著者
松田 毅 中山 康雄 加藤 雅人 長坂 一郎 茶谷 直人
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2010

我が国の哲学会においてはいぜん十分には認知されていない「メレオロジーとオントロジー」の主題群に関して、古代から現代を貫く概念と問題の連関・発展についての見通しを得た。また、「部分と全体」の問題と関わりの深い哲学者たちに焦点を定めた、これまで未開拓であった哲学史的分析とそれを基盤にした諸問題に関する現代的探究により、特に生命や心の存在論的探求への「部分と全体」の観点からのアプローチの有効性と可能性とが示された。
著者
松田 毅
出版者
日本哲学会
雑誌
哲学 (ISSN:03873358)
巻号頁・発行日
vol.2014, no.65, pp.73-89_L7, 2014

While Spinoza, rejecting the project of "theodicy", insists on "absolute necessity"of the world from the view point of eternity, Leibniz, as the originator of the concept of "possible worlds," advocates the optimism, namely the logical contingency and moral necessity of the best of this world. Given this seemingly fatal opposition of two 17th century major metaphysicians about modalities, it is philosophically important to see the causes of this tension and, thereby to have some prospect for better understanding of the problems of modalities.<br>Firstly, from the representation of recent interpretations of "the necessity of finite modes" in Spinozaʼs <i>Ethica</i>, especially from Huenemannʼs about "the instantiation of geometrical essence" in the finite modes; secondly from contextual understandings of Leibnizʼs comments about texts such as IP29 of <i>Ethica</i>; and thirdly,characterizing the distinction between modal inferences of <i>consequentiae</i> and <i>consequentis</i> in Leibniz, I maintain that the ontologically irreducible status of agency of actions and the proper concepts of logical contingency turn out to be decisive in the controversy on modalities. Finally, it is argued that the modal sentences as such are seen by Leibniz as a type of reflexive proposition the truth values of which cannot be unconditionally decided.
著者
松田 毅
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(C)
巻号頁・発行日
2013-04-01

まず、ライプニッツによる「有機的物体」のモデルとしての「テセウスの船」のパズル解決、「実体形相の復権」、原子論との差異化のなかでの「自然の真の原子」としての「モナド」導入の意義を解明した。また、ライプニッツの場合、生物が「無限」を内包するだけでなく、「寄せ集め」から区別され、発生学の文脈では、発展的に「進化する自然機械」として把握される点も示した。さらに、生気論との対決から、その生物哲学の「機械論」と「目的論」の両立が生物全般に「拡張された予定調和説」として理解できる点も論証した。以上を通じライプニッツの生物哲学の従来問題とならなかった重要な局面に光を当てることができた。
著者
山本 道雄 森 匡史 嘉指 信雄 松田 毅 喜多 伸一 鈴木 泉 山本 道雄
出版者
神戸大学
雑誌
基盤研究(B)
巻号頁・発行日
2002

本研究では認識における超越論的立場と自然主義的立場との対立を、概念史的・問題史的方怯によって研究した。とりあげた哲学者は主として、スピノザ、カント、フッサール、ジェイムズ、ドゥルーズである。スピノザについては、自然主義的と解釈される彼の哲学における超越論的契機が、「原因」概念を中心に考察されている。カントについてはその超越論哲学の可能性が予定調和説という形而上学原理に依っていて、この形而上学的原理を避けるには自然主義的還元か、あるいは演繹論の意味論的転回をとる他ないことが論じられている。フッサールについては、最近の志向性概念の自然主義化の試みに対して、その「還元主義の誤謬」がD.W.スミスの議論を手がかりに批判的に論究され、志向性を自然主義的還元から守るために、それが因果的依存性と区別されるという主張に着目されている。ジェイムズに関しては、「非超越論的現象学」としてのジェイムズ根本的経験論とフッサール現象学との類似性および差異性を明らかにすることによって、「非超越論的」哲学の一つの可能性が、最近の研究成果をふまえながら探求されている。ドゥルーズについては現代フランス哲学における超越論的原理の考察という目的の下に、ドゥルーズにおける超越論的経験論の解明が試みられている。さらにこれらの研究に加え、実験科学である心理学の分野から、人間の記憶の再生と再認を比較に関する研究成果が寄与されている。この比較のために新しい方法が考案され、この方法によって、再認成績の方が再生成績よりもすぐれているという結果が判明した。この結果から、検索空間が同一であっても,検索の手がかりの差さえあれば,再認の方が再生よりも好成績となること知見が獲得された。
著者
松田 毅一
出版者
京都外国語大学
雑誌
研究論叢 (ISSN:03899152)
巻号頁・発行日
vol.37, pp.211-230, 1991-09-30