著者
根村 直美
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学 (ISSN:21872775)
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.73-88, 2016 (Released:2016-11-22)
参考文献数
22

本稿では,まず,押井守監督の映画『イノセンス』と欧米発の「サイボーグ映画」との比較考察を行った。そして,『イノセンス』には,「ポスト・モダン」状況の中で呼び起こされつつある理論的・思想的な懐疑がヒューマニズムへと回収されてしまうのを回避しようとする思考が認められることを明らかにし,そのような思考をポスト・ヒューマニズムと呼んだ。 続いて,そうしたポスト・ヒューマニズムがどのような身体図式・イメージをうみだしているのかを分析することを試みた。『イノセンス』においては,人形の身体は人工的に構築されたものとして捉えられている。その身体図式・イメージは,映画全体の基調となっているのであるが,人形の身体は,実は人間の身体の表現に他ならない。すなわち,『イノセンス』は,その<社会的に構築されたもの>という身体理解を通じて,<有機体>としての<人間の身体>に付与された<神秘性>から我々を解き放ったのである。 また,『イノセンス』の身体図式・イメージにおいては,構築される身体とは,<他者>と関わることにより立ち現れる具体的な状況において,画定された境界線をもつ。すなわち,その身体は,自分ではないが自分の一部であるような<他者>とのネットワークと相互作用がうみだす「偶発性」に基づくものである。しかも,そうした身体図式・イメージは,ヒューマニズムの枠組みには回収されえない<他者>への<敬意>とも結びついているのである。
著者
根村 直美
出版者
教育思想史学会
雑誌
近代教育フォーラム (ISSN:09196560)
巻号頁・発行日
no.18, pp.73-81, 2009-09-12

現在、社会構築主義の立場から「抑圧」を問題化する諸理論は、非対称的で二項対立的なカテゴリーを設定することによるアポリアを避けて通ることできなくなっており、その乗り越えが大きな課題となっている。そうした状況の中、現実の教育実践を手がかりに、社会構築主義の立場から「抑圧」を問題化する障害者解放理論が直面するアポリアを乗り越えるための理論的地平を提示しようとしている森岡氏の試みの意義は大きい。そこで、本稿においては、森岡氏の提示する理論的地平、特に、その鍵概念「他者への欲望」を検討し、氏の理論的考察の今後の課題を明らかにすることを試みた。具体的には、「他者への欲望」を鍵概念とする理論的地平が果たして二項図式に直接的に切り込んでそれを「無効化」するような枠組みたりえるのか、また、現実の教育関係をモデルにしたその分析の視点が教育者の側に終始してしまっているのではないかという点について指摘した。
著者
根村 直美
出版者
一般社団法人 社会情報学会
雑誌
社会情報学
巻号頁・発行日
vol.5, no.1, pp.73-88, 2016

<p>本稿では,まず,押井守監督の映画『イノセンス』と欧米発の「サイボーグ映画」との比較考察を行った。そして,『イノセンス』には,「ポスト・モダン」状況の中で呼び起こされつつある理論的・思想的な懐疑がヒューマニズムへと回収されてしまうのを回避しようとする思考が認められることを明らかにし,そのような思考をポスト・ヒューマニズムと呼んだ。</p><p> 続いて,そうしたポスト・ヒューマニズムがどのような身体図式・イメージをうみだしているのかを分析することを試みた。『イノセンス』においては,人形の身体は人工的に構築されたものとして捉えられている。その身体図式・イメージは,映画全体の基調となっているのであるが,人形の身体は,実は人間の身体の表現に他ならない。すなわち,『イノセンス』は,その<社会的に構築されたもの>という身体理解を通じて,<有機体>としての<人間の身体>に付与された<神秘性>から我々を解き放ったのである。</p><p> また,『イノセンス』の身体図式・イメージにおいては,構築される身体とは,<他者>と関わることにより立ち現れる具体的な状況において,画定された境界線をもつ。すなわち,その身体は,自分ではないが自分の一部であるような<他者>とのネットワークと相互作用がうみだす「偶発性」に基づくものである。しかも,そうした身体図式・イメージは,ヒューマニズムの枠組みには回収されえない<他者>への<敬意>とも結びついているのである。</p>
著者
根村 直美
出版者
日本社会情報学会
雑誌
日本社会情報学会全国大会研究発表論文集 日本社会情報学会 第22回全国大会
巻号頁・発行日
pp.38-43, 2007 (Released:2010-01-22)

本報告者は、平成18 年12 月-平成19 年3 月の期間、REAS(リアルタイム評価支援システム)を利用しWeb上でのアンケート調査を試験的に実施。MMORPG(マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイング・ゲーム)のプレイヤー105 名にジェンダー・スウィチングについて尋ねた。この調査結果を手がかりに、日本のインターネットにおける自己およびジェンダーの状況について若干の考察を試みる。
著者
根村 直美
出版者
日本生命倫理学会
雑誌
生命倫理 (ISSN:13434063)
巻号頁・発行日
vol.8, no.1, pp.117-121, 1998-09-07 (Released:2017-04-27)
参考文献数
6

道徳哲学的にみたとき、「自己決定」とは、「いくつかの選択肢の中からーつの選択肢を他人の強制によらずに選ぶ」ことを意味する。とすれば、純粋に「自己決定」による中絶とは、「産むことも可能であるが、あえて産まないことを選ぶ」ということになる。このような意味での中絶と「避けることのできないやむをえざる決定」としての中絶は明確に区別されなければならない。ところで、純粋な意味での女性の「自己決定」の権利が常に胎児の「生きる」権利に優越するということは自明ではない。女性の「自己決定権」は母体外で生存可能な胎児の生死を決定する権利を含んではいない。しかし、他方、母体外で生存不可能な胎児については、母体を使用する権利、したがって、「生きる権利」を与えるのは、女性の「同意」である。本稿は、この「同意」を妊娠が単なる「可能性」ではなく「現実」になったときに与えられるべきものとして位置づけている。