- 著者
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新宮 学
- 出版者
- 山形大学
- 雑誌
- 特定領域研究
- 巻号頁・発行日
- 2001
これまでの国内での文献調査に加えて、北京の国家図書館や台湾の国家図書館で行った文献調査により得られた新たな知見をもとに、研究成果の一部を論文「陳建の『皇明資治通紀』の禁書とその続編出版(一)」としてを公表した。論文では、第1に、皇明通紀の成り立ちと原刻本、および陳建の経歴と執筆意図について明らかにした。第2に、明朝における禁書指定の経緯について考察した。第3に、これまでの文献調査をもとに皇明通紀に関係する続編の全体像についてその概要を紹介するとともに、皇明通紀とその続編が盛んに出版される明末の社会背景やその読者層についても考察を加えた。皇明通紀は、元末至正十一年(1351)以来、王朝創設期の洪武40年間のことを記した「皇明啓運録」と、永楽から正徳年間にいたる8代124年間のことを記した続編とを併せて「通紀」の名を冠して合刻したものである。嘉靖三十四年(1555)に家刻本として刊行された。代々、科挙の郷試合格者(挙人)を輩出する家に育ったとはいえ、地方官の官歴しかない広東の陳建が本書を著したのは、祖宗の如き「盛世」に引き戻すべく社会秩序の再建を目指そうとする経世の志に基づくものであった。本書が禁書に指定されたのは、隆慶五年(1571)のことであり、この時期木版印刷による出版が空前の規模で拡大傾向を示す中で、王朝側が自らのプライオリティとしての「国史」編纂と出版に対して危機感を抱いたからであると考えられる。これまで嘉靖原刻本の存在は十分に知られていなかったが、台湾の国家図書館に収蔵する42巻本、12冊が、嘉靖原刻本の完本であることを現地での文献調査により確認した。ただ目録『国家図書館善本書志初編』では、『新刊校正皇明資治通紀』と著録されているが、本書のどこにも「新刊校正」と題する記載は見えず、かえって「皇明歴朝資治通紀」の題簽5件の存在を確認しえたので、『皇明歴朝資治通紀』前編八巻後編三十四巻と著録すべきである。またその残欠本(存13巻、5冊)が、東京大学東洋文化研究所の大木文庫に所蔵されていることを新たに発見した。