- 著者
-
岡本 智周
- 出版者
- The Japan Sociological Society
- 雑誌
- 社会学評論 (ISSN:00215414)
- 巻号頁・発行日
- vol.54, no.2, pp.144-158, 2003-09-30 (Released:2010-01-29)
- 参考文献数
- 35
本稿は, 第2次世界大戦後のアメリカ社会において人種・民族間の階層性が変化し, 国民概念が変動してきたことを, 大戦中の日系人強制収容に関する補償法の変遷を通じて論じる.具体的には, 1948年の日系人退去補償請求法と1988年の市民自由法の相違点に, 国民統合のために掲げられる理念の変化を跡付ける.また補償法その他の法令資料を精査している点で, 本稿は日系人研究に寄与するものである。分析の枠組みとしてはアントニー・スミスの国民論を参照し, それが想定するエスニー間の関係が大戦後のアメリカ社会でどの程度維持されているのかを検討する.1948年法から1988年法への変遷からは, まず1948年法が, エスニー間の相容れなさと周辺的エスニーの劣位という点において, スミスが想定する国民の階層的構成原理を体現していることを把握することができる.しかし1960~70年代の社会変革を経験した後の1988年法では, 周辺的エスニーの記憶や経験を国民全体のそれへと組み入れるための制度が準備され, さらに周辺的エスニーと国民社会の中心との間の階層的関係の解消も試みられている.この変化は国民概念の根拠が普遍性を高めるプロセスであり, さらに1990年代には補償対象がナショナリティの範囲を越えて設定される点に, 概念の変動の副次的効果を指摘できる.アメリカの国民概念が原初主義的傾向を希薄にしていったとするのが, 本稿の結論である.