られ患者のニーズに対応できた。<BR><BR><B>【考察】</B><BR> 視力が高いと眼鏡処方には問題がないと考えられがちである。しかし、本症例のように希望する作業や職業によっては一般的な遠近両用眼鏡では十分に対応が出来ない。この場合、作業の分析と補助具の工夫が必要となった。眼鏡を補助具の一つと考え視機能や読書評価結果などを検討することはロービジョンケアの中の一つの領域として捉えても良いのではないかと考える。
著者
別府 あかね
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.20, pp.29, 2011

高知県東部に在住している盲ろうの兄妹2名に「南海地震に備えての避難訓練」を実施した取り組みについて発表する。<BR> これは県福祉保健所と市町村の福祉事務所が『在宅要医療者への災害支援と協力者のネットワーク作り』を目的とした取り組みの一環である。<BR> この事例は、在宅酸素療養者(肺の疾患で常に酸素療法を必要としている者)の中に目と耳に障害のある盲ろう者がおり、その支援をする為に視覚障害者生活訓練指導員として関わった。<BR> 最初に県福祉保健所の保健師、作業療法士、市福祉事務所の保健師、視覚障害者生活訓練指導員、盲ろう者通訳介助者(手話通訳士)2名の計6名を中心に、本人たちに対して南海地震とはどんな地震かという地震に対する基礎知識の勉強から始まり、地域の民生委員、自主防災組織、地区の常会との連携をとり、関係者に対しては簡単な手話講座や手引き講習を行い、最終的には実際に避難訓練を実施した。<BR> この盲ろう者は生まれつき耳に障害があり、後に視覚障害となったろうベースの盲ろう者であり、コミュニケーション手段は触手話(手話を触って会話する)である。県東部(高知市内から車で2時間)に在住で、近隣には盲ろう者向けの通訳介助者は在籍しておらず、この取り組み時も高知市内から通訳介助者を派遣して行った。そのため実際の災害時には通訳介助を受けられる可能性は低く、避難所でのコミュニケーションの方法についての課題が浮き彫りになった。この課題を解決するための取り組みを中心に報告したい。<BR> なお、この取り組みの実施期間は平成18年~平成19年である。4年前の取り組みであるが、雲仙普賢岳の火砕流からの復興、また今年3月に発生した東日本大震災のことも絡み、第20回大会が島原で開催される今、この取り組みが少しでも役に立つことができたらと思い発表することとした。<BR> また、この取り組みをする中で身近な地域に盲ろう者向け通訳介助者がいない問題の解決に向けて、平成22年度に2人の在住する市で「盲ろう者向け通訳介助者養成講座」を実施した。地震対策としてのネットワークづくりから始まった支援の輪は、盲ろう当事者が地域で生活しやすい環境の整備にも繋がった。このような、その後の経過も踏まえて報告したい。
著者
笹山 夕美絵 原田 敦志 菅原 美保 内田 まり子 善積 有子
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.20, pp.21, 2011

<B>【はじめに】</B><BR> 当協会では、仙台市在住者に対し、訓練事業委託元である仙台市の身体障害者更生相談所(以下、更生相談所)、相談事業を受託しているアイサポート仙台(以下、アイサポート)と連携して在宅訓練を実施している。今回は、ある当事業利用者に対して実施した生活訓練を通して、支援のタイミングと連携について、経過を報告する。<BR><BR><B>【ケース】</B><BR>Aさん:糖尿病性網膜症(合併症:腎不全)50代単身女性。現在視力、右)0.01左)0<BR><BR><B>【経過】</B><BR>2004年8月 地元病院で糖尿病性網膜症と診断。視力右)0.1左)0。<BR>2008年頃 東北大学病院(以下、大学病院)にて白内障手術実施。<BR>2009年10月末 視力低下右)0.08左)0。<BR>2010年5月 大学病院にて網膜剥離の手術実施。視力低下が続き右)0.02左)0。入院時に地域医療連携室より、生活保護ケースワーカーとアイサポートに連絡が行き、アイサポートから当協会へと繋がった。この間の生活では一人で外出が出来なくなり、買い物やゴミ捨ても出来ず、食事も作れず、友人にその全てを頼んでいたがとても不便だったとのこと。<BR>2010年6月 当協会の在宅訓練を開始。科目は歩行とADLで実施。このときアイサポートを通じて移動支援やホームヘルパーの利用、生活保護ケースワーカーから腎臓食の配達の手配等、生活基盤の安定を訓練と同時に進めた。<BR>2010年10月 視力は右)0.04左)0。<BR>2010年11月末 眼圧が上がり大学病院に入院。約2ヵ月訓練停止。訓練としてはいつでも再開できる旨を伝え、定期的に連絡をする。目も落ち着き右)0.06左)0。<BR>2011年2月 訓練再開。<BR>2011年3月 震災後、さらに視力が低下し右)0.01左)0。訓練継続中。<BR><BR><B>【考察】</B><BR> Aさんは、医療現場から相談機関、訓練機関につながったことで生活基盤の安定と訓練を同時に進めることができた。特に、2010年11月末には眼圧が上がり入院したことで、若干精神的に落ち込んだようだが、"先のことを相談できる機関があったことで安心感があった"との発言が聞かれた。地域の社会資源が連携し、タイミングよくサービスを提供することで、視機能が徐々に低下していく中でも不安感が高くならず、訓練をスムーズに進めることができたと思われる。
著者
三宅 琢 林 知茂 野田 知子 柏瀬 光寿
出版者
視覚障害リハビリテーション協会
雑誌
視覚障害リハビリテーション研究発表大会プログラム・抄録集
巻号頁・発行日
vol.21, pp.128-128, 2012

<B>【背景】</B><BR> Apple社製の多機能電子端末であるiPadは、9.7インチの大きな画面を持ち、極めて直観的かつシンプルな操作で拡大・縮小表示の切り替えや基本機能が使用可能なデバイスである。近年のバージョンアップにより音声入力や音声読み上げ機能(VoiceOver)、画面表示の白黒反転等の様々なアクセシビリティ機能が最適化され、より視覚や聴覚の障害者を意識したデバイスとなっており、ロービジョンのエイドとしての利用が試みられている。われわれはiPad本体の背面カメラを利用した簡易拡大読書器としての有用性を報告した(2011年、臨眼)。その後背面カメラの解像度や音声入力機能の向上があり、より実用的なエイドとして利用可能なユーザー層が拡大してきている。<BR><BR><B>【目的】</B><BR> より多くの視覚障害者にiPadを体験してもらうことで、電子端末に対する抵抗感を軽減させ、現状の視機能を補助するさまざまな活用方法を啓発すること。<BR><BR><B>【方法】</B><BR> iPad関連の情報および視覚障害者むけの情報発信を目的として情報発信サイトGift Handsを設立した。このサイトではiPadを活用するための様々なアプリケーションの紹介や視覚障害者むけの各施設の案内等の情報を発信している。またこれまでiPad2を簡易拡大読書器として利用する際に問題であった背面カメラの解像度を向上させるレンズを開発、販売を行っている。<BR> その他にiPadの直営店であるアップルストア(銀座)内を始め多施設で、視覚障害者に向けたiPadの活用方法の体験セミナーを行う事で、より多くの視覚障害者がiPad使用に関する抵抗感を軽減させ、各人においてiPadが現実的なロービジョンエイドとして機能するかを体験できるセミナーを行っている。これら自身の活動の現状を報告する。